第79話.共有婚

 ――目を見開いた瞬間、飛び起きようとして手足が縛られているのに気が付いた。


 しかも頭が激しく痛む。

 気絶するほどの衝撃って、どのくらいのものなの?


 疲れて油断していた。

 ちがう、日本で暮らして平和ボケしていた。


(この世界は、安全じゃない)


 彼らカーシュたちが守ってくれていたから、何事もなかったということを思い知る。本当に呆れる。


 脳挫傷とか起こしていたらどうしよう……この医療が不十分な世界で。


 そろそろと顔をあげると、頭に血流が流れていくのか、そのたびに拍動性の痛みが襲ってくる。

 それを冷静に判断する。


(吐き気はない、名前もわかる、視界もクリア)


 あとは、出血とか血腫になっていないか確かめたいところだけど。動けないから今は諦める。

 それより誰が、こんなことしたのだろうか……。


 目の前には薄汚れた床、机と椅子の足。後ろ手に縛られている状況から、殴られて攫われた、床に放置されている、というところか。せりあがる恐怖を、深呼吸するこで落ち着かせる。


 身体を確かめる、足も自由に動けない、こちらも足首で結ばれているよう。


『目覚めたようだ』

『おい、こんな縄で大丈夫なのか。魔女なんだろ』

『――魔女ならこんなに簡単に捕まらん』


 上から落ちてくる声は、すべて壮年の男性のもの。その苦々しい顔は、襲ってくるわけではなさそう、と判断した。

 不自由な姿勢のまま、上体を逸らして顔をあげると不機嫌そうな恰幅の良い男が歩んでくるところだった。


(身なりは立派。そして、街で見た顔だ)


「あなたは……たしか、商人ギルド長のひとよね」


 後ろ手を縛られたまま縄を何とか動かしてみるけど、余計に肌に食い込んできて厄介だ。自分の力では、外せない。


「お前が、悪いんだ」


 見渡せば、助けた街の男たちの顔ばかりでやっぱりと思う。


(魔物から襲われたと、未だに逆恨みしているの?)


「――勝手に来て、女であることをひけらかすからだ」


(その、ことって……)


 つまり女だと、彼らを煽ったことを言われているの? リュクスは顔をこわばらせて、下からねめつけるように、ゆっくりと声を発した。


 女である自分を狙っていることには普通は恐怖するもの、だけど怖さよりも、怒りがこみあげてくる。

 助けて、その恩をあだで返される、というのはこういうことか。


「あなたたちを、助けたことを、後悔してるわ」


 そう、確かに女だと見せた。けれど、それ以上の人助けはした。


「逃げなかっただろう。だから仕方がない」


 我々だって、こんなことはしたくない、と後ろの男が言った。


 悲壮感丸出しで、非道な行いをする。どこがしかたないのか突っ込んでやりたいけど、自分たちの不幸に酔っている彼らの相手をしても、何の役にも立たない。


 それより何をする気かをはっきりさせないと。


 リュクスは喉の奥から力ある言葉を発する。


「“ノーム! 地より出でてその力を貸して” 」

「――残念だが。ここでは魔法は使えん」


 見たことのない顔、口ひげを見事にカールさせている男性が気の毒そうにリュクスの顔をのぞき込む。

 わずかに光るだけで精霊は出てこない。床を見ると、微かに黒い線が見えた。


(――魔法封じの陣が敷かれている)


「我々は魔法使いではないが、愚かではないんだ」


 消えかけているけれど、精霊避けには十分だ。彼らが魔法陣の構成をわかっているわけがない。


 昔、アレスティア人が街に避難所として作ってあげたものだろう。こんな風に利用するなんて。


「愚かではない、じゃあ賢いつもりなのね。名乗ったらどうなの?」

「こちらはパスツール先生だよ。街で唯一の教師をしており、専門は化学だ」

「そのお偉い先生が、人さらいに加担するのね。化学倫理には反しないということかしら」


 パスツール先生が、顔を赤くする。この街の地位のある人間たちはプライドばかり高くて、ろくな人格者がいない。 


「生意気な! やはり眠らせておくべきだったのだ」


 リュクスは顔をしかめた、眠らせておいて何をするつもりだったのだろう。

 一番考えられるのは、女として売ること。この世界では女は高くつく。商売道具にさせるのか、それとも金持ちの貴族に嫁がせるのか、どちらにしても最悪だ。


 後ろ手の縄を切るようにシルフィに命じるが、いまいち存在感が薄い。


「……私を売るの?」

「まさか!! 希少な女だ。魔法士という怪しいのは別として」


 ここでギルド長が口を挟む。自分たちの考えをリュクスに賛同させるようだった。


「悪いようにはしない。いい暮らしをさせてやるさ」


 やっぱり、と思ったけれど、その使い道が何であれ、いいわけがない。


「誘拐犯!? トレスでそんなことが許されると思ってるの?」

「王様が、こんな辺境な街をお気になさるわけない、ましてや魔女を騙る女一人のことだ」


(フィラスは、街のことは気にしてなくても、私のことは気にしてるわよ!)


