第75話.本当のわかれ

 そうしてしばらく抱擁を続けたあと、ウィルは何事もなかったかのように離れて両肩に手を置いた。いきなりすぎるし、肩がホールドされているようで逃げられない。


「――ところで、お産に対するティアナの思いが本物だってわかったけど」


 「前からわかってたけどさ」そうウィルは呟いた。分からないぐらい微かにリュクスは首を傾げた。先ほどからティアナと呼ばれている。


 アンタとか言ってたのに。ティアナと言わないでくれていたのに。彼の中で何かがあったのだろうか。訂正するタイミングが合わなくて聞き流してしまう。


「なんていうか、これ。うまく言えないけど。嬉しいのかな、ありがとう」


『嬉しい』それはおかしい、普通は『感心した』とかそういう感じの言葉を言うだろう。


 たださっきまであんなに真剣に聞いていた様子も少し変に思える。強張った顔で、食いついていたような。

 今も嬉しいとは正反対の表情だ。先ほど見たのは寂しさのような『哀しみ』。今は何でもないような微笑。作り笑顔なんてする人じゃないのに。


「ウィル?」

「いや、なんでもねー。ごめんな」


 謝られることではない。むしろ喋りすぎた自分が反省するところ。


「専門を語る時、生き生きするのはかわいーよ。……似てるし」


 また母親のこと。それに気づいて睨みつけて、『かわいーよ』と言われたことは流してしまった。全部ウィルが計算していたと気付いたのは後から。


 不意にカーシュがウィルを押しのけるように出てきて、実際肘で彼をけん制して壁をつくり、リュクスの前にのぞき込んで言う。「なんだよ」とウィルの小さな舌打ちが響く。


「小屋に戻って、しっかり休んだ方がいい」


 リュクスは首をふる。


「街の人たちの印象もよくないし、早めにこの辺から離れるわ」


  それにしても彼らは眠ったのだろうか。よくわからないけど、もういい。

 彼らはついてくる。


 ずっとリュクスの好きにさせてくれているのか、それとも彼らの準備ができたら問答無用で連れていかれるのかわからない。


「じゃあ、馬かな。借りられるか聞いてくるわ」


 ウィルがフットワークも軽く身を翻そうとする。二人とも、まくのは無理。けれど、もうタイムリミットだ。あくびをして体をほぐす。


 そして気を引き締める。


「行く前に、カーシュには聞きたいことがあるの」


 外へと向かおうとしたウィルが足を止めて、振り返る。聞かれても困らない。彼には意味不明なことだけど、調べて物事を理解してしまう人。


 でも今後はそれに関心をもたなくなる。


「あなた、ユーナの黒騎士だった、よね?」


 カーシュは無表情だった顔に驚きを宿した。そして静かに口を開いた。


「……思い、出したのか?」


 彼の声が震えている気がする、その次の瞬間には普通の声にもどっていたけれど。その思い出した、には何がふくまれているのだろう。


 彼は忘れていて欲しかったのだろうか、それとも思い出してほしいのか。


 ユーナと同郷ならば、日本人のはず。なのに、彼にはその特徴がない。彫りが深くて、端正な顔。


 アレスティア時代には疑問に思わなかったけれど、日本に行った自分にはわかる。ハーフのような顔立ちだ。


 でも。いずれにしても、もう関係ない。


「ええ。あなたはユーナと同郷の人間、つまりユーナを追いかけてきたということを」

「……そのあとのことは?」

「そのあと?」

「そのほかだ。落ちる時の、ことを」


 カーシュは呆然としているように見えた。表情がないのに、時々わかる。なぜか悲しそうに見えた。


(そのあとのこと……)


 やっぱりそうなのか、と頭の隅で思う。

 そのあとに何かがあった、けれど――覚えていないものは仕方がない。返された記憶は、一部だけなのだから。


「覚えていない。あなたと話したことはないもの」


 彼の肩が揺れた、息を大きく吸ったのだとわかり、少しだけ申し訳なくなる。

 けれど深追いはしない。

 リュクスの主が返してくれた記憶は、彼がユーナの騎士の一人だった、ということだけ。


「――ユーナは、逃げたのね」

「ああ」

「そしてカーシュ。ユーナはユナじゃないのね」


 意味が分からない、そういう顔はしなかった。


 彼はまっすぐにリュクスを見つめた後、頷いた。

 カーシュの黒く沈んだ目も、ウィルの理解しようと真剣な眼差しも気にならない。


「聞いて、どうする?」

「いいえ。ユーナのこと、確かめたかっただけ」


 カーシュはこれから先何を聞こうとしているのか。ウィルは今の会話から何がさぐれるのか。ふたりがリュクスの言葉に耳をすませて、理解しようとしてくれてるのがわかる。


 だから唐突に尋ねる。


「カーシュ、あなたの本当の名前は?」

「本当の?」

「そう。同郷の人間――東京から来たのならば日本名があるでしょ?」


 自分が東京に行かなければ、わからなかったこと。彼らの名前は自分たちの世界の名前とかなり違う。

 カーシュは一度警戒の眼差しを浮かべたが、そのまま口を開く。


「もうずっと使っていない名前だが……りつ かなめ

「律 要? 要 律? どちらが名前?」

「律 要だ」


 どちらも名前みたいで珍しい。それでも彼にはぴたりと当てはまる。目的と違うけれど、その名前に思わず感想が漏れる。


「いい名前ね」

「そう言われたことはない。ただ合っていると言われたことはある」


「それに合うようにあなたが努力したのでしょ? 要という支柱になるように。あなたの名前は、荘厳で静寂に包まれた神殿の一本の柱のよう。そこをずっと長い間支えている。孤独だけど、あなたはそれを苦痛にも思わない、人を支えるのを当たり前と思うのね。ただずっと守っている」


