第3話 我が家じゃナイ

 ぼふんと何かにぶつかった。


「うあ……っ」


 女の子の背中だった。


 彼女が驚いて、小さく可愛い声を上げた。

 それで前の見えないマグダリーナにも、女の子にぶつかってしまったと理解出来た。


 慌てて離れると、マグダリーナがぶつかった女の子は、素早く振り返る。



 どきりとした。


 マグダリーナと同じ年頃の、天使のように美しい少女だった。


 柔らかそうなミルクの白い肌に、月光を紡いだ様な、淡い淡い金の髪。髪と同じく淡い金のまつ毛は、神秘的な緑と紫の色違いの瞳を、長く濃く優雅な曲線を描き彩っている。花のような唇は、白猫の肉球の様なピンク色だ。


 マグダリーナは少女を見つめながら、思わず心の声を漏らしてしまう。


「天使がいるわ……うちの庭に天使が……」


 目の前の天使が首を傾げてマグダリーナの言葉を繰り返す。


「天使……庭……」


 アンソニーが慌てて、マグダリーナと繋いでいた手を引っ張って首を振った。


「違いますリーナお姉さま、ここはうちのお庭じゃありません」

「え? でも私達、お庭に居たわよね?」


 アンソニーの言葉に、改めてマグダリーナは辺りを見回した。そこは枯れ木と雑草の庭園ではなく、赤や黄色に色づく木々、緑の苔に木漏れ日溢れる、美しい森だった。


「うちじゃ……ない……」


 とてとててと、目の前を足の生えたキノコが列になって通りすぎて行く。これは確かに、うちじゃない。


 マグダリーナは、呆然とした。


「その光……」

 マグダリーナとアンソニーの周囲にキラキラと砂のように細かい青白い光の残滓がある。それを見て、少女は困った顔をした。


「妖精のいたずらなのね」


「あの……」

 マグダリーナは控えめに少女に尋ねる。

「どうしてキノコに、足が生えて歩いているの?」

 ――しかも結構早足だ。


「えっ、そっち?! あれはウマイシタケと云って、煮ても焼いても美味しいキノコです。あまりにも食材にされるので、ああやって逃げ回るようになったらしいの」


「食べれるの?! 捕まえなくっちゃ!」


「待って下さい、お姉さま! 森は魔獣も出るし危険なんです!」

 アンソニーが必死にマグダリーナの腕にしがみついて叫んだ。


 その間、天使な少女は横がけにした鞄から、木と革で出来た折り畳み椅子を人数分取り出した。

 とてもそんな物が入る大きさの鞄では無いのだが、マグダリーナ達はそんな事を気にする余裕はない。そして「座って」とマグダリーナとアンソニーに折り畳み椅子が渡された。


「ここはリーン王国ゲインズ領。その中のコーディ村に近接する《魔物の森》です。まだ入り口近くなので、魔獣はスライムや小さな角兎や角モグラくらいかしら……今は私の従魔が周囲で遊んでいるので、他の魔獣に襲われる心配はありません。でも追いかけてウマイシタケを獲るのはお勧めできませんよ」


 鞄からさらに水筒とコップを取り出し、水筒の中味を注いで、少女はこれもマグダリーナとアンソニーに渡す。


「どうぞ、蜂蜜水です」

「ありがとう……!!」


 蜂蜜水という言葉に感動しながら、マグダリーナは受け取った。天使はやっぱり天使なのだ。

 アンソニーは緊張しているのか、ぺこりと頭だけ下げて受け取る。そういえばこの子は多分、伯母様達以外の他所の人と会うのは初めてなのだ。


 マグダリーナは早速蜂蜜水をいただく。上品な甘さに身体中が歓喜していた。異世界に転生して、はじめて美味しいと思えるものを口にした瞬間だった。

 隣を見ると、アンソニーも蜂蜜水を飲んで目を輝かせている。


 その間、蜂蜜水をくれた少女は、良い香りのするマッチ程の細い小枝を折って火を付け地面に置く。そして乾燥させた草の蔓で編んだ蓋付き籠の中に、苔を放り込んだ。それを火のついた小枝の近くに、蓋を開けたまま置いた。


