第47話.私の主


『――“僕”の愛しい子、そちらに戻って来たんだね』


 人外の存在が、リュクスに愛しさを含んだ声で呼び掛けてくる。彼は、どの世界からでも会話ができる。けれど、どの世界にいるのかは教えてくれない。


「ええ。アレスティアに戻ってきたわ」

『――”パパ”、だって?』


 彼がくつくつと笑う。頭の中に響きのいい低音が響いて、リュクスは顔を赤く染めた。“パパ活”の相手にしたことを、彼はちゃんと聞いていた。


「ごめんなさい、つい」

『――光栄だよ』


 その響きは楽し気で、寛容な言葉にホッとする。けれど、チクリと続きがあった。


『――僕は君の守護者であり主人だ。他の人間たちとは格が違う、だろう?』


 それは、ユーナやカーシュとの主従契約のことを指しているのは明らか。皮肉なのか、対抗心なのかわからない。でも、あまりよく思っていないはわかる。


 勝手にそれらをしたリュクスに釘を刺しつつ、彼らなんて目じゃない、って言ってる。

 内心舌を巻く。主の声は耳にも心にも甘い。けれど、優しいだけの存在じゃない。


「あれは不可抗力、というよりも……私の、弱さよ。ごめんなさい」


 リュクスの主は優しいけれど、その一線を越えてはいけない。彼を第一にする、そして粗雑にしてはいけない。言い訳をして謝罪をすると、それ以上は何も言われないから許してもらえたらしい。


「それで、その……」

『――君が望むならば聞こう』


 リュクスは考えた上で口を開く。この問いならば問題ない。彼は偉大な力をもっているれど、叶えてくれることには限りがある。境界線をこえてはいけない。


「今の、この世界のことを教えてくれる?」


 彼は、他の世界のことは教えてくれない、リュクスがいる世界のことだけを教えてくれる。だから、日本にいた時はアレスティアのことは教えてくれなかったし、今は日本のことは教えてくれない。


 不意に頭の中に情報が入ってくる。それをリュクスは読む。


「アレスティア2006年。アレスティアが落ちてやっぱり六年ね。アレスティアに侵攻していたフェッダ軍はアレスティアごと海に沈み、残りも掃討。他国はフェッダに追従しなかった」


 フェッダは他国と結託してアレスティアに侵攻をしたと思っていたのに、単独行動だった。そして今はまた、自国の領土の地下世界に追いやられている。


「当時の王の独断決行として、フェッダの現王は前王の首をアレスティアの王族に送りつけトレス国に調停を願い、アレスティアは休戦協定に応じたのね。取るはずだったアレスティアの領土は海に沈み、フェッダは兵士を失いかなりの和解金を払い痛手となったはず。何のために、フェッダはアレスティアを襲ったのかしら」


 地下世界の住民が空に憧れた? 本当に統治できると思った?


 今、アレスティア人たちは空に再び昇れるまで、各国に客領と言う特殊な制度で領土を借りているようだ。プライドが高いため、難民や移民扱いは我慢ならないのだろう。でもそれを払えるだけの裕福さはある。


 そしてフェッダは、鉱物資源が豊かだ。その和解金でアレスティア人は客領への支払いを賄っている。


「フェッダの現王の名はザイファン。現在、フェッダ人は地下世界にとどまっている。かの国に攻め込むのは大変だし、アレスティアも復興が優先だから、アレスティアとフェッダの両者は緊張状態、と』


(あの白髪の人が王になったの!?)


 リュクスの胸がぺたんこだと言った失礼な人だ。上からワンピースの胸元をのぞき込む。そしてため息をついた。


(いいわ。別にもう会うことはないし)


 そして失礼な奴のことは、忘れることにした。


 現在リュクスたちがいるトレスは、アレスティアの友好国で保護を約束している。当時は王太子だったフィラスが国王となっているし、アレスティアの第四王子のジャスがトレスの王都にリュクスを呼んだのは、王族がトレスの王都に滞在しているからだろう。


 アレスティアの王侯貴族は、トレスの王宮に間借りしている、という状況だろうか。


(プライドが高いアレスティア人の相手は大変だろうけど、フィラスならばそつなくこなすわよね)


「トレス以外の四国、モーガン、ベナン、シルヴィアは傍観。シルヴィアはアレスティアに傾倒していたけど、日和見主義で権力になびきやすい国民性だから、落ちたアレスティアに積極的に関わらないのも無理はないわね」


 さらりと現在の状況を確認して、リュクスはところで、と頭の中で問いかける。


「アレスティアはなぜ落ちたの? 誰が、黒幕?」

『――……愛しい子。人間にはそれぞれの理由がある。僕が伝えるのは事実のみ』 


 そうだった。その行動の正否は人それぞれ。彼はそれに興味を持たない。


「ユーナが、逃げたのは本当?」

『――聖女と君が呼んでいる存在が、アレスティアの儀式に臨まなかったのは事実だ』


 複雑な言い方は、何かを含んでいるのか、それともただの言い回しか。


 彼は本当に欲しい情報や本当の願いを叶えるには、対価を求める。

 リュクスはまだ一つ目の願いの対価さえ払い終えてない。


『――あの娘が気になるのかな?』

「いいえ、もういいわ」


 探さない。もう、彼女は自分を置いて消えたのははっきりした。いや、最初から……わかっていたのだ。彼女は儀式に臨まず、自分も置いていく気だったのだと。


 あれから六年。彼女は――ユーナは、自分のことはもう忘れている。


 二度と関わらないと、断絶されたのだ。思い出してくれることさえないだろう。


(覚えて、引きずっているのは私、だけ)


 日本では“ユーナの国”として彼女を思い出して、アレスティアに来れば、彼女の裏切りを思い出す。どこにいても辛いと思い知らされる。


『――あの者たちと行かないのかな?』


 主は優しく尋ねてくるけれど、あの二人を嫌っているのがわかる。脅しも混じっているけれど、それに屈しているわけじゃない。


 リュクスなりの理由で断っているのだ。


「……行かない。こちらでするべきことがあるから」

『――母親のことでも?』

「彼らが私を訪ねてきたのは、行き詰っているからよ。彼らと行っても何も得られない」


 リュクスは、ひとつの不安を思い浮かべた。


「我が君……こんなこと聞いてはいけないのはわかってるけど。お願いは――」

『――君の最初の願いは叶えた』

「ありがとう……」


 本当は、主に尋ねたい。どのような結果にしたのか教えて欲しいと、今どうなっているのかと。


 でも、それ以上を聞いてしまうと機嫌を損ねてしまう。


 ところで、とリュクスは声音を変えた。


「我が君、少し提案があるのだけど」

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