第40話.ヤバい人です

 カーシュと呼ばれた彼は、返事をしなかった。ウィルとたぶん同じ世界、同じ組織から来た。


 けれど同郷の気安さは一切ない。相手にしないというそっけなさ。


(カーシュ……?)


「お前はずっと、東方地域を押さえていたんだろ?」

「俺が、願い出た」


 そっけなく言って彼は、今更のように周囲を睥睨する。人々は肉片と化した魔物の死体におののいて、リュクスたちに怯えた目を向けている。


 自分たちも魔物扱いだ。


「雑魚を一層する必要があるが、その前に用がある」

「あん?」


 カーシュはウィルを相手にしていない。振り払うようにすり抜け、代わりにリュクスに手を伸ばして「立てるか?」と声のトーンを落とし優しく尋ねる。


 そのギャップにウィルが不満そうに眉をあげたのが見える。


 リュクスは無言で指先だけが出ている革の手袋に包まれた手を取る。


「ここの人間はいずれ障害となる。火種は先に潰す」

「ちょっと待ってよ! 相手は人間なのよ?」


 いきなりの言葉に取りかけた手を振りはらう。まさか雑魚って、人間のことじゃないでしょうね。カーシュは苦情を言ったリュクスに目を向ける。


「いつだって、一番やっかいなのは人間だ」


 その冷酷な瞳に、リュクスは息をのんだ。


 魔物を倒すことを生業として、人を殺ることにもためらいがない。魔法の能力、そして戦闘能力は著しく高い。そんな組織のボスが自分を探しているって何?


 本当にヤクザ? 何かの犯罪集団?


「……あなた達は、何者、なの? どれだけの人間をここに送り込んだの」


 ウィルが笑う。


「ようやく、聞いてくれたかっていう感じだけど」

「……」


 彼は黒いジーンズの埃を払い、改まったようにリュクスに向き直って不敵な笑みを浮かべる。


「俺は、グレイスランド王国魔法師団第一師団ソード。S級特級魔法師グランマスター西方支部特別分隊長ウィル・ダーリング」


 黒髪のカーシュが渋面で口を開く。


第一師団ソード、S級特級魔法師グランマスター、元東方部統括総司令隊長カーシュ・コーエン」


 ウィルとは違い淡々と告げる。それらの長い名称にあっけにとられていると、ウィルが続ける。


「君はアレスティアのディアノブルの塔の最強にして最期のつかさ、そして俺たちソードの団長ディアン・マクウェルの娘、ティアナ・マクウェル。改めて今度は君に頼むよ」


 彼が手を差し伸べる。


「俺たちは君を迎えに来た。グレイスランドに来て――」

「――嫁にもらいにきた」


 カーシュがウィルの長口上に被せ、ティアナの前に片膝をついた。その言葉と行動と発する気配はすべてが嚙み合っていなくて、正直何を言われたのかわからない。


「え?」「は?」


 それぞれの声は、自分なのかそれともウィルか。ウィルの口がぽかんとあいているから、黒髪の彼と示し合わせたわけじゃない。


 そのの抜けた顔に笑っている場合じゃない。


「過去に成し遂げられなかった誓いを今、果たす」

「過去って……」


(……え。人違いって言ったのに?)


 押し通すの? なにこのひと。やばいひと?


 記憶をたどって困惑していると、彼は手袋を脱ぎリュクスの手の甲にうやうやしく額を押し当てる。その手の大きさと逞しい力は、男性のもの。


「ま、待って!」


 手を握り、片膝をつく。その意味する行為は何をする時?

 彼は何をしようとしているの?


 止めなきゃ、何かが始まる。


 そう感じたと同時に、ひき抜こうとして外れないことに驚いた。硬い手がホールドしている、丁寧に掴んで額に押し当てるなんて、騎士のような動作。なんか技を決められているような……。


“――この地を統べる闘神オルディス神よ、聞き給え”


 オルディス神!?