 リュクスが言うと、カーシュは黒い目を見開いて驚きの眼差しでリュクスを凝視する。


 黒が藍色に変わる。感情が混じると彼の瞳は蒼が混じると知った。そして拳を握り締めている。なぜか彼は感情を堪えているかのようだった。


 すがるような、必死な眼差しをおさえた手。

 でもそこには踏み込まない。


「魔法士はイメージが大事。私は魔法を織るの、だから何でもビジョンとして浮かべるの」

「俺は?」


 ずっと黙っていたウィルが戸口で口を挟む。それがふて腐れた少年の様で少し笑ってしまう。声をたてて笑うと、二人が驚いたようにリュクスに目を向ける。


「何」

「いや、クールビューティが笑うとギャップ萌えが。めっちゃ可愛いよ、アンタ」

「意味が不明だからやめて」


 もう答えないわよ、と言いながらウィルを見る。


「たしかそれぞれの国でも名前の意味があった気がするけど、ウィルの語源は知らないのよね。けれど、いい家庭で大切に名付けられた気がする。気高さと、優しさも秘めた名前。あなたを呼ぶ人が見える」


 不意にウィルが顔をこわばらせたからリュクスは安心させるように笑いかける。完全に医療者としての勘。彼は、過去に傷がある。


だから違うよ、という雰囲気を声に優しさを滲ませる。


「ご家族よ。お母様、かな。名前をつけたのは」


 驚いた顔に、リュクスは頷く。


「それに、あなたは従わせる者ね。高貴なるモノを――」


 そこまでいってリュクスは言葉を切った。彼の魔法の源、契約相手は――。


 カーシュは黙ったまま。自分のことなのか、それともウィルのことなのか。全ての言葉を吟味している。そしてウィルはリュクスの言葉を吟味するようにじっと聞き入っている。


「何? そこでやめられると気になる」


 リュクスは黙り、考えた。

 彼の契約相手は、上位の存在だ。それ以上は踏み込めない。ただ。


「もし、あなたが力を使うことで悩むことがあれば、名での契約をもう一度持ち出して。自分の”本当の名”と、あなたが相手につけた名前。名での効力はあなたが知る以上に有力だから」


 彼の主は、この世界では使えない。ただウィルが自分の国で契約をしたのであれば、まだ効力がきっとある。これを教えるのは違反かもしれないけれど。


「――あなたの名は、木洩れ日ね」


 首を傾げる彼の目は太陽のように光を帯びた明るい黄色。


「見上げた大樹、生い茂るみどりの合間から差す光、……目を細めさせて一条の光で照らす存在、そんな名。いい名前だと思う」


 彼の明るくて、親しみやすい性格を作ったのはその名前だ。結局簡潔にまとめたことにウィルが苦笑するかと思ったら、ウィルは目を見開いてリュクスを見返した。


「……なに」


 恥ずかしいとは思わない。魔法はデザインだ、浮かべた一瞬の心象により発現に影響がでる。彼のことを生い茂る葉が守り、一条の鋭い光が攻撃にも守りにもなる。


「そんな風に言ってもらえるなんて……すっごい嬉しい。ありがとな」


 あまりにも素直だし、何よりも彼は自分より大人の男性だ。もともと自分のデザインを他の魔法士に語ることもないからいきなり気恥ずかしくなる。でもだからこそ胸を張る。


「アンタの名前も、いい名前だよ。二人が即決してた」


 その二人をウィルは語らない。リュクスが聞かないから。でもリュクスはその名前を胸中で呼んでそっと手で押さえた。両親が、思いを込めてつけてくれたもの。


(ティアナ……)


 私の、名前。


「いい名前ね」

「だろ?」


 リュクスはうつむいて、ゆっくり頷いた。その名前がしみ込んでくる。でも、と顔をあげる。ここでは、自分はリュクスだ。


 この名前は自分の胸の中にしまい込んでおけばいい。


「もし聞きたかったらもう少し話すけど?」


 リュクスはゆっくりと首をふる。


 これが最後の馴れ合い。もう二度と彼らと笑い合うことはない。

 唐突に口を開く、彼らが何かに気づいてしまう前に。そして口をはさむ余地もないほどに彼らの思考を捕らえた。


 お腹に力をこめる。それを上に持ってきて、頭の先から放出するように声を発する。


 魔力を一気に高めて、瞬発的に彼らより強大にする。彼らが気が付く前に力ある言葉を唱えた。


『“律 要。ウィル・ダーリング。あなた達に命じます。“私のことを嫌いになって”』

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