第31話.炎の王

 暗闇でも目立つ明るい髪、そして太陽のような瞳はリュクスの背後に回ると、グイっとまとわりつくものに手をかける。


 闇の中で燃え盛る炎だ。


(ああ、そうか)


 彼の属性は――炎だ。


 意識が途切れそうになる。


 最初はリュクスも反動で引っ張られていたけれど、彼は手際よく禍々しいものの筋を切り裂いて、それを足で蹴り飛ばす。同じように揺らされて意識が戻る。


 そして彼はリュクスの腰を片手でしっかり抱きしめると、ぐいぐいと水面に上がっていく。


 その動作は流れるようにスムーズで力強く、もう安心だと思ってしまう。

 あっというまに水面に勢い良く頭が出る。


 急に空気が肺に流れ込んできて、水面で咳き込む。苦しんでいるリュクスをそのままに、彼はぐいぐいと岸辺へと連れていく。


 そしてリュクスの腰を掴んだまま片手で自分の身体を持ち上げる。


 流れるような動作だった。

 リュクスは、四つ這いになったまま、激しい咳をして水を吐く。ウィルは背中に回って背を叩いていたけれど、リュクスが水を吐きだしたのを見て、今度は手際よく手足にまとわりついた枯れ木の様なものを短剣で切り裂いて外していく。


 そして、脱いであった自分のシャツを背中にかけてくる。水を吐きながら顔をあげれば、彼も上半身は裸だった。鍛えた腕の筋肉と割れた腹筋が見える。


「ごほっ、ごほ……ありが、と」

「……」


 彼は無言だった。その沈黙にいぶかしく思って、顔をあげるといきなり腰を片手で引き寄せ抱き上げてくる。


「ちょっ……っ」

「冷えきってる。聞きたいことと、言いたいことは山ほどあるけど、まずは身体を温めるのが先」


 シャツは肩にかかっているだけ。身体の大部分は裸で、胸もお腹も彼の肌に密着している。

 抱きしめられている腰も素肌だし、お尻も丸出しだ。


「ちょっ……私、はだかっ……」

「知ってる。だから、温めるんだろ」

「やだっ」


 淡々として抑揚の押さえつけた声。


「やなのは、わかる。けど話は後だって言ったろ」


 口を挟ませない口調で、彼は裏口のドアを足で蹴飛ばして開けようとする。さすがにそれはどうなの、と思ったら視界の端をかすめた燐光に、リュクスは身体をこわばらせた。


(魔法!)


 リュクスが暴れると、ウィルも気づいたみたいだった。

 彼はリュクスを地面におろしつつも、腰を腕で抱いて更に強くひき寄せる。耳に顔を寄せて「離れるなよ」と短く言い放った。


 その研ぎ澄まされた気配に身がすくむ。

 彼の右手が軽く伸ばされている。

 いつでも魔法を放てるような構えに、リュクスは慌てて「待って」と言い募った。


「何?」


 リュクスを見もしないで彼は気配を張り詰めさせ、探索の魔法の手を周囲に伸ばしている。

 唐突に泉の傍に置いてあったランプの炎が大きく燃え上がる。ランプのガラスは砕け散り、さらに大きくなった炎が焚き火の様に空へと手を伸ばす。


 その炎に何かの攻撃をしようと動かしたウィルの手を掴む。


「待って。敵じゃない」

『――久しいね。僕の、子猫ちゃん』


 そして、耳通りのいい声が響いた。柔らかくて楽し気でつい聞き入ってしまう声。


 だけどその場違いな明るさは暗闇の森の中では怪しく響く。

 ウィルはリュクスの腰を抱きしめたまま、目の前の炎を凝視している。


 少しだけ殺気を緩めたようだけど、警戒の眼差しは一層強い。炎に照らされ陰影のできた顔は、声の主を睨みつけたまま。


「……ぼくの、こねこ、ちゃん?」


 ウィルの不機嫌な声が響く。リュクスに問いかけているのか、声を発する炎に向けているのかわからない。眉をひそめ「ああん?」という不良がメンチ切ってるかのような声。


 ところで、メンチって何だろう。メンチカツ?