 このトレスでの土着神であり、最高神名が出てきて、呆然とする。


 視界が揺れて、空間が白く紗幕が下りたように感じた。

 人々のざわめきが遠くなり、カーシュとリュクス二人だけが半透明な空間に閉ざされる。

 

 目の前には片膝をつくカーシュの伏せた黒髪だけ、橙色の髪のウィルの驚いた顔が薄い膜の向こうに見える。


 ”我は己の持つ、全ての力を持って、この娘にかかる災厄、危機、呪い、あらゆる害し傷つけたるもの、そして襲い掛かるすべてを潰し、報復する”


 いきなりの神域が作られて宣言される、それをリュクスは呆然と聞いていた。


 ――この世界は契約に満ちている。


 言葉自体に力があり、それはくさびとなる。


 誓約を神や精霊が聞き届け、それを破ることは身も魂も引き裂かれるという報復が待っている。


 ――それは誓約セルモンと呼ばれている。



”そして、契約の女神イリヤよ。この娘が死しても、我が命が尽き魂だけとなり果てても、けして離れない。この娘の身と魂を永久とこしえに至るまで守り傍にいる”


 リュクスは、ただ立ち尽くすだけだった。


 ……オルディス神は、魔力を持たない武力の民トレスを中心とする不動大陸で信仰される最高神だ。闘神であり、勝利や復讐、乙女を手に入れる時への強い願いなどを彼に誓う。

 そしてイリヤはアレスティアの光の女神であり契約の神。両者は不仲で並列するのもおかしいし、なんだかアレコレ頼みすぎだ。


(それより、も)


 死んでも離れないの!? え、なんで?

 潰すとか守るとかも訳がわからないのに、何を言われて、何を突っ込めばいいのかわからない。


 見下ろす黒髪に呆然と問いかける。


「死んでも……離れないの?」

片時かたとき足りも」


 彼は顔をあげて、リュクスを見上げてしっかりと頷いた。

 その瞳をのぞき込むと、闇色の瞳は奥が濃い藍色。


 その意図は見えない。


 そして、周囲には聖なる力が渦を巻いている。


 精霊や神々への言葉は取り消せない。

 煌めく黄金の光が円を描き、らせん状になり二人を囲んでいた。


「……ねえ。ま、って」


 どう考えても、それを認めるわけにはいかない。成されてはいけない。

 神に捧げれば生涯を通して、その誓いを守り通さなくてはいけない。


 リュクスの声はたよりなく、うろたえていた。

 いつも動じることがないのに混乱が極限に達して、しかもその混乱はグイグイ来る圧にさらに増してくる。


 掠れた声で静止すると、深く下げていた頭をカーシュはあげて、ひたむきで優しく見える眼差しを向けてくる。まるでリュクスに愛情をもっているかのようだった。


「ずっと、この時を待っていた――長い間」


 暗闇に沈んでいたような目は、熱を帯びてけして覆さないと言っている。


 形の良い唇が、滔々と慣れているかのように文言を繰り出す。


“そして、世界の魔法の元素を司る神よ。アマティール=テネクス土の王、アクトヴァス=サエウム水の王、ナーエ=アウダクス風の王、ラジーニ=アロガンス炎の王


 そこで、カーシュはリュクスの彼方へと目をむける。まるでその向こうにいる神々を見据えているかのような挑発的な眼差しをする。


“――よく、聞き給え”


(なぜ、その名前?)


「だ、だめ。その名は――」


 声が上ずる。動悸が煩い、どうやって止めればいいのかわからない。すでに彼らには聞こえている。

 

”――俺は、死するまで、そして死の後も、この娘ティアナ・マクウェルの守護者となる。そして伴侶であることを――宣言する”


「ちょっっと待って!!!」


 リュクスは叫んで、その手を振り払おうとする。なのに、抜けない。

 片膝をついたままの彼に向って身を乗り出す。


「今の何!?」

「宣誓だ。認められれば誓約セルモンになる」


「そうじゃなくて、そうでもあるけど。はんりょ……って、今のなに!?」

「あなたが――」


 彼は一呼吸おいて、リュクスを見上げた。

 わずかに間をおいて、少し眉根を寄せた。


 それから、深呼吸をして口を開く。

 その動作がつぶさに見えてしまうほど、リュクスは凝視していた。


 「あなたが――俺の妻になり、俺が夫となること」


 いや、と彼はかぶりをふる。わずかに黙考していて、言い直すのかと思ってついその間を待つ。


「――婚姻を結ぶこと。戸籍を入れること。家族となること。生涯を共にすること」

「……いや」


 呟いて、もう一度叫ぶ。 


「嫌っ!」

「――拒否権はない」


 先ほどまでは少し丁寧だったのに、急に断定的になる。

 いや、これまでも断定だったけど、もしかして、気を悪くしたの?


「ぜったい、嫌」


 リュクスは切り裂くように叫ぶ。そして彼を見下ろし凝視する。彼は口を結んでリュクスを見ている。

 膠着状態で混乱の中、リュクスは考える。


(私の……せい?)


 力を使った覚えはない。初対面ならば、まだ及んでいないはず。…どうだろう。

 ただ、彼は”自分の意志”で全ての言葉を話している気がする。


「一応、聞く。嫌だと思う理由は?」


(一応?)

