第82話.ティアナにかわるとき

 ウィルはリュクスのためらいを見抜いているのか、サラリと言葉を紡いでいる。


「俺たちは精神干渉の訓練を受けてるし、魔力も相当だし。アンタの影響を受けない奴らも多いと思うよ?」


「だから?」

「だから安心して帰ってきなよ。ティアナ」


 黙り込むリュクスに笑いながらも、ウィルは逃げ場を失くすようにグイグイ来る。


 受け入れてくれる、帰る場所を作ってくれる。

 ディアノブルの塔だって、魔法士の最高峰だ。

 それでも、リュクスは嫌われるように仕向けないといけなかった。


 だから、ウィルの言う様に彼らの世界だって安心して帰られる場所じゃないと思う。

 それでも、彼は見捨てないでくれる、たぶん守ってくれようとするだろう。


「まあ、アンタの父親が能力の制御の仕方、たぶん教えてくれんじゃん?」

「え……」

「たぶん、その能力、父親譲り。すっげースパルタだけど、アンタを溺愛してたから平気じゃん?」


(私の、能力が……そうなの?)

 

 いったい父親は、何の能力者なの?

 スパルタにはついていける自信がある。教えてくれるんなら上等。


(でも、父親……って)


 どんな感じなんだろう。考え込んでいたら、ウィルがぐいって会話を続けてくる。


「で、今回アンタを許す条件な。俺がティアナって呼ぶ、それを受け入れるってことで」

「……え、条件?」

「精神干渉しただろ。無罪放免ってわけにはいかないし」

「え、え?」


 狼狽えていると、やっぱりグイグイくる。顔が近い。ほらほらと追い詰めてくる。


「責任はとりましょう。それが大人として大事なこと。アンタ長だったんだからな」


 もしかして、敵わない?


「人生経験ある大人は舐めちゃいけねーんだよ」

「でも、えーと。それって――」

「その名前、いいだろ」


 いきなりの方向転換。リュクスはハッと気が付かされたように、思わずうなずいていた。


「……その名前を、私が使っていいの?」


 ウィルがクシャって顔を崩して喉を鳴らして笑った。そして椅子をのけぞらせる。


「ちょっと! 酔ってるでしょ」


 ちがうって、と彼は椅子を戻す。


「その名が自分のだって、わかってるだろ。――ティアナ」


 後に続けた名、それを呼ぶ声は優しかった。


「ほんとは、アンタのボスや……母親のリディアが最初に呼ぶべきだったんだけど。俺が最初でごめんな」


 彼の言葉や声が胸に染みこんでくる。数々のお産で母親たちが必死で産んだ後、子どもを見下ろす眼差しを覚えている。


 自分の親に何があったかはわからない、でもその時は命がけで産んでくれた。産んでくれたことに感謝している。


 エレインのお産で、ディーを取り上げてそれを思い出した。


 ――誕生を喜ばれない子は、いない。


 たとえ母親が望んでいない妊娠だったとしても。


「ティアナ」

「え?」

「ほら返事。練習。ティア?」

「……」


「……慣れなきゃいけないだろ。ほら。ティアナ。返事するまで呼ぶよ?」

「……はい」


 彼は喉を鳴らして本気で笑ってる。それに腹を立てるふりをした、本当は全然怒っていない。


「ティア」

「わかったってば」

「あと一回。ティアナ?」

「綺麗な、名前ね」

「――だろ」


 受け入れたティアナリュクスに、ウィルは黙る。


「私ね、赤ちゃんを取り上げた瞬間は必ず『おめでとうございます』って言うの」


 ウィルは唐突な話題に、最初は黙って驚いた顔をしたけれど、すぐに真面目に見つめ返す。


「でも迷う状況の時もあるの。誕生前に既に乳児院に行くことが決まっている子とか。中学生の子のお産の時も言ったかな。覚えていない」


 産まれてきたことはおめでたいこと、でもその母親にはおめでたいことか、わからない。でも自分たちが言わなかったら、誰からも『おめでとう』と言われない子になってしまう


「その母親、たぶん十三歳だったかな。『赤ちゃん抱きますか』って聞いたら抱くって言ったから。一度だけ抱いて、『もういいです』って。感情はわからないけど、何らかのものはあったと思う。少なくとも私たち助産師は産まれてきたことに感謝する。だから誰にも喜ばれない誕生なんてない」 


(――だからね、ユーナ。私は親を憎んでいない)


 ユーナは、世界を憎んでいた。だからそれをティアナに重ねたのだろう。親を、世界を憎んでいるのだろうと。


 でも、その感情を“違う”と今は言える。世界を憎んでいない、親も、憎んでいない。


 ――そう言い返したい。彼女には、何も言えなかった。それを後悔しているのかわからない。なぜなのかわからないのだ。


「ティアナ……ね。ウィル、教えてくれてありがとう」

「だろ?」


 ――受け入れる。ちがう、本当は嬉しい。夜勤明けでぼんやりしている頭は考えることを拒否する。


「リュクスって、この世界では、異世界から来た孤児につけられる名前なの。リュクスの女神の子という意味ね。――だから名前があることは、嬉しい」


 だって、名前は親が最初に子どもにあげるプレゼントだから。


 ティアナ、と自分で自分を呼んでみる。


(――ティアナ)


 そう呼ばれた記憶をなくしたことが、少し悲しいけれど。

 ウィルは素直になったティアナを笑いながら、手を伸ばす。そして頭を撫でた。


「なぜ撫でるの?」

「いんや。アイツに言ったことも気にしてるようだけど、気にしなくても全然堪えてないからいいと思う」


 アイツ、とはカーシュのことだろう。黙り込むと、ウィルは身体を横にして給仕を呼んで、ティアナにザクロジュースの追加を頼んだ。


「ティア。ちゃんと条件つけただろ。“自分のためにするなら、一緒にはいられない”って」


 カーシュに投げた言葉だ。そう、必要に迫られた時、彼がそう判断したなら仕方がない。でも自分のために人を殺してほしくない。それを望んでいない。


「聞いてたの?」

「そういうとこが優しい子だよな」

「子ども扱いしないで」

 

 一応、社会人として仕事していたんだけど。二十六歳は、もう中堅だ。


「いやいや。お兄さんから見ると子どもだし?」

「自分がおじさんだって認めるのね」


 そう言ってティアナは立ち上がる。周囲を見渡すけれど、カーシュの気配はない。でも、離れていない。宿屋の外で一晩見張りをするつもり?


「一応、俺も二十代後半の体に戻ったんだけど?」

「で、心は子ども? 大人?」

「少年?」


 笑いながら、彼はくりくりとしたかわいい目で見上げてくる。

 確かに二十代としてみれば、女子にモテると自覚して調子にのっている表情だ。


 その彼に冷たい目を向ける。


「昔、四十歳の人に『君は大人だね、僕はまだまだ子どもだよ』って言われて、いつ大人になるの? って驚愕したことがある」

「……いや、それと一緒にされても」


「と言うわけで少年の心は気持ち悪いから、やめてね」


 塩対応をすると、ウィルが眉根を寄せる。だからティアナも背を大きく向けた。リボンが背で翻る。


「っていうか、その四十歳って誰さ」

「バーで口説いてきた知らない


 そう言ってティアナはウィルに背を向けて外に出た。


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