第74話.背にまわす手
「あのさ、魔法の方が”簡単”ってたぶんアンタじゃなきゃ言えないよ」
ウィルがリュクスに目線を合わせてハッキリ告げた。彼の方が相当年上だ。二十代後半に戻ったとはいえ、本来は三十代。経験はあちらの方が断然上。
こんな小娘、と普通は思うだろう。塔の魔法は見せていないし、魔力もスカスカ。
でも同等に扱ってくれてる。というより、尊重してくれている。彼の度量の広さを実感する。
「そうね。魔法士の長だった自分だからこそ言える。皆が腕を磨き、それでも達することができなかった場所に自分はいた。おごりかもしれない。戦闘を経験していないからかもしれない」
彼の方が戦闘経験は積んで強い。
現象を起こす一発勝負は自分の方が得意だと思う、なんとなく互いにそれはわかっている気がした。
それを尊重している上で、彼は自分の魔法の腕と、助産師の自分を理解して発言してくれている。
だから、貶めることは言わないのはわかっていた。ただ、彼自身が自分の何かに落とし込んでいるのかわからなかった。
人は、何かを言われた時――自分の経験に当てはめて理解することがある。ウィルは自分の話を聞いていた時、ずっと自分の中の何かに沈んでいた。
「お産は相手がいる。それは読めない。お産は命がけ、それは昔から変わらない事実。だから難しい。でもアレスティアを落とした自分は、――実は魔法の方が簡単とは言えなくなってしまった、かも。怖いモノ知らずだったのね、経験を積むとどちらも容易ではないと知ってしまう」
でもやっぱり思う。
お産を一人で見ている時は、薄氷を踏んでいるようなヒリヒリした緊張がある。無事に終わった時は、自分が産んだ時のようなドッとした疲労感に包まれる。
こんなの病院で働いていた時は、感じない。病院スタッフには言わないけど。
「魔法士の司だったときは、強大な魔法を使えて当然だった。終わった時も、予想通りの結果だったとだけ。周りの魔法士から見られる目も何も感じていなかった。もしかして今やってみたら緊張しちゃうかも――ううん、しないで臨むかもね」
少しだけ笑う。きっと昔通り魔法をかける方向、展開先しかみない。
ウィルの瞳の色は時に、琥珀色にまで濃くなる。まっすぐでこちらの心をのぞき込んでくるような感じ。生意気なことを言っていると、思われているのかもしれない。
「もっと上の人から見れば魔法のほうが簡単なんて生意気でしょうね。私の親はスゴイ魔法士だったみたいだし」
素地があったからだって。そのせいで恵まれていたのかもしれない。その資質があったから司にまでなれた。
「同じものじゃないのに、比べるのもおかしいけどね」
何を難しい、大変だったというかは比べようがない。他人によって大変という上限値は違うから。
けれど自分の中での経験は比べることができる。よりこっちの方が大変だった、と。
「ごめんなさい、本当の大変さをまだ私は知らないのかも」
「いや……それって相当、自分に厳しいよ、アンタ」
「アレスティアの長までやってたのにさ」とウィルに言われる。
「前に、アンタの母親に言われたことがある。『努力できるのも能力』だって。他人には想像できないくらい努力した、ってわかるよ。まあ俺もだけど。そういうのって、みている頂きっていうか、てっぺんが違うんだよ」
ウィルは両腰に手を当ててハーッとため息をつく。
「地面に魔力を送ってたのも、一度描いた魔法陣の凄さも知ってる。アンタは他より見ている景色が違う。それでもまだまだだって魔法のことを思っているし、助産師としてはそれより大変だったんだなってのも思う」
「ウィル?」
「魔法のこと、簡単に言ってくれるっても思うけど、それだけのことしているんだなって思う」
「……」
それって、わかってくれたと思っていいのだろうか。
「うぬぼれじゃなくて、俺も相当努力した、冗談じゃなくて、血反吐吐かされたくらい。それってリディアが俺より強かったのもあるけど、アンタの父親がとんでもなかったから。上がいたからなんだ」
「けどさ」と続ける。ウィルから見下ろされると子供のような気分になる。
「俺には頂点がいてまだ追いつけない、でも
ウィルの言いたいことがわからないような、わかるような。
「ティアは、何を目指してきた? なんで魔法士になった?」
「そんなの……」
いきなりでわからない。
カーシュはいつも通りリュクスだけを見ている。でもその視線を受けて、口を開いた、とても珍しいことに、
「俺はすべきことがあったからだ」
「私は……それしかなかった。そうね、生き残るため」
カーシュの言葉に押されるように答えた。アレスティアという世界で、生きていくために。
”奴隷”にもならずに生きていくには、自分の力を示すしかなかった。
ウィルは「うん」っていった、頷いたのではなく、言葉で。
そして、一歩進んでリュクスの頭を胸に抱きしめた。
「ごめんな。ずっと言いたかった、一人で頑張ったなって」
……そう言われると、ずるい。ウィルの背中を叩く手が優しい。彼の胸が温かくて、全然柔らかくなくて。硬いのに痛くない。強くでもなく、ぎゅっとでもなくて、でも逃げられない。
――逃げないのは自分の方だ。後頭部をポンポン叩かれて、思わず涙がでそうになる。
優しい。だらりと下ろした手が彼の背に回りそうになる。そうしても許してくれるだろう、でもそうしたら終わりだ。
もう、離れられなくなる。
もしかしたら、自分はこの人のことが――。
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