 

 その切れ長の黒目は悠然とし、顔は涼し気。それにリュクスは叫びたくなる。これまで自分は冷静な性格だったと思うけど。

 

 この人変、としか思えない。

 落ち着いて、と自分をいさめる。


「あなたのこと知らない。あなたのことが好きじゃない」


 全然堪えていない顔だ。


「生涯を共にしたくないし、死んでも一緒はいや、守ってくれなくてもいい……」

「それだけか?」


 腹が立ってきた。

 

「――戸籍性反対」


 まるで教官だ。もしかして、彼のいる組織の入隊試験かもしれない。

 リュクスは睨みつけて、「今は思いつかないけど、それだけで十分でしょ」と告げる。


「どれも理由が弱い」


 そしてカーシュと呼ばれた男性は、ばっさり切り捨てる。


「まず最初から番号付けをして1は俺は覚えている。だが忘れられているならそれもいい。誰でも最初は初対面からだ。そして2から4の返答は、好き合えばそう思うようになる。そして戸籍については、どの世界で婚姻届けを提出するかによるが――」

「だから提出しない」

「この世界では、男の保護者がいない女性は非常に暮らしが不利になる」


 リュクスは絶句して彼を見下ろした。


 すごく当たっている。リュクスが渋面で睨みつけると、カーシュは清々しい顔をしている。表情が変わらないが、なんとなくわかるようになってきた。


 さっきまでリュクスが覚えていないと言ったらムッとしていたし、今は嬉しそうだ。



 (何で、嬉しそうなの?)


 覚えていないのは、もしかして、という理由がある。

 けれど、彼がいきなり求婚してきたことも、また思い当たる別の理由がある。


「……私の、能力のせい?」


 リュクスが頼りなく小さな声を絞り出すと、カーシュは今までの不遜な顔をひそめて、いぶかし気な顔をした。


 「いや」と呟いて、黙考する。

 

「何かの能力のせいではない。俺の意志だ」

「……お願い、だから」


 そう言われても安心はできない。訳がわからず、嬉しくない求婚なのは確か。でも、それ以上に、距離を近づけられるのは困る。不安と混乱がうずまく。


「……いや、なの」


 ぽつりと呟いた弱った声に、彼の目が揺れる。何かを言いかけた口、金色の光を帯びて渦巻いていた神域が衝撃で揺れる。

 

 ウィルがスニーカーの踵で神域を蹴りつけていた。


「ちょい、ちょい。そっちで盛り上がんなよ」


 パラパラと神域を作る金の膜が崩れて、落ちていく。

 神域を壊したウィルの能力にも呆然とする。


「契約を邪魔すると、神から何らかの制裁がくだるが」

「んなの怖くねーって。むしろ神様に会ってみたいね」


 今はウィルが助けだ!

 なので。その隙に! 手を! 抜こうと! するのだけど、離れない!

 なんなの? なんなの?


 二人の男の会話になったなら、自分は解放して欲しい。


「何の事情かは知らねーけど。そんなの団長が許すと思うのか?」


 最初は、彼らの世界に連れていく方便かと思った。けれどウィルの表情に浮かぶのは困惑。その次に不満、ウィルが制止しないのは事情が分からないからだと思うけど、全く納得がいってないのもわかる。


「だから、“元”と言った」

「あ?」

「追放された」


 ウィルが絶句して、暫く固まっている。そういえば所属を名乗っていた時、そんなことを言っていたような……。

 この人たち、全く意思の疎通ができてないの?


「それ、言ったの?」

「お前には関係ない」

 

 ウィルが顔をゆがませる。カーシュは変わってリュクスを見る。


「不安にはさせない。悲しませもしない。俺が生涯、必ず守り通す」


 その瞳に真摯さと必死さがあるような気がしてしまう。


「しない……。なんで?」


「守るには片時も離れないこと。ならば伴侶となるのが、最も有効」

「……守ってもらわなくていい!」


 不意に彼が笑みを浮かべた。目は細められ、口角があがる。


「俺は、逆らわれればされるほど、従わせたくなる」


 ……ヤバい人だ。

 肌が粟立つ。逃げたくなる、顔を引きつらせ何かを言いかけた時、チリと嫌な感覚が肌を走る。


 呆然としていたウィルでさえも、背後を振り返る。


 自分たちを取り囲む人々はただ困惑をしてみている。

 その背後に巨大な影が差す。人ではありえない大きな不気味な姿に、ウィルは人々に鋭く警告の声を発した。

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