9 ぱちぱち
かまどの火がはぜる。美津子が土間に立ち、酢の物にする胡瓜を輪切りにしていると、母親がひょいと美津子の手元を覗いてきた。
「相変わらず分厚い薄切りね。もっときちんと猫の手にしないと駄目よ」
「はい」
美津子は無心で返した。台所に立つようになって何年が経つだろう。土間の水場に手が届く背丈になってからは、食事の支度を手伝うことを母に課されてきた。それは「将来嫁入りした時に恥ずかしくないように」とのもっともらしい名目を持っていたが、いったいこの母親という人は、美津子の腕前をいつまでも外に出すと恥ずかしいとしか思わないようだった。たとえ薄切りが上手くいっても塩気が強すぎると言い、味噌汁の味付けが丁度良くても豆腐の賽の目切りが不揃いだと言う。毎日毎食完璧なんて、母ですらできているか怪しいと思うのに、母自身は美津子の至らぬ所や小さな綻びを見つけては小言を添えないと気が済まないようだった。
美津子の母は旧家の長女であり、厳しく躾られたというのは知っている。そして美津子の父方の祖母、すなわち母から見た姑にも厳しくされているのも知っている。そして時折自分の境遇などを美津子に話しては、「あなたにはそんな思いをさせたくないの」などと最後に添えた。けれど美津子は、では今現在あなたのしていることで、あなたのしたような思いを私がしていないとでも思っているのかと考える。
お勝手というのは、そういった女たちの血と汗と涙の染み付いた陰鬱な場所だった。薪をくべ、野菜を切り、魚を捌き、米を炊く。血と汗と涙は、汚れた手を洗う水とともに流され、かまどの火に焼かれて消えていく。それらの労苦を一切感じさせない、ふっくらと炊き上がった白飯とこんがりと焼き目のついた魚、彩り鮮やかな野菜の煮物を器に盛り付け、父と兄の膳に順に置いた。見た目が最もよく量のあるものを父と兄に出すのは、もはや長年のおさんどんで身についた習慣だった。その次は客人の男性である豊の膳、そして母と、最後に自分の分は崩れた魚をぞんざいに盛り、美津子は膳を持ち上げた。こんな苦行のような食事の時間なら、いっそ一人で済ませた方がましだと思いながら、父と兄の待つ居間に向かった。
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