第38話.パンチしてやりたい

「魔物より人間のほうがひでーな。倒してもらって、礼もなしかよ」


 ウィルは動じていないけれど、緊張を高めている。リュクスの方だけに気配を向けて、守って逃げ道を探している。


「アレスティアが墜ちて魔法士狩りが始まったの。トレスでは禁止されてるけど、魔法士が魔物を呼ぶって歓迎されてない」

「は?」

「ううん」


 出来ればしたくなかった。間違えれば、よくない結果になる。それを思えばためらいもある。でも、怖いなんて感情は捨てた。


 医療現場では、急変でこの人死ぬかも、と思ったことがたくさんある。

 その時の、ぞっとする焦り。

 

 一番怖いのは、自分の死を意識した時かもしれない。――でもまだそれは先。

 

 それ以上に、アレスティアを落としたのは自分だ、たくさんの人の人生を変えた。 

 その責任の重さに、怖さを思えばすべて怖くない。 


 まだ疑問を残したままのウィルの前にリュクスは出る。そしてフードをあげた。

 鏡で見たのは、小さくて可憐な顔だ。長い髪はマントの下に入れてあるけれど、男に見間違われることはないだろう。


 途端にざわつく気配が立ち込める。彼らはリュクスの姿を凝視している。我ながら、なかなかの美人だとは思っている。


「女か…」

「女、だ」


 周囲を見渡しても、どこにも女の姿はない。魔物や火事で建物の中に隠れているとはいえ、一人も姿を見せないのは日本ではありえない。


 女が極端に少ない、それがこの世界だ。

 だからこその、希少性がある。


(ここからは、勝負ね)


「――私は魔法士よ。でも魔物は呼んでいない。通りすがりに火事をみて精霊に頼んで雨を呼んだの、それだけ」


 妖精たちに呼びかけるには声の質も大事。透明で鈴を転がすような可憐な声、ただしよく通るように明瞭で中音を心掛けている。


 リュクスの姿に見入った後、彼らは相談するような視線を交わしてそれから向き直る。その視線は、魔法士に向ける敵意とはちがっていた。


 これまでとは違い値踏みするような視線。


 魔法士を追い出すのと、女を獲得するのとどちらが得か。彼らの中では計算が始まっている。


「――アンタは魔物を呼んでいないのか」


 一人の体格のいい男が一歩踏み出して尋ねてくる。衣装からは裕福層に見えない。どこかの職人ギルドの代表みたい。彼が口を出しても誰も言わない。代表のように彼が交渉役にこの場で決まったみたいだ。


「違う。私は昔、森に住むニルヴァーナの助手をしていたの。昨日王都から帰ってきたのよ。森から火事が見えたから、手当てに来たのよ。――彼は薬草を求めた客人よ」


 ウィルは何も言わないけれど、垣間見た顔は眉を寄せている。なんだよそれ、という不満な声が聞こえてきそう。リュクスの言葉、状況判断を探っている気配はある。


 ウィルは敏い。彼がわかってしまう前に、話をつけなきゃ。


「もし必要なら手当を手伝うわ」

「――それより、アンタは男はいるのか? そいつが赤の他人ならアンタ自身に旦那は? または父親や兄弟や保護者は?」

「――いないわ」


 リュクスの提案には応えない。けれど彼らの聞きたいことはそこだけ。そしてざわめきが増す。その高揚感に気づいていないふりをする。


(――かかった)


