第43話.さよならの転移陣
「当然だな」
「当然よね」
丸テーブルに向かい合って座るウィルとリュクスが同時に頷き合った。街の人からは早く出て行ってくれと追い出された。まあ当然だ。
「一つ聞くけど。私の父親という人は、あなたみたいに鬼畜なの?」
窓際に立ち、外と反対の扉を見張るカーシュは突然の問いかけにも戸惑わず、それどころがわずかに顔を穏やかに緩ませる。
「――俺なんて、足元にも及ばない」
これまでで一番満足げな顔だ。というか陶酔しているような。
リュクスは一瞬だけ顔をひきつらせた後、無言で立ち上がり、暖炉上の陣石を取ってカーシュの足元に円を描く。
「何をしている」
「帰って。もう帰って」
彼らの世界への転移陣はウィルが発動させたときに覚えている。足元に素早く描いてその方向をウィルにも伸ばす。二人まとめて、さようなら。
肩をたたかれる。カーシュの左手が置かれていた。
「今のお前には無理だ」
指摘にムッとして顔をあげると、穏やかな顔は変わっていない。挑発でも馬鹿にしているわけでもない。
「無理をするな、魔力がない」
リュクスは息をついて、彼を無視するように振りきり椅子に戻る。長い髪が翻る。
アンタとなんか喋るもんか、と背中で語る。
お前呼ばわりしてきて、勝手に誓約をしろと迫ってきた勝手な男、ストーカーちっくなヤバい人。
成り行きで小屋にあげたのは、これ以上街で悪さをしてほしくないから、人間に容赦しない彼の行動基準は自分に害をなすかどうか。
なのに
でもこちらが拒絶すると時折切なさを見せる。傷ついたような目で手を差し伸べるのを躊躇う。
(そういうの、一番困るのだけど)
いったいどういう感情を自分に持っているの?
わかるのは、凄腕ということだけ。魔法の腕もさることながら、それを使わなくても戦闘能力がすさまじい。ウィルもそうだけど、彼らのいた組織はなんなのだろう。軍隊?
まさか自分がお姫様というわけでもないだろうけど……。
(そう言えば、ウィルが一番最初に転移をさせようとした時、『姫様』と呼んでいたけど)
まさか信じるわけにはいかない。聞きたくない。
強張った顔で、わざとカーシュを見ないでいたら、床に屈みウィルはリュクスが描いた魔法陣をまじまじとのぞき込んでいたな。
「転移陣、あの一瞬でよく覚えてたな……」
唸って感心している。あれは彼が描いたものを更にシンプルにした。だから難しくない。
「でもこれ出口指定がないじゃん。つまり空間に閉じ込め?」
「――だって、あなたたちの出口がわからないもの」
転移陣には、必ず入口と出口が必要、そしてそれを起こした魔法士と引き受ける魔法士。
ウィルの転移陣は入口だけで、受け手がわからないから描かなかった。
そう思うと、アレスティアから東京に飛ばされたのは運が良かった。あの不完全な魔法陣でよく行けたと思う。
下手をしたら次元の狭間に閉じ込められてしまっていた。
ただあの時”自分が”描いたのは魔法陣だったのに、なぜ転移したのかはわからない。次期王と名乗っていたザイファンから逃れようとした破れかぶれの行動?
自分はそんな不確かな魔法は使わない。でもあの時の記憶があいまいなのだ。
――ウィルは、しゃがんでリュクスが描いた魔法陣を指でなぞり、まだ感心している。読み取れないと思うけど、もしかして解読しようとしている?
「カワイイ嫌がらせだよな。でもマジで閉じ込めちゃえばよかったのに」
前者はリュクスに対して、後者のカーシュには本気が入っているのかわからない。
先ほどちらりと聞こえた話からウィルはカーシュの部下だったみたいだけど、恨みがあるのだろうか。
ただ、互いには認め合っているようにも思える。気が合っているようには見えないけど。
(でもそんなことは、どうでもいい!)
リュクスはさっきの惨状に不満を漏らす。
「人助けのつもりが、怖がらせただけじゃない」
「最後のは俺らが悪い。でもあの品定めは最悪だね」
あれに、ウィルは嫌悪を示す。
「――彼らには彼らの常識があって。自分たちとは全く違う。生きていくための優先が違うのよ」
「……へえ」
「何?」
「いや……随分、達観してる」
リュクスは淡々と話をつづけた。
「私は助産師だから。平和な日本でも、生きていくために子供ではなく自分を優先する親もいた。子供を放って男性パートナーを優先して母親じゃなくて”女”に戻ってしまうのもね。虐待を肯定してはないけど、その環境も、その性格形成も考えるべきで責めはしない。魔物が出るこの世界で、命の危機や街の存続のために、人を価値づけをして利用するのも当然なのよ」
特に出産というのは、その人の人生を変える。赤ん坊を置いて逃げる人だっている。
(だから、私の親も、きっと何かの事情があって……)
そこまで考えてやめる。自分を置き換えるのは辛くなる、息を止めてこみ上げてきた感情を胸までで抑える。
顔をそむけたリュクスに、ウィルは何かを感じたのだろうか。視線を感じるからそちらが見れない。少しだけ優しい声が、こちらに響いてくる。
「――でもさ。相手の価値観に自分が犠牲になることはないからな」
確かに、と思った。理解しても、それに付き合う必要はない。あの街では女の獲得が大事。それを解っていたからといって、自分を犠牲にする必要はない。
(……ただ逃げるためには、そうするしかなかった)
ユーナのことを思いだす。彼女の立場、選んだ道、それが辛いだろうとユーナに入れ込みすぎて、自分も巻き込まれた。
(でも、あれは――どうすればよかったの?)
