第73話.転移魔法
「助産院って知ってる?」
首を傾げるウィルに説明する。
「こっちでは魔女がお産を取り上げるけど。あっちでは助産師が開いた産院があってね。私たちは、医師と同じで開業権があるの。そこは医師がいなくて助産師が院長。私はそこで働いて、のちに開業してた」
ウィルは日本にいたから、なんとなく病院とかクリニックの違いが判るみたいだけれど、助産院は知らないみたい。日本人でも聞いたことがある、という程度の認知度だから仕方がない。
「医師じゃないから法律上、薬は指示がないとつかえない。でも嘱託医に緊急時の指示書は貰っているから薬は最低限揃えているけれどね。でも異常を察知したら搬送しなきゃいけないから、その見極めは大変」
そこでは自然に産みたいという産婦さんが産みにきていたし、勿論バックアップの病院で年に数回の健診はそちらで受けてもらう。異常があれば引き受けてもらえるよう連携はしていた。
「そこで産めるのは異常がない方だけ。でも、お産はリスクだらけ。最中に出血がみられる、血圧が上がる、母親に熱がでる、赤ちゃんの心拍が乱れる」
病院でもそんなケースはしょっちゅう。その時には『医師に報告』で済んでいた。あとは、『様子観察の指示をもらった』ですむ。いざという時は、スタッフ総出で帝王切開だ。
でも助産院では、自分が責任を負う。医師に報告ではない。自分が院長だ。病院スタッフとは違う重い責任。かといって『おかしいな』ぐらいでは提携病院に送ることはできない。
大抵の異常の兆候は杞憂に終わり、無事に出産になるケースがほとんど。
ただ産科は”一瞬で”異常になると言われる世界だ。一瞬見送ったせいで、いきなり出血多量になり、死産になることもある。
「――思い返せば、魔法よりも難しいかもしれない」
そう言うとウィルの目が驚きで見開かれた。
「魔法は自分の魔力と技能。女神の力があった時は全て織り込み済み、結果は予想どおりだったから。でも医療は自分の想定外のことが起きる、もちろんお産もね」
ただあの時――女神の様子がおかしいと思った。
女神を感じないと思ったのに、何もしなかった。あれを見送ったせいで、アレスティアは墜ちた。アレが最初で最後の失敗だ。
ただ、ユーナという異端因子もあった。おかしいと思っていたのはずっと前。皇子達も、フィラスも言外に含んでいた。何をどうすればよかった?
ユーナはどうしようもなかった。胸に痛みが刺す。またユーナを思い出し、慌てて記憶を追いやる。
魔法の方が楽。お産の方が難しい、その話をしていたのだ。
「私の判断は、次に何かあった時に対応できるかどうか、なの。兆候がある、でもまだ次の兆候に対応できるならば続ける。次の症状が出た場合、対応できないと判断すればその時点で病院に搬送する。だから二歩先まで読んで行動する」
一人で産婦を見ながら、数分ごとに自分の診断について自問自答を続ける。
これでいいかどうか考え、異常になれば即座に切り替える。
「今回、できるという確信が半分以上あったから受けた。でもどっちみちこの
眠っていないから落ち着いて話そうとしても興奮する。高揚したリュクスの言葉を彼らは聞いている。それはどう思われているのだろう。カーシュの目はいつもの様子。黒く透き通るようで、リュクスの姿が写っている。
反対にウィルの方が熱心に聞いているように思えた。微笑ましくではなく、口元を引き結び、一言一言を漏らさない様子に少し違和感を持つ。
「モリガン医師の言葉を聞いたでしょ。『諦めろ』って。助かるか助からないかは神のみぞ知る、この世界はそうなの」
黙っているウィルに続ける。
「アレスティア医療は進んでいた。でも地方では内科医が産婦を見るようなレベルよ。だから、やれることをするしかない」
「そうか」
でも、と続けようかと迷う。
この技術は、アレスティアでも確立されてないから知らせないほうがいいと頭の隅によぎる。でも気がつけば口から滑り出ていた。
「転移させる
二人の目が注がれている。転移には、陣を描かなければいけないし、対で作られる。入口と出口、両方が描かれていて、その扱いに長けている魔法士がいないとできない。
「俺らの世界では転移魔法はないけど。使えるの?」
ウィルに尋ねられて首をふる。個人がその場で開き”望んだ場所”に行ける転移魔法はない。
「使えない。でも……最終手段はあったの」
濁して話す。
「エレインをトレスの王宮に転移させるという選択肢もあった。そうすれば王宮の侍医に対応してもらえたかもしれない」
とはいえ、産科医は待機していないだろうし。フィラスなら驚きはしつつも対応してくれそうだけど、国王の前にいきなり送られるのもエレインは嫌だろう。
「できたとしても運べるのは一人だけ、妊婦を送るというのはハイリスクだ。転移の衝撃で無事に済まされる保証もない」
カーシュの指摘に同意する。リュクスもそう思ってその選択肢は避けた。
「それよりも。……エレインは産める、と思ったの」
この人のお産はうまくいく、もうすぐ陣痛が来る。もう待機に入っている、そしてうまくいく。
そのカンは毎回来るわけではないけれど、そのカンを感じた時は外したことがない。
エレインは大丈夫、そう思った。
だから受けた。
「……そういうのもあるんだな」
「ええ」
過信とは違う。過信は油断に繋がるけれど、お産のカンはデーターにない情報を感じ取っているんだと思う。ウィルの声は少し硬く、しんみりしていた。魔法のことよりも何かを考えている気がして、気になる。
それを見ていると“転移”という言葉に、彼らが興味を引かれたのかはわからない。二人は顔には出さない。方法も聞いてこない。
けれど彼らの世界には”転移魔法はない”という言葉をリュクスも頭に留める。
ウィルとカーシュは転移してきた、けれど別ルートで来たようだ。
そしてウィルはリュクスを連れ帰ろうとした時、自らが転移陣を描いていない。
何かの機器で連絡を取り合いゲートを開いたようだった、しかもその後トライしないというのは自分では不可能だということ。
(つまり、送迎できる誰かがいて、連絡を待っている?)
ただ転移陣を展開させても、同じ世界の中だけ。他の世界に行けるのは、自分が特別なケースだったと思う。
つまり転移だけではなく、次元を繋ぐ能力も必要だ。
ウィルはできない。カーシュも即座に自分を連れ帰ろうとしない様子を見ると己ではできない。
連絡が来たら問答無用で連れ去られてしまうのか、彼らはどうしようとしているのだろう。
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