 遅れればそのうち彼は行動にでるだろう。それは周囲の人間の迷惑になる。


「――ここで、飼う、ということなの!?」

「そんな人聞きの悪い。それなりの暮らしをさせてやると言ったんだ。“白の家”に行かされるよりマシだろう」


(しろのいえ……)


 その名に、リュクスはわずかに考えたあと、顔をあげた。

 ”白の家”という名は聞いたことがあるけれど。


「寝ぼけたこと言ってんじゃないわよ」


 強い口調だが、本気で怒らせたら終わりだ、乱暴されたら敵わない。


 ――街で一番大きな酒場だった。一階はただの食堂だが、地下は認められた男たちしか入れない、特権階級の寄り合い所のようなもの。


 エレインの夫のアーサーは仲間かもしれないが、今は見かけなかった。気まずいのかもしれないし、賛同していないのかもしれない。そんなことは、もうどうでもいい。


 リュクスは縄が緩んで、動くようになった指を軽く動かす。控えていた氷の言葉を指で描く。これを描けば、周辺一帯を凍らせてしまう。


 人間を攻撃することはできず、一瞬の現象を起こさせることができるのがルーン魔法。


「氷のイス――」


「孤児にした親を恨め」


 その言葉に、思考が止まった。紡ごうとしたルーンを動かす指も強張った。


『――あなたは、親を憎む代わりに、私を憎んだのでしょう!』


 ユーナの言葉が胸に再現する。頭が真っ白になって、何をすべきか忘れる。


(――憎んでなんていない、そんなことを思いつきもしなかったのに)


 彼女の言葉で、初めて“親を憎む”いう選択肢があるのだと思いついた。


「早く夫をたててしまおう。それとも“共有婚”でもいい」


 彼らの言葉が、リュクスの頭の上をまるで滑るように流れていく。

 共有婚? トレスで?


「きょう、ゆう、こん」


 呟いて、意識が戻る。女が少ないこの世界では、妻を複数の男で共有する風習はある。けれどトレスでは推奨されていない。


 隣国のシルヴィアでは、より女性の束縛が激しくその制度も当たりまえだけど。


(……ここは、そのシルヴィアの国境が近い)


 だとするとトレスよりシルヴィア寄りの考えに感化されているのは当たりまえ。 


 男たちのブーツが近づく。


「モリガン、肩を押さえていろ」

「ごめんよ」


 謝ったのは、父親に鼻筋と口もとがよく似ている男性だった。

 モリガン医師の息子は、父親に似ず気の弱そうな顔をゆがめて、肩を押さえつけてくる。


 また別の男がリュクスの腰にまたがり、結ばれた腕をつかむ。

 誰かが手にした紙片はアレスティア語の婚姻届だ。既に描かれた聖語の下、署名するべき空白にリュクスの指が近づかされる。そこに迫る鋭い切っ先。


 暴れると、結んでいた水色のリボンが床に落ちる。その上を誰かの足が踏みにじる。


 胸の中を何かが突き上げる。

 怒りで顔が熱くなる。ユーナの言葉への哀しみ、その次に来た怒り。


 館にいた二人の少女の笑顔。そしてエレインの赤ん坊を見つめる目。

 憎みたくなかった、この街を。そしてユーナも――。


(どうして――みな)


 どうして、みんな、裏切る――。

 考えたくなかった、人のせいにしたことはない。


 恨んだことはない、のに。


 無理やり伸ばされた腕、その指を掴まれてナイフが突きつけられる。署名の代わりに皮膚を切り、そこに血を垂らせば契約は結ばれる。

 この世界で、誓約なども含む契約は神へ捧げるもの。それが成されれば、王さえもなかなか覆せない。


 そして、この世界で女は主人である男に従属する。つまり自分は夫に従わされる。


「誰か、猿轡をもってこい。うるさくてかなわん」


 ギルド長が頭上で叫ぶ。リュクスは、歯を食いしばり胸に力をためる。

 こんなことをされる、覚えはない。


 身体も魔法も使えないからといって。


(――舐めるな!!)


「”地の神トルク神よ、その斧で、この場を破壊せよ!」


 力のある声を喉にためる、そして指で印を描く。


『――ニード!』


 リュクスが雷神トルクの武器、ミョルニルのルーンを紡げば、場に力が集積する。光の粒子が集まり、巨大な斧が天井に出現しその場に影を落とした。

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