2 喫茶店
「美津子さんは、お気に入りの方はいらっしゃるの?」
同級生の春子は、皿の上のシベリヤを半ばほどまで口にしたところで光子にそう聞いた。美津子の手元のシベリヤは八割方食べてしまったところだった。美津子は突然の問いかけに目を瞬いた。
「それは、どのような意味合いの」
「そりゃあ、もう。美津子さんが小枝子お姉様にお熱なのは知っているけれど、それとは別よ。殿方のこと」
「殿方……」
美津子や春子の通う女学校にほど近いミルクホールは、袴姿も瑞々しい女学生たちで賑わっていた。衣替えしてからは絽や紗の軽やかな着物の袖があちらこちらにこぼれている。美津子はしばらく考えた。
「……今のところは、特に」
「なによう、水臭いわね。心配しなくたって言いふらしたりしなくてよ。こないだ、街の本屋さんに書生さんといらしていたでしょう。あの方はどなた? お兄様ではないでしょう」
「それなら、うちに下宿されてる書生さんよ。確かにお兄様とは別だけど、いい仲とか、そういうのではないの」
「嘘おっしゃい。美津子さん好みの、色白のお優しそうなお顔だったじゃない。それに、書生さんのあなたを見る目、単なる下宿先の人を見る視線じゃなかったわよ。あれは惚れた女を見る目よ」
春子は妙に確信めいた口調で言った。そうだったかしら、と美津子は他人事のように思い返す。美津子の家で、離れに間借りして起居する青年は、豊と言った。格好こそマントやら下駄やらとバンカラめいたものを好んだが、日焼け知らずのうりざね顔は確かに白く、穏やかに学問を語る口調はゆったりとしている。美津子の兄は女々しいと揶揄することもあったが、美津子自身はそんな豊のそばに居るのは安心できた。この間だって、美津子が本を買いたかったから書店に付き合ってもらったところで、美津子が目当ての本を見つけてからは、豊は自分の専攻する学問に関する本の一角に夢中になってしまい、美津子の方が早く帰ろうと促す羽目になったのだ。自分をそういう目で見ていたとは思えない。
「本当に、違うのよ。たしかにお勉強を教えてもらったりはしているけれど、それこそお兄様が一人増えたようなものだわ」
「ふうん。美津子さんがそうおっしゃるなら、今はそうなのかも知れないけれど」
春子は含みのある口調で言った。美津子は、小枝子以上に憧れられる人ができるとは思えないと考えつつ、シベリヤの最後の一口を口に入れた。
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