第83話.彼の知る未来


 カーシュは宿屋から見える範囲にはいなかった。ティアナが外に出て暗闇の方に進むと、それを阻むように影からスっと姿を見せる。


「これ以上は、出るな。夜は危険だ」


 彼の魔力は消されていた。でも、外に向かうティアナに心配で出てきてくれたのだろう。


 一瞬、あの時の彼の姿が蘇る。でも彼の姿よりも、その周囲の惨劇が目に焼き付いていた。それを思い出して、こみ上げてきた吐き気をこらえる。


「悪かった、それだけを言いに来た」

「……」

「後は消える」

「ちょっと待って」


 急いで呼び止める。彼から感じる何か。押し殺しているけど、苦しさを感じてしまう。そう思ってしまうのは自分の勝手な思い込みかもしれない。


 ティアナは宿屋の壁に寄りかかる。彼は背後の闇を隠すように立ち周囲の気配を探っているのがわかる。探査の魔法が張り巡らされている。

 


「精神干渉をしたこと、謝りたくて。ごめんなさい」

「――俺は」


 彼はそう言って、言葉を切った。そのまま待つけれど、その続きがない。目を向けると、口ごもり、ただ言葉を探して言えないようだった。


「何度も間違える」


 首をかしげると、自分でも何を言いたいのかわからないようだった。


「今度こそ間違えないようにとするのに、傷つける。今後、お前の目の前に二度と姿は見せない――」


 そう言って、また口を閉ざす。


「――影からでいい。だから、守らせてほしい」


 ティアナが言ったことだ。一緒にはいられないと言ったことを彼はそこまで気にしている。


(気にしないわけがない)


 拒絶したのだ。

 命を助けてくれた人間を拒絶した。もちろん、その方法を肯定していない。けれど自ら危険に飛び込んだ馬鹿な行いをしたのは自分で。


 どこまで許してどこまでが許せないのか、決めていない。でも、それを決める交渉をすればいいのか。そんな単純なものだろうか。


 人の関係は基準がない。会話がかみ合っていると思う時があっても、捉え方が全然違っている時もある。魔法士の司だったときも、日本でも、根本的な価値観が違えば、同じ職業でも分かり合えない。


 身近な人間でも、生死に対する捉え方が違えば大きな溝になる。彼が自分を優先し、そのために殺人を辞さない、それを変えないのであれば一緒にいられない。それをすれば、また自分は彼を責めるだろう。

 いや、死んだ人間に対する罪悪感から、おかしくなっていくかもしれない。

 

 ならば、もう自分は動くことをやめるしかない。そうすればどうしたらいいのかわからなくなる。


「俺は、誓約を結べばいいと思っていた。けれど“守る”、“守られる”には、互いの同意が必要だった。嫌われるのは承知、だがそれで守れなくなるなら本末転倒だ。無理やりに結べさせれば――結局は」


 そう言って、彼はまた言葉を切る。その左頬が赤い。口端が切れていて微かに血豆ができている。まさか、殴られたのだろうか。彼を殴れる人は一人しか思い浮かばない。――ウィルだ。

 

 けれど、それで目を覚ましたわけではないだろう。自問自答してまだ悩んでいる様子が見える。


「怖い思いをさせた。間に合わなかった、悪かった」

「その謝罪は、間に合わなかったことでしょ? あなたがした殺人の行為ではなく」


 彼はティアナの腕を取ろうとしてまた手を止めた。ウィルもカーシュも、二人してティアナとの距離を図っている。


「……そうだ。俺は、殺すのをやめられない、守るというのはそういうことだ」


 ティアナは目を伏せて息をついた。やはり根本的な価値観が違う。

 でも、これだけは謝っておきたい。


「あなたに、『殺す性』と言ったこと、謝りたいの。ごめんなさい」

「――本当のことだ」


 淡々とした感情のこもらない声に、自分の発言の責任を感じる。

 傷ついてないと、彼は含んで言っている。でもそんなわけがない。ひどいことを言った。 


 リュクスは壁に寄りかかり、そのまま地面へと座りかけて、また立ち上がる。足が疲れていて座りたい、でも地面に座るとお尻が汚れる。


 「疲れているのだろう」と手を伸ばして、腋を抱き上げて運ぼうとしたカーシュを留める。そうすると、彼は手を引く。その目が建物からの明かりで揺れているように見える。

 もしかしたら、この人はとても繊細なのかもしれない。不器用で、傷つくから人との距離をとる。何も感じないようにしている。


 だって、自分がつかれていそうだなんて、気づいてくれる人は普通いない。それで抱き上げてくれようとする人も。

 ――でも、それに甘えることはできない。


「あなたが好きで殺しをしているわけでもないし、心だって傷つくはずだから」

「……さっきのことか? 俺は感情なんてない」

「私は、幸いにも死産に立ち会ったことがない」


 唐突に言うと、彼が問うように促す。


「お腹の中で既に死んでいる子、先天性で産まれたら生きられないと判っている子、宣告されている死産には関わったことはあるけど。正常の経過をたどっていた母親や子供の死産はないの。でも出産は命がけだから、それまで正常経過で分娩後に突然出血が止まらなくなるとか、産まれてみたら赤ちゃんが息をしないとか『死ぬかも』って瞬間的に思う事はある。でも立ち会ったことはない、それは幸いな事なの」


 相当な件数のお産に関わった。そして経験を積めば必ずいつかは立ち会うといわれているものだ。

 それはどの医療職にもある。


「で、死産に関わったスタッフって辞めていく人も多いのね。職場じゃなくて、その職業を辞めちゃうの。日本ってスタッフへのケアがないから」


 その資格を取ることはものすごく大変で。ベテランと呼ばれる先輩や友人でも辞めていった。大変な目にあったのは産んだ母親やその家族。

 そう思うけれど、自分を追い詰めてしまう人たちもいる。


「人の死に慣れる人なんていない。私は、あなたの気持ちを踏みにじった」


(――だから、そのことを非難して悪かったと思う)


 それを選んだこと、その道を選ぶことしかなかったことに対しての配慮がなかった。本当はわかっていたけど、傷つけるとわかっていて口にしてしまった。


「俺の選んだことだ。関係ない」


 彼の声は、少しだけ何かがこめられていた。熱い怒りのようなもの。言われたくないだろう。

 自分が選び、気にしていないと押し殺してきたのに、そうじゃないだろうと暴かれるのは嫌だと思う。


「あなたの選択のことじゃない、私が勝手な事を言ったことを謝っているの」


 わずかな沈黙、彼が自分の言葉を考えてくれているのだとしたら、いい人だと思う。普通は、意味がわからないと怒って、会話を拒絶してこの場から出て行ってもおかしくない。


「その話はどこにいきつく?」

「……あなたは、私と契約をする時、『一人で、もういかせはしない』と言った」


 カーシュは黙る。その目は何も語らない、あたりとも外れともいわない。


「それは誰? 誰と重ねたの?」

「――誰とも」

「ならば私のこと?」


 沈黙にもう一度問う。


「カーシュ。日本語の『いく』には『どこかへ行く』と『逝く死ぬ』がある。アレスティア語にもαєlєlєєは『行く』と『逝く』があるの。『逝く』は”女神マヤの下へ旅立つ”、死ぬという意味がある」


 これでも表情に変化はない。


「……あなたは未来から来たのよね。それはウィル達と同じ遠い未来じゃなく、近いすぐ先の未来にも行ったこともあるんじゃないの?」


 黙ったまま、ということは当たっている。そして二つ合わせればこのことになる。


「もしかして――未来の私は死ぬの?」

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