第21話.夜がおわる


 来須さんが赤ちゃんに面会して、褥婦棟の病室に案内した後、リュクスは石爪医師にすれ違った。


 分娩室特有の陰圧になっている観音開きのドアから出てきたのは、仮眠室に向かう前に産婦の進行具合を見に来たのかもしれない。


「お疲れ様です」

「……おう」


 口も態度も腕も未熟な研修医の石爪ドクターは、最近は態度がマシになり『うるせえ』も言わずリュクスと挨拶を交わすようになった。


 ――それは、忘年会の時。リュクスは中盤の緩んだ雰囲気の中、たまたま隣合った彼に告げた。


「先生、『うるせえ』とか言われると、悲しいです」


 明らかに気まずそうに黙った彼は、「ごめん」と一言。

 その後、「うるせえ」と暴言を言わなくなった。


 人付き合いが苦手な自分にしては、我ながらうまい言い方だと思った。


 注意ではなく、こちらがどう感じたかを伝える。


 『悲しいです』それが効いたんだろうな。よっしゃ! と普段うまくこなせない自分の珍しくできた作戦が功を称したことをほめてあげたいと思う。


 間違いを指摘されるのは誰でも反発する、いい方には気をつけないと。


 相手ではなく自分がどうなのか。へり下さっても、なんでそんなことをしなきゃいけないの、と思っても、そうしなきゃいけない時もある――相手次第だけど、喧嘩を売りたいわけじゃないし。


 そうやって、男性に好かれてきた女性もいるんだろうな、と内心苦笑する。


 リュクスの職場は女性のみ。間違いを認めれば、途端にマウントをとられる。経験がなくて、まだ不安な処置を正直に言えば、と言えば「あんたできないんでしょ?」と下に見られる。だから経験が浅くても「自信ありますけど」淡々と。


 そんな強い同僚の中には男性相手に別の顔を見せる人もいるのだろう。自分は彼女達のそんな顔を見たことがない。……男性に甘えた顔を見せない自分は彼氏ができない。


 ――でも、男性と特別な仲になるのはごめんだ。


 彼とすれ違い戻ったリュクスは、ようやくナースステーションに腰を落ち着けて記録に専念する。


 まだ産婦さんはいるけど、残りの方が産むのは朝方だろう。

 今日も、忙しい。毎回忙しい。


「ひーちゃん、明日、というか今日は明け?」

「いいえ。今晩もまた違うとこで夜勤バイトです」

「若いねー。私も昔は夜勤明けで夜勤してたけど無理だよ」


 中島さんと笹谷さんに呆れたように言われる。


「来週、大学院で研究論文の中間発表会なんです。だから今日明日でバイト詰めて、そのあとはそっちに集中しようと思って」


 朝に帰って数時間寝たらまたバイトなんて、先が長すぎる。


「いくつバイトかけ持ってるの?」

「五つです」


 大学院はお金がかかる。なので、あちこちでバイトをしている。


 今晩行くバイトのクリニックは、セレブ御用達で有名だ。入ってすぐの壁には

「WELLCOME TO MOTHER AND BABY IS V.I.P」という文言が金の箔押しされている。


(複数形にまとめていないところが嫌らしいなー)


 ひとくくりにはしません。動詞が ”IS?” 個人あつかいです?

 それとも、英文を間違えたのだろうか?



 そこでは入院産婦が星でランク付けされていて申し送りで「この方は星三つです」とか伝えられる。

 特別室はブルガリのアメニティ付き。食事はフランス料理。

 すべての赤ちゃんはお預かりで、母乳の指導もおむつ替えも教えない。


(おむつ交換を教えておかないで、どうするのだろう?)

 

 御手伝いさんが退院後はお手伝いさんがいるのかもしれない。だから入院中は赤ちゃんの世話を覚えない、VIP病院。


「体力よく持つね。若いねー。いくつだっけ?」

「二十六、です」

「若い、若い」


 この感覚は、世間とは、ずれてるんだろうな、と思う。 ここは東京、二十代は若いと言われる。でも地方に行けば、結婚には遅い、つまりは若くない。

 アレスティアも女性の結婚適齢期は十六歳ぐらい、二十歳を越えたらいき遅れだった。

 まあ、アレスティアは平均寿命が六十歳だから、そのぐらい早く結婚、出産しないといけない事情もわかる。


 でも現代人も平均寿命が八十代になろうが、妊娠に適した年齢は変わらないのだけど。


「ひーちゃんは彼いるんだっけ?」

「いないです」

「でもモテるでしょ。心配ないよね」


 アレスティアにいた時の色彩や顔形からは、日本人とのハーフで通じる程度に変えてある。そしてそれは美人の部類になるから、よく口説かれる。だから否定はしないで苦笑だけ返す。


