11 錬金術

 珍しく、豊が学友と連れ立って帰ってきた。豊の部屋がある離れで少し話すだけだからと言ってはいたのだが、お茶くらい母屋で飲んで行ったらと美津子の母が提案したので、客間で一服していくこととなったようだ。美津子は母に申し付けられて、茶と茶菓子を載せた盆を客間に運んで行った。

「失礼いたします」

 夏場なので障子は開け放してある。風鈴がちりんとそよ風に鳴る縁側から、美津子は客間に入った。卓には、足を崩した豊の向かいに、学友だという男がついていた。

「美津子さん、手間をかけてすみません」

「いえ。お口に合えば良いのですが」

 豊と言葉を交わしながら、ういろうの皿と緑茶を卓の上に置く。豊の向かいから視線を感じて思わずそちらを見やると、瓶底のような眼鏡の奥から観察する目があった。

「あの、私、何か粗相がありましたか」

「いや。豊がよく話している下宿先のお嬢さんというのはこの方かと、得心がいったところで」

 瓶底眼鏡の主はそう言った。とんぼやかまきりを思わせる痩せぎすな顔で、着物は清潔そうではあるものの長年着ているらしく、草臥れ具合のほうが目立った。豊は困ったように正一郎、と呼びかけた。

「ここは欧州ではないんだよ。嫁入り前のお嬢さんを困らせてはいけない」

「生物学的には雌雄の差しかないというのに、自分と同じ生物を観察して何が悪いと言うんだ」

「人間には社会性というものがあるんだよ。文化や慣習によって培われたものは無視してはいけないだろう」

 美津子がこれは口を挟まず静かに退出すべきかと迷っていると、豊のほうが美津子さん、と呼びかけた。

「かさねがさねすみません。正一郎は、ついこの間欧州留学から帰ってきたところで、不躾なことをしてしまって」

「まあ、欧州」

 美津子は空になった盆を抱えたまま、思わず客人――正一郎を見た。正一郎は、瓶底眼鏡をくいと上げる。

「欧州と言えども、大げさなものではない。船で何日か揺られていれば着く、同じ世界の中の一国だ。ただ、技術の進歩においてやはりわが国は遅れているな。あちらでは、空気中の物質から肥料を作り出すのだ」

「空気から、肥料」

 美津子はただ言葉を繰り返すことしかできなかった。女学校の理科などでも当然習ったことはない。読み物で一度見た大昔の錬金術を思い浮かべたが、それこそ愚昧な女だと思われそうで黙っていた。

「正一郎は、化学を専攻しているんです。そのうち、何かしらお役に立てることをすると思いますよ」

「それは、ありがたいことです」

 豊がそれとなく目配せをしてくれたので、美津子はありがたく客間から辞した。空の盆を台所に戻そうと歩きながら、空気に肥料のもとがあるのかしらと深呼吸してみたが、匂いも色もいつもと変わらず、どうにもよく分からないままだった。

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