 彼らは手当も必要としていないし、魔法士という肩書ももうどうでもいい。


 狙いは“女”。


 嫌な目配せにどうしようもないと思うけれど、これはリュクスが狙ったことだ。


 街の人間たちの包囲が狭まった感じがした。魔獣を捕まえるのとは違う、警戒はない。油断しているけれど、出口を塞いでいる。


 人垣から、お腹周りが立派で、ベストを着た男性が現れる。つけている真鍮製のボタンに印が彫られ、名士のようだった。


「評議会長」

「私がこの街の代表のルーベルト・アッカーだ。アンタが魔法士かどうかは知らんが、倒してくれたことで不問にしよう」


 ウィルが不機嫌そうに鼻を鳴らす。確かに不快な言葉だけど、ここはにこやかにしてほしい。リュクスの企みにうすうす感づいて邪魔をしそうで不安。


「――お前は、森の魔女の小屋に住んでいるのか?」


 まずは、餌をちらつかせ魔法士としての敵意を薄めさせる。その餌は自分自身、だ。


「ええ。昔手伝っていたのよ、この街にも来たことがある。もしけが人がいるならば、治療を手伝うけれど」


 笑みを見せて、何も気づいていない女性のふりをする。


「宿はいらないわ。適当にそのあたりで寝泊まりするし」


 火事に襲われた街で、寝床を用意しろとはいわない。代表してルーベルトが答える。


「好きにしろ。寝床は、うちが貸す。だが、その男は出て行ってもらおう」


 リュクスはゆっくりと頷く、ウィルだけでも逃がしたい。

 自分は頃合いを見てそっと出ればいい。


 もう取引は決まったも同然のなか、ウィルが不意に確信犯的なわざとらしい馴れ馴れしさで肩に手をまわしてリュクスを引き寄せる。


 反射的に顔を振り仰ぐけれど、彼は愛想のいい営業マンばりのスマイルを浮かべていた。


 善良そうな、と言いたいけれど、実にうさんくさい。


「何か勘違いしているようだけど。俺の妻に手を出さないでくれないかな?」


 その時彼が発したのは、完璧なアレスティア語。

 

 アレスティア語はこの世界の共通語だけど、首都の人間は訛りがない。それは教養の表れで、しかも首都から来たことの証拠。

 ウィルのアレスティア語は完璧で訛りもない。

 これまでとは全く違う人のよい笑みを見せた彼は、リュクスに微笑みかける。


「ごめん。浮気なんてしてないっていっただろ、そんなにいつまでも怒るなよ」

「ウィル!?」

「王都から追いかけてきたのに、もう他人だなんてひどいな」

「ウィル。私とあなたは他人よ!? なんの関係もない――」


 言いかけて言葉選びのまずさに気がつく。彼の台詞を補強しただけ。


 ウィルの笑みが深くなる、けれど太陽色の瞳の色は濃く琥珀色になり、有無を言わせない雰囲気だ。


 ――怒っている。肩にまわされた手に力がこめられていて、身じろぎしても外れない。


「愛しているよ、ダーリン。それに昨晩はあんなに積極的に――」

「言わないでよ!!」


 ウィルが笑った。反論すればするほど彼の言葉を認めてしまうことになる。その笑みにリュクスは拳を握り締める。パンチしてやりたい。


「アンタらは――」

「勿論、愛し合った夫婦です。だから変な気は起こさないで欲しいな」


 冗談も使いこなしている。


 もともと、この世界に来る前の召喚で使った言葉がアレスティア語に似ていると思っていたけど。街に来ての短時間と、リュクスの発音でアレスティア語を習得した。


(どれだけ、能力が高いの……?)


 こんどこそ戸惑う気配、この収拾をどうやってつけたらいいのか。


(火事は消した、魔物も倒した。彼を巻き込まずに逃がすのは失敗……あとは)


 ウィルがその瞬間、素早くリュクスを後ろに引いて背に庇う。

 短剣を構えて、前へ飛び出る。両腕をクロスさせて飛んできた石つぶて防ぐ。


 悲鳴が響き渡り、前方の石造りの家が崩れた。そこから人が逃げてくるが、ありえない速度で突然吹っ飛ぶ。


 これまでリュクスを包囲していた人間の一部が倒れ、また一部は立ちすくみ、それから慌てて逃げ出す。


 ウィルが舌打ちをする。


「――来たかよ」


 狭い路地から黄色と黒のまだらの長い首がのぞく。まるで蛇のようだけど、その大きさは異常だ。

 崩れたがれきから、現れたのは、頭から尻尾まで十メートル近くはありそうな二つ頭の巨体だった。


「キリム……」

「上級かよ」

「あなたの世界でもそうなのね」


 この辺りにキリムのような上級の魔物が出るなんて信じられなかった。二つの長い首の上にはそれぞれに頭がついて、左右に別々に動いている。


 角のように太いとげが全身を覆っている。赤光する表皮は固く、刃物を通さない。

 太い体には八本の足、各足には鍵爪は四つ。


 そして勢いよく振り下ろされている棘だらけのしっぽ。素早く動き、一振りで十人近くの人間を薙ぎ払い殺すほどの殺傷力がある。


「っち。とりあえず、喧嘩の仲直りはまたあとで、つーことで。ダーリン、後ろにいろよ」


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