逃れられなかった。突き放せなかった。
案外指摘が正しくて、ウィルを見上げると、彼は微妙な顔をしていた。少し顎を引いてリュクスをわざと睨みつけるような表情だ。
「でも、アンタが女として自分を餌にしたのは許してねーぞ」
ウィルが声を低くして唸る。
(……まずいかも)
彼は、自分を犠牲にしたリュクスを叱ろうとしている。
どうして、だろう。もう気づいていた。
彼は任務だけじゃなくて、本気でリュクスを守ってくれる気だ。
兄に似たような、身内に近い存在としての心配。たぶん……自分をすごく大事にしてくれそうな。
そのことを深く考えると、自分の中の何かが影響されそうで怖い。……一人で立てなくなる。
「随分とこの世界で女の獲得競争が激しいみたいじゃん?」
ウィルの言葉に、カーシュが頷く。
「出生時からすでに婚姻を定める家もある。嫁いでいても、多夫制や共有婚もある」
「共有婚?」
この世界の事情に詳しいらしいカーシュにウィルが尋ねる。もう察していて、不快そうだ。
「妻を共有するものだ」
「多夫性とどう違うんだよ」
変わって説明しようとすると、カーシュが手で制止して話を続ける。性的な問題は、自分の専門だったのに彼は気遣いを見せたようだ。
「多夫性は、女性側も選ぶことができる。共有婚は多数の男性で女性を共有、というより囲いこむもの」
「ふーん」
不機嫌そう。ウィルは軽いようでフェミニスト。女の子で遊んできた、というタイプではないのだろうか。
「そこの風習は、その必要性があってできた、というのもあるから。ただ外聞も悪いし、大声では言えないから。よそ者は踏み込むというより関わらないほうがいい」
リュクスが言うと、二人とも黙る。
「何をもって常識とするかはその文化が決めるから。ただフリーの女とみれば街ぐるみで欲しがる、たとえ異世界からの人間でも」
ウィルが一層眉をひそめる。
「ウィルはこの世界になじみがないものね。異世界からの人間は一応、管理されるの。番号と名簿で記載される。どの国の誰のものか、と所有を明確にされるのね」
「へえ」
なるべく軽く言う。その件に関しては、自分も他人事じゃなかった。でもウィルに言うことじゃない。
明らかに嫌悪しているのを窘める。
「でも、日本を含むあちらの世界でも戸籍で管理されるじゃない? それと同じよ。で、こちらに来た男性はあまり歓迎されないで労働力として売られる時もある。女は誰かの嫁にと歓迎される。それだけよ」
「それだけって、人を人としてみてない。つまり……人権が確立されてない、世界か」
「あっちでもそういう国もたくさんあったでしょ」
リュクスが言えば、ウィルも黙る。
「大きな争いは国、つまり国王への審判に持ち込むけど、小さな揉め事は街内の寄り合いで解決。そんなのどこの世界のどのコミュニティでも同じでしょ」
「それでも。ここみたいにあからさまに群がる男たちにアンタは自分を利用した、それについては許してないし、次にやったらマジで怒るからな」
マジで怒る、というのはどういう方法を取るつもりだろう。
「自分を犠牲にしない。一応、平和な日本じゃない、わかってるだろ? アンタは弱い女の子なんだよ、対応できるとか思うなよ」
弱い女の子、に反論しようと口を開きかけると制するように彼は言葉を滑り込ませる。
「返事はいいよ。ただ自覚しとけよ」
今度は気配を和らげ、口調はさらりと軽かった。
怒った後、ちゃんとフォローする。追い詰めたら自分が反発するのを見越しているウィルに、リュクスは何も返せなかった。
「わかったわ。……気を付ける」
あの街には恨まれているかもしれないけど。そこまで考えても仕方がない。
「二人とも、手助けしてくれてありがとう」
「いいよ、アンタを守るついでだし」
「俺は、すべきことをしただけ」
ウィルの性格はわかってきたけど、カーシュのことは全然わからない。
かといって、今日のことを話し合うことはしたくない。セルモンを結んでしまったけれど、穏便に離れたい。それにはどうしたらいいだろう。
その考えを見越したように、カーシュがリュクスの前に回り込み片手をテーブルにつき、のぞき込んできた。
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