『お帰り、と言うべきかな。無理やり連れてこられたようだけど、下手な魔法で怪我をしないでよかったよ』


 ちょ。

 陽気で楽し気に見えるのに冷ややかな眼差しを浮かべている姿が想像できちゃう。


 炎が揺らぎ、声を発するたびに、ウィルの魔力が少しずつ高まっていく。

 

 相手もウィルも、既に臨戦態勢!? この二人初対面のハズだけど。

 自分は関係ない、そう思うのにこの空間にいたくない。

 それなりに雰囲気険悪な病棟にも慣れているのに。

 

 リュクスはウィルに囁く。


「あれは一方通行のメッセージ、会話はできないから」

「誰?」

『ところで、そこのそいつ、離れて』


「……一方通行って言わなかったっけ? 見えてるの?」


 ウィルの不審感と闘争心が刺激されてる。片頬をあげて、睨みつけながら舌打ちをして攻撃をどうしようかな、って顔で炎を見つめている。


 そうか、ウィルも炎の使い手だ。似たもの同士は相性が悪いっていうように、彼らも反発し合うのかも。


「そんなに見えてないわよ、テキトー。挑発にのらないで!」


 女神が消え光脈がなくても、彼にとっては魔法は自分から生むもの。炎を操りメッセージを送ってくるなんてことは、炎の王たる彼には息を吸うのと同じこと。


 ただ女神がいないのに、この世界に残っているのはどうして?


 リュクスは「大丈夫だから、離して」とウィルに言うが、彼は離そうとしなかった。

 仕方がないからそのままの姿勢で炎を見つめる。


「ジャス……」


 彼の愛称を小さく口端に昇らせる。

 懐かしい声。リュクスをからかい遊ぶときは愛情を込めていてくれた。リュクスは胸に走った痛みをこらえ、ウィルのシャツを引き寄せて胸を隠しながら、切なげに炎を見つめた。


『そうだよ、また会えたね。僕に会えて、嬉しい?』


 笑い声が響く。その笑い声に惹かれて宮廷中のご婦人たちが、いつも周りを取り囲んでいた。

 彼は冗談も、女性の可愛らしい仕草も大好き。

 ただ調子に乗って図にのると冷ややかに手のひらを返す。

 

『とはいえ、再会の抱擁は直接会ってからだね』

 

 直後に、声が低くなる。この場の温度が下がったように感じる。


『――時が来た。トレスの王宮、グレイノア城に来て欲しい』


 そう言って、少しだけ考えるように言葉を切る。その間が珍しい。


『二人、いや三人か。色々下手へたを打っているようだけど、うちのお姫様は無事に届けるように。傷一つつけるたびに、一人潰すよ?』

「ちょっと、ジャスっ」

「んだ、お前」


 ウィルが前に出て出した手のひらを握り締める。

 その狙いは、揺れる炎。ゆっくりとした動作、魔力が一気に彼の身体から出ようとする瞬間、リュクスは腕を掴んだ。


「だめっ」


 瞬間放出系の爆発型だ。しかもそのエネルギーを極限まで凝縮できる。

 彼が身にまとわりつけていた今までの魔力は、ただ漏れ出ていただけ。

 膨大なエネルギーをぶつけ、炎を相手に返そうとしていた。


 リュクスが止めたその一瞬で、ジャスの炎は話は終わったとばかりに天高く燃え上がり、唐突に消えた。


「……何で止めた」

「敵じゃないのよ……」


 まるで何もなかったかのように、燃えた匂いも、消し炭もなく闇が戻る。


 その一言だけを返してリュクスがウィルを押しのけて、ずるずるとしゃがみ込みそうになると、彼が抱き留める。

 力が入らない。魔力も、体力も、気力も全部燃え尽きた。


「お願い、立てるから、離して……」

「全然大丈夫じゃねーし」


 そう言って、ウィルは一瞬迷ったあと、今度は膝裏と背中に手をまわして横抱きにすると、リュクスを丁寧に部屋に運んだ。

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