第65話.図書室にて


 いなくなったティアナリュクスを見送り、ウィルは小さく息をつく。彼女は真面目だし根を詰める。情を絶ち切れない優しさもある。


 そして、かたくなだ。


 ウィルは苦笑した。本人が気づかない危険を察知して、どこまで踏み込ませていいか、見極めるのは自分の役目だと思う。無理にやめさせて噛みつかれても仕方ない。


 最後に見たのは三歳。妖精のように可愛くて、無邪気で愛らしかった。

 今もその時の面影を重ねているかというと違う。あの時とは違う、人格が形成された立派な大人の女性だし、ツンデレだ。


 好みのタイプとはだいぶ違う。時折見せる影を払拭させるために、からかって笑わせてやりたい。

 そこまで思って、ウィルは眼差しを伏せた。……もう二度と、あんな思いはご免だ。

 ――自業自得で、未だに自分を許せない。 


 ウィルはいつまでも消えない過去を、一度息を吐くことで頭から追い出してティアナリュクスのことを考えた。

 

 転移のタイミングの連絡は、まだ来ていない。

 本当は、有無をいわさず連れ帰るつもりだった。けれど、彼女は役目を果たさないとこの出来事を引きずるだろう。いや、果たした後も、責任感からここに残るのではないか。


 カーシュの命だと、儀式に臨ませて失敗させるのか、もしくは彼女を帰させて、かつ妨害するのか。

 今言わないのは、後にその場で命を下すからだとわかっている。


 目的を果たすためには臨機応変、それが自分達のやり方だ。


 今の二人も、独自に動いている。ある程度の隠密行動を行う幹部になると、連絡を密に取り合わなくなる。

 それでも相手がどう動くか、感じ取り動く。そうやって鍛えられた。仲間の行動を予測しろ、自分が何をすべきか自分で判断しろ。  


 ただし、命に納得していない場合は作戦からは外される。

 今回はティアにほだされているから、命に従いたくないのだ。団長の命令には理由がある。


 恐らく自分がティアナを押さえ、カーシュがアレスティアを落とす。


(するしかないんだろうな)


 ティアナに嫌われて、恨まれても。


 あの子は甘い。アレスティア人に利用されるのがわかるから、どこかで引かせなきゃいけない。


 そう思いながらも、したいことはさせてやりたいと、ウィルは屋敷内をそっと歩いていた。

 

 今、外からの侵入者はカーシュに任せていい。そして屋敷内で不審な動きをするものは、魔法なしでも感じ取れる。


 異質な気配は、空気の揺れで感じとれる。だから多少、見張り以外の動きをしても問題はない。


「ま、俺が不審者になるんだけどね」


 当主の屋敷の一室で、ウィルはわずかに苦笑した。


 大きな屋敷は大抵、図書室をもっている。書斎兼用の場合もあるが、ここは別れているようだ。

 そしてここの当主が書斎にこもっているのはわかっていた。


 戦地への潜入もあるが、上品な館へ忍び込む場合もある。お目当てのものを見つけるのは組織のメンバーとして必須条件。しかも魔法なし、で。


 魔法を使うにはリスクがある。一番は魔法が感知できる者に“魔法がある”と知られてしまうこと。魔法を見抜かれるほど馬鹿ではないつもりだが、その油断も禁物。


 しかもこの世界は、魔法の黄金期と呼ばれていたところ。自分が知らないことがありすぎて、警戒は最大限にすべきだ。


 ぴたりと閉まったドアの中、明かりがなくても家具は見えるが書物を読むのは難しい。

 しばらく気配を消して、他の人間がいないことを確認して、ウィルは手を組む。

 魔法を使っても問題ない、と判断した。


 光球は初歩で、自分の世界では一瞬でつけられたが、この世界では魔法の構成の仕方が違う。

 女神の光脈を使わない魔法ならOKと言われていたから、それを試す。


 第四指を左右つなげて火を生む、第三指を上からくぐらせ風を、第二指の水で制御。一秒ほどかかって外に光が漏れないような帳をつけた灯ができる。


 内心、やばいなと思う。一秒はかかりすぎだ。

 自分は火系魔法が専門だから、火を出すのは簡単なはず。けれどここの火の属性サラマンダーは気まぐれで、呼び掛けても思うように発現しない時もあった。


 いずれにしても無意識下で、瞬時に明かりのコントロールぐらいはできないとやっていけない。それに加えて五つぐらいの魔法を同時に使えないと、あの子を守るということさえ、厚かましい。


 魔法が使えない条件下で潜入したこともあるから、使えなくてもなんとかなる。

 でも使えないのと使わないとでは、全く違う。


 以前と同じくらいに使える方法を見つけないとな、と思いながら書棚を眺める。


 そもそも、アレスティアは幻の魔法の文明大国。魔法の黄金期と呼ばれた時代だ。

 研究者には垂涎の的。

 もちろん自分たち魔法師団の人間にとってもそうだ。


 団長に呼ばれたときは、ティアナリュクスを連れ出すことしか頭になかったが、ここで貪欲に力を得てこないでどうする。


(調子を落としてる場合じゃねーって)


 モノにしてくる。


 そう思いながら、赤い装丁本を取り出す。立派な装丁だが、適度な重さで使用感がある。書棚の飾りではなく、読みこまれた感がある。つまり実用されている、ということ。


 このトレス国はアレスティアの女神正教はあまり布教されていないと聞いていたが、この街は隣国のシルヴィアに近い。

 シルヴィアはアレスティアに傾倒しているという情報があるから、この街もそれなりにアレスティアの女神信仰に通じているのだろう。


 本の表紙を見ると予想はあたり、アレスティアの聖伝と呼ばれる本だった。


 開くと、女神を讃える文言が目に入った。

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