 若い、と連発されて、なんとなく顔をあげればブラインドが半分下ろされた、窓越しに夜が見える。そこには自分の顔がぼんやり写る。あれから六年も経つ。


 この世界の来た時は毎日ひたすら焦っていた。とにかく戻ろうと必死で方法を探した。女神の光脈も魔力もない中で、なんとか方法を探した。


 たくさんの文献を呼んでも、この世界には魔法がなく、方法はない。自分のこれまで培った方法は何も役に立たなかった。


 ユーナ、皇子達、フィラス、レイリー、彼らはどうしているのだろう。落ちた城は、そしてディアノブルの塔は。

 あの頃は、馬鹿だった。アレスティアの国民よりも、ユーナのことばかりを考えていた。


 大人になり、優先させるべきはそこだったのに、と後悔する。


 焦りで眠り、目が覚めるとこれは嘘ではなく、現実だと絶望する。

 それは、昔の自分と同じだった。


(また繰り返しだ)


 なんども同じ目に合うのかと、そういう運命なのかと思い知らされた。 

 たくさんの人たちを犠牲にして、この国に来た。今、あの世界はどうなっているのかわからない。


 魔法士の司、と呼ばれ、城を浮上させていたのは自分だ。それは夢のようで、でも現実だ。今でも魔法を使う感覚は覚えている。


 けれどこの世界には魔力は存在せず、リュクスも魔法はあれから使っていない。


 ――もう使えるのかもわからない。


「私、今日勉強しようと思って、勉強道具を持ってきたんですよね」

「それだよ、それ! だから忙しくなったんじゃない!」


 話題を変えるように呟くと、文句を言われて苦笑いをリュクスは浮かべた。


 棚にあるパンパンに詰まった自分のカバンを見る。

 今、大学院に行ってて今日は夜勤前に国会図書館で資料をコピーしてきた、その大量の論文とパソコンがカバンに入っている。せっかく読もうと思ったのに。


 看護師は、勉強が好きだ。なので、夜勤が落ち着いていたらと勉強道具を持ってくる人も多い。

 勉強道具を持ってくると、忙しくなるというジンクスがある。


「ひーちゃんって変わってる。というか助産師って、変わってるよね。助産道みたいのがありますよね、『こうでなきゃならぬ』みたいな」


 看護師の笹谷さんの言葉にリュクスは考え込む。


「……助産道。確かに。あるかもしれないですね」

 

 助産師によっては、適当でいいという人もいる。医師の言う通りが一番、その指示が何が悪いの、と。

 でも会陰切開は痛い、その痛みは育児を阻害するほど。なるべく避けられるようにお産を持って行きたい。


 医師が勧め流行り始めている無痛分娩のリスク、反対に母乳で得られる免疫の効能、お産への様々なこだわり、母乳へのこだわり。それを持つ助産師道が自分にはある。


 ……でも魔法士も魔法士道、があるかもしれない。そういえば、強い魔法士ほど魔法へのこだわりがあった。


 リュクスも、魔法の構成装飾はこだわりがある。けれど、魔法陣においては意味のない古典的装飾は嫌いだ。


 そう思うと、魔法士の副司であったレイリーも変な所でこだわりがあったし、リュクスに突っかかっていたのは、そういうところがあったのかもしれない。


 彼はアバーテ家の嫡男だ。代々最強の魔法陣使いを出してきた、最も古い血筋を誇る後継ぎ。

 だから、伝承的な意味のない装飾をこだわって入れていた。

 いや、止める選択肢なんてなかったのかも。それをディアノブルの塔の浮上魔法にいれることを、一蹴したのだからリュクスには恨みがあったのかもしれない。


 今思うと懐かしい。そして、あの地に残してきた彼にはきっと面倒をかけている。

 もしかしたら、自分が違う態度をとっていたら、違っていたのかも。

 

 ううん、彼とは話しあいなんてできなかった。あの嫌みな態度は、絶対無理!

 そもそも、人は話し合おうとはしない。そんなことは、よくわかっている。


「結局、専門家ってみんなそうかもしれないですね」


 でも、自分のこだわりがない専門家は、うすっぺらくて。何も考えなくて、周囲にあわせるだけ。それを一番軽蔑する。


 記録を終えたリュクスは立ち上がる。


「ちょっと夕食、食べてきますね」


 今は朝の四時。看護師の彼女達はとっくに夕食を終えているが、一人助産師のリュクスはこれから休憩。

 バイトでも全てのお産を仕切るので、ほぼ仕事を覆う形になる。

 また来る忙しい波に備えてリュクスは立ち上がった。

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