「えっと、こんにちは。私はエステラ。コーディ村に住んでいる魔法使いです。あなた達は貴族の子ですよね?」

 エステラはマグダリーナとアンソニーの服装を見て言った。


「魔法使い……」

 アンソニーが頬を上気させながら呟く。


 マグダリーナの足元を、先程見たウマイシタケが列をなして、すとととと、と通り過ぎていく。そしてエステラが置いた籠の中に華麗に飛び込んでいった。


 小さな薄淡い光が、ふわふわと籠の周りに漂っている。

 そういえば、エステラの周りもそうだ。だからマグダリーナは天使だと思ったのだ。


 エステラは中を確認して、そっと籠の蓋を閉める。

「ウマイシタケは、こうやって罠を仕掛けて捕獲するのです」


 神妙に言われて、思わずマグダリーナとアンソニーも神妙に頷いた。


 蜂蜜水のおかわりを貰い、マグダリーナはようやく頭が冷静になってきた。


 エステラは優しく聞いてくれる。

「あなた達はどこの家の子? 家に身代金なんて要求しないから安心して。帰るための手助けをします」


(身代金……この世界、やっぱり治安が良くないのかな)


 思考が治安面の不安に傾きかけて、マグダリーナは冷静になるとお辞儀をした。


「さっきはぶつかって、ごめんなさい。それから、色々ありがとうございます。あの、何卒お助け下さい。私はマグダリーナ・ショウネシー、弟はアンソニー・ショウネシー、二人ともリーン王国の王都に住んでいました」

「王都……? 妖精のいたずらは他国に飛ばされることの方が多いのに、とっても運が良かったですね。それにショウネシー領はゲインズ領の隣だわ。確かあそこはいま殆ど作物が育たないって……」

 エステラの言葉の後半が、呟やきになる。


 マグダリーナとアンソニーの顔を見て、エステラは納得したような顔をした。

 王都のショウネシー家なら拝領貴族の家門であるのに、その子供がこれほど痩せ細っている。ショウネシー領の噂は本当らしいと。


「王都の貴族の方でしたら、まずケインズ領の領主さまからゲインズ侯爵家を通してご実家に連絡することになります。お迎えが来るまで時間がかかると思うので、その間は多分、村か隣町の領主様のお館で過ごしてもらうことになると思います」


 具体的な説明を受けて、マグダリーナとアンソニーは、安心して頷く。


「ヒラ、ハラ」


 エステラが呼びかけてしばらくすると、周囲の木がガサゴソ動く。

 大きな籠を持ったスライムが二匹、ぽよぽよと近づいてきた。


「タラぁ、大収穫だよぉ」

「お待たせなの」


「お帰り。楽しかった?」


 スライム達は頷くと、収穫物の入った籠を見せてくる。エステラは二匹の頭を撫でた。


「私の従魔です。青っぽいのがヒラで、黄色っぽいのがハラです」


「こんにちはぁ、ヒラだよぉ」

「ハラなの」


 スライム達は、人懐っこく手を振った。


 透明感があり、宝石のようにつるつるで、美味しそうなテリをしたスライム達だった。つぶらな瞳が可愛らしい。


「さ……最弱のスライムを従魔にしているんですか?」

 アンソニーが恐る恐るエステラに尋ねた。


 スライムは確か魔獣の中でも、子供でも倒せる弱い魔獣らしい。もちろんマグダリーナにその経験は無い。


「でもすごく綺麗で可愛いわ。スライムって初めて見たけど、皆んなこんな綺麗なの?」


 マグダリーナが褒めたので、スライム達は魅惑のぷるるんボディを誇らしげにぷりんとさせる。


 すると小さな光の粒が弾けた。


 少女漫画でイケメンのみ発生させることが許されるイケメンパウダーは、この世界ではスライムが纏うものらしい。

 エステラの顔も輝いた。


「んっふっふー、この子達は毎日愛情込めてお手入れしてるので、普通のスライムより色もテリもハリも肌触りも格別良いのです! スライムは良いですよ! とても育て甲斐があります」


 スライム達はそれを証明するかの様に、弾力ある跳躍を見せてそれぞれエステラの左右の肩に乗った。


 マグダリーナは自分の頬に触れて、思わず「羨ましい……」と呟いた。この身体は痩せすぎて栄養が足りてないので、お肌はカサカサで子供特有の頬の弾力も足りてない気がする。


「この子達、妖精のいたずらの匂いが残ってるの。飛ばされて来たの?」

 黄色っぽいハラがそう言うと、エステラは頷く。


「王都に住んでるショウネシー家のお子さん達よ。ハラ、ニレルに事情を話して、領主様に連絡とってもらって」

「わかったの!」


 ハラがエステラの肩からぴょんと飛び上がると、ハラを中心に光の輪が現れ、くるんと輪が回転したと思うと姿が消えていた。

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