第84話.好意に似た何か
「それは団長、あなたたちのボスには言ってない、でしょ?」
彼は自分だけで抱え込んで、それを覆そうとしている。
でもそれよりも、そのために自分と契約をしたのならば……少し、悲しい。
(なぜ私は、好かれないことを願っているのに、そうじゃないと知って悲しくなっているの?)
「俺は、何も言っていない」
「これまでも、私は言葉を流してしまったせいで、後で失敗しているの」
ユーナの言葉。それに後から気づいて、意味を知る。そんなことばかりだ。
自嘲してしまう。でもそれで契約の理由の説明がつく。そのほうがしっくりくる。
「『何も言っていない』とあなたは言う。肯定も否定もないなら、それで納得がいくの」
カーシュは見つめてくるだけだ。
できるだけ悲壮感もなく淡々とした口調を心掛ける。
「ここは、あなた達が探しているティアナが紛れ込んだひとつの世界。ただいくつもあるパラレルワールドでも死というものは変えることはできないのよ。頑張らなくてもいいから」
聞いたことがある、もし別の世界に行っても必ず同じ結末を迎えると。
「そんなことで責任感とか、何かの感情に発展させないで。もし死ぬとしても実感はないし、そのために何かできるとも思っていない。だから――好意に似た何かをみせないで」
好意に似た何か、そう表現するしかない。彼から感じるのは後悔。その元にある自分への感情は何だろう。
まだ発展していない、何か。
「それで、結婚を申し込んだと思ったのか?」
「そう」
言えば彼は反発するとわかっていた。それでも、言うのをやめられなかった。彼が壁に閉じ込めようと伸ばした手をかいくぐる。
身長差があるから、そのわきを抜けることができると気付いた。
けど抜けざまに腕を掴まれる。そして引き寄せて腕をねじるようにして壁につける。その身体で、今度は挟み込む。腕の痛みに顔をしかめたけれど、彼の瞳は強くティアナを睨んでいた。
黒髪から覗くその瞳は、まるで野生の獣のようだった。獲物を逃がすまいとじっと見つめてくるその瞳に動けなくなる。
「本当に――
「カーシュ?」
「いつも少しだけ先を行き、そして、俺を置いて行く。あなたも、お前も」
(……だれ?)
不安げに見上げるティアナに構わず独白したカーシュは目を伏せる。
「俺の気持ちなんで、どうでもいい。好きなのかどうかは、わからない。もうずっと、そんな感情は消えた」
彼の瞳は、闇の中で苦悶しているように見えた。
「ただ、守りたい、というものだけがある。――俺は、それさえも伝えられなかった」
それは、未来の私に、なのか。それとも過去の誰かなのか。
「俺には、それだけしかない」
苦しい、と言っているようだった。どうして、それで苦しむのかわからない。
「――あなたを、守らせてほしかった」
それは誰に言ってるのだろう。
自分とその誰かを彼は時々混在している、それともその相手だけを見ている気がした。
「私のせいで何かを負わせたくないの」
主従契約は結んでしまった。けれど最後、それで傷つけあってしまうなら。離れたいのに離れられなくなってしまうなら。ユーナと憎しみあったように、破局が待っている。
「俺は、あらゆるひどい訓練も受けてきた。あらゆる残虐なこともしてきた。だから傷つくことはない」
それは彼の中に宿っているもので、他人が否定できるものではない。たとえ、そうじゃないと言っても、彼には空虚なものにしか聞こえないだろう。
「そうでしょうね。あなたはたくさんの酷い目にあってきた。ひどいものを見てきた。でも、慣れることはないはず」
だから何だ? という瞳に、ティアナは見つめ返す。
その苦しみを放っておけない気がした。悲しくなる。
離れて、というのは、自分が傷つくから。でも彼を突き放すことで傷つけるなら、彼が守れなかった誰かの代わりに、自分を守るということで埋め合わせができるなら。
その気持ちをわかってあげたい。寄り添いたい。医療者として言えば、そういう表現になるけど。もちろん、そんな簡単にできることじゃない。
彼もティアナの瞳に次第にわからないというように、眉をひそめた。
「――あなたには、水を注いでくれる人が必要ね」
「水、なんだ?」
心底、困惑を見せる彼の目の前で、ティアナはとうとう地面に座りこんでしまう。
「一緒にしちゃいけないかもしれないけど。母親たちからの相談で。よく『自分は家族に水を注ぐばかりで、誰が自分のコップに水を注いでくれるの?』って」
「……」
「医療者もそう。他人に水を注ぐ、他人にケアをするけど、自分に水を、エネルギーを注いでくれる人はいない。それで疲弊しちゃうの。誰だって注ぐばかりじゃ持たない」
「――俺はそんなことを考えたことはない」
「でしょうね。私は、事情があってあなたと心を結ぶことはできない。けど、代わりに少しならば水を注いであげることができるかもしれない。……そう今は思ったの」
「ちょっと、待ってくれ」と彼は掠れた声でしゃがみこみ、ティアナの視線にあわせて顔をのぞき込む。かなり近い。
「お前は……俺に耐えられないのじゃないのか?」
「そうじゃない。あなたが、私のために人を殺めるのをやめて、と言ったの」
確かに彼は沢山の人を殺して傷つけた、それを否定したのは自分。
「そういう組織なんでしょ。軍隊だってそう、守るためにはそうしなきゃいけない」
戸惑い続ける顔に続ける。
「存在を、あなた自身を否定はしていない。私のためにするのはやめてと言ったの」
足りない。彼にはどういえば伝わるのか。たぶん、彼自身が受け入れられることを信じていない。強引な契約を結んだくせに。
(そっか。お互いに向けられる好意に似た何かを信じていないんだ)
だから堂々巡りをしている。
「契約を――誓約を結び直しましょう」
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