第44話.葡萄酒の攻防

「――先ほどは具合が悪そうだった。今はどうだ?」


 じっと見てくる瞳にはごまかしがきかない。だから視線を外してはいけない。


「――あなたの人間に対する仕業のせいよ。あとは誓約セルモンの負担」


 斜め向かいに腰かけているウィルも静観している。でもこの説明だけじゃ足りない、と無言の圧力をかけてくる。


「あんなふうに魔物を爆発させられたら、気分が悪くならないわけがないでしょ」

誓約セルモンの負担とは? そんなものが受け手側にもあるのか?」


 彼が屈み手が伸ばす。けれど触れてこない、覗くのは不安げに揺れる眼差し、悪かった、と。その黒い瞳に吸い込まれる。なんであんなに残酷なのに、自分には切ない顔を見せるの?


「もう平気よ」

「説明になってない」


 文句は言いたかったけれど、心配されるのは嫌。

 話を終わらせたくて、立ち上がり背を向ける。棚の下から瓶を取り出し、自分のゴブレットに赤い液体を注ぐ。


「神域に当てられただけ。今は平気」


 そして飲み干そうとゴブレットを持ち上げると、背後にいたカーシュがそれを取り上げる。高い背では上から屈まれるのはあっという間、その上、長い指で大きな手に易々と握りこまれると取り返せない。


「ちょっと!」 


 彼が匂いを嗅いで、リュクスを見下ろす。それがアルコールだと察知したようで、上に掲げて返してくれない。


「未成年だ、成長が妨げられる」

「日本では飲んでいたもの! それに今更成長もない!」


 瓶の中身は、葡萄酒だ。過去に街で葡萄酒づくりを手伝って貰ってきたもの。


 ただ保存魔法のせいで、年月がたっていないから年代物になっていない。一年程度のもの。

 とはいえ、自分たちの手足でつぶした葡萄だし、衛生的ではないから寝かすのには向いていないけど。


「んー。まあ、あっちじゃ成人で通してたもんな。そりゃ飲みたい気持ちもわかるけど、まだ成長はすんじゃねーの?」

「どこよ」


 ウィルは勝手にカーシュから瓶を取り上げて別のゴブレットに葡萄酒を注いで、「あまっ」と苦い顔をした。


 突っ込むリュクスに「んー」と言って眉を顰める。

 わずかに考えた顔。

 ちらっと顔から全身を見下ろして、首をかしげ視線をちらっと固定してまた外す。


 彼のその視線がよぎったのは自分の胸元だ。


「失礼ね!」


 確かに、ささやかですけどね! かろうじて寄せてあげてBカップ。でも痩せているせいか、ぺったんこにしか見えない。


「ないない、なんでもない。そこを見たわけじゃないって!」

「じゃ、どこを指したの?」

「ほら、そういうのも魅力あるって! 好みのもいるから大丈夫」

「やっぱり見た!」


 焦っているウィルは、どこかコミカルな雰囲気を作ったようだけど、こっちとしては許せない。まあ兄妹喧嘩みたいで呆れたと流してもいいけど、ワインは返してほしい。


 カーシュは黙っている。ここの会話に入ってきたら、マジで追い出す。でも、眉を寄せて何かを考えている? 


「――俺は、構わない」

「は?」


 突っ込んだのはウィル、まだ会話を続けるつもり? というかカーシュはなんで入ってきたの?


「そこは成長するならした方がいい。でも今のままでも十分」

「は、ちょっと何!?」


 一瞬聞き間違えたかと思ったけど、違うよね。


 リュクスは口を引き結んだ。『そのままでもいい』とか、私のその、Bカップのことだよね。


「そのままでいいなら返せ」


 全くそんなこと言いそうもない顔で、よく言ってくれる。

 ていうか、考え込んでいるの?


「好みは人それぞれ。俺はどちらでもいい」


 リュクスが睨むと、ウィルも唖然としている。


「いやさ……」

「ただ、俺のものだ。侮辱はやめてもらおう」

「アンタのモノじゃない!!」

「もしかして、カーシュ。アンタ酔ってる?」


 ウィルは疑わし気に尋ねる。彼はもう三杯目を飲み干している。甘いのは、砂糖をたっぷり入れたから。

 発酵は糖分を餌にするから、作る際にアルコール度数をあげるには砂糖をたくさん入れる。でも餌になっちゃうからそこまで甘くはないはず。彼の指向だと思う。


「いや、アンタ飲んでないよな……嗅いだだけでラリッてんの?」


 カーシュは切れ長の目でウィルを冷ややかに見下ろす。街中で見せたような魔物や人間たちに見せるような怜悧なものではない。ただ、見ればわかるだろう、というような視線。


 この人は、言葉は少ない。視線や空気で語る。

 まつ毛は長く、その目だけを見れば色気がある。

 鼻筋は通り、頬はシャープ、精悍な顔立ちだったけれど経験を積んで甘さを捨てた、そんな雰囲気が冷ややかさを周りに与える。

 

 なのに、言う内容おかしくない?


誓約セルモンを結んだ、俺の主人であり一心同体。俺のものと主張する権利がある。肉体を害するものを主人に禁止するのも、主人の侮辱を晴らすのも俺の役目」

「あのさ、そんなに固くしなくても……」

「神々に誓った。害するもの全てを排除すると」


 なんか、凄い固いのだけど。でも、自分の自由はどこ? ていうか、この人マジ真剣なの? そしてやたらに私を自分のモノだと主張している、ヤバい。


「あなたに禁止されるいわれがない」

「守護者として」

「セルモンを結んだからと言ってそこまで権限はない」

「――これからきっとまだ成長する」


 ギョッとして見つめるが、彼は妙に真剣で熱でも宿したような視線で見ている。しかも”きっと”、”まだ”、という中途半端なこと言った。



 恨むように睨むのをどこ吹く風でカーシュは、リュクスから取り上げた葡萄酒を飲み干した。もしかして酔ってるの? それとも、まさかフォローされているの?

 少し口角があがっている。もしかして微笑してる? あんな残虐なことをする無表情人間なのに!?


「アンタらセクハラ。たたき出すから、そのワインを返して」


 リュクスが怒りを込めて低く発言をすると、カーシュは立ったままリュクスを見下ろす。


「今のお前では、俺には敵わない」

「喧嘩売ってるの?」

「売ってないし、挑発でもない。事実だ」


 ぐっとつまる。

 事実だってわかっている。彼は強い。魔力も高いし、何より実戦に長けている。

 魔法の能力としては絶対自分は上だけど、今はほとんどの魔法が使えない。


「嫌われたくて言ってる?」


 ウィルが突っ込んでも彼は無視。

 彼はわずかに目元を和らげた。表情を変えないから、気のせいかもしれないけど。

 リュクスの悔しそうな顔に、微笑みで返している。

 言い返そうと身構えると、穏やかな表情のままだった。


「……だから、俺が守る」

「……」


(何、それ……)

 

 『守る』、それに何も言えなくなる。

 ずるいと思った。


 黒い瞳でじっと見つめられると苦手なのだ。心が落ち着かなくて、弱くなる。きっとそのせいだと自分に言い聞かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る