第20話.二人目の赤ちゃん(*)

 

「エコー、エコー!」


 リュクスは下がって、エコーと叫ぶ高田部長に場を譲る。

 そして血まみれの手袋を外して様子を見る。荷押し車のように重たい超音波エコーを笹谷さんが押してきて、来須さんの横に並べる。


 部長が来須さんのお腹にヘラ型のエコーを当てる。


 ――双胎のお産が大変なのはここからだ。


 一人目が出た後に、二人目は降りてくる。けれど、これまで頭が下でも、そのままで降りてくるとは限らない。


 くるんとまわって、逆子になってしまう時もあるし、下手をすると横位と言って、横向きになってしまう。

 そうなると出てくるのは不可能なので、帝王切開になる。その場合、ストレッチャーに載って手術室へGO だ。


 一人目を経腟分娩で産んでも、二人目が帝王切開になる場合もある。


「まだ高いな」


 高田部長がエコーを動かして白黒の映像に二人目の位置をさぐっている。モニターに映る黒と白の波線のようなエコーは、一般人には何が何だかわからないだろう。


 みんながエコーの画面を注視しているなか、リュクスは来須さんに話しかける。


「まだ二人目は、降りてこないので、少し待ちますね。自然にしてていいですよ」


 ただ頷くだけの彼女に、声をかける。


 まだ赤ちゃんは降りてこない。二人目がすぐに産まれるとはかぎらない。時には三十分ぐらいかかる時もある。


 リュクスは古いガウンを脱いで、手を洗って新しいものに着替えた。


「……痛くなって、きました」

「無理しないで。いきみたかったら、いきんでもいいですよ」


 そっと声をかけると、高田医師が声を張り上げる。


「きたきた、降りてきた。いいぞいいぞ! このまま、こいこい!」


 エコーの画像に目を向けると、赤ちゃんが、もにょもにょ動いている。次の赤ちゃんを担当するもう一人の新生児の先生が、穏やかに見ている。


「来い来い、そのままそのまま。向き変えるなよ!! いいぞ、いいぞ」


 部長の興奮が響き渡る。エコーを見ると頭を下にしてきている。


「ちょっと内診するね」


 と言って内診して、ハマった、と叫ぶ。


「頭だ」

kopコップ――!」


 すかさず中島さんが、この場の全員に伝えるように叫ぶ。頭位なので、このまま分娩続行だ。ホッとした、というより「さあ次、いこう」という引き締まった空気が広がる。


「――さあ、来須さん、あと一人、このまま行こう!」


 先ほどより小さいので、赤ちゃんはつるんと進んでくる、すかさず肩を掴んでそのまま引き出す。そして、小さくて、でも温かくてしっかりと重みのある体がするんと出てくる。


「おめでとうございます!!」

『十七時三十五分!』


 来須さんの次女の出産時刻を大きな声で中島さんが叫ぶ。

 蘇生台の上で、泣いている声は元気だ。


 力を抜いてぐったりしている来須さんに声をかける。


「おめでとうございます。がんばりましたね」

「……ありがとうごさいます」


 まだ力が入らない、というような来須さんがようやく目をあけて、もう一人の赤ちゃんの方を見て。またリュクスを見た。

 

***


 あれから三件のお産が終わり、陣痛室を覗くと、さっきまで痛いと唸っていた長田さんと夫が重なるようにウトウトと寝ていた。


「旦那さん……」


 そぅっと声をかけると、夫が起き上がる。時間は午後一時だ。


「少し、家に帰って休んできてください」


 ぼんやりと眠そうな顔で夫が立ち上がる。カーテンの外に呼んで「車ですか?」と問うと、頷く。


「いつ頃、産まれますか?」


 ちらりとリュクスは時計を見上げる。

 よくある質問だ。


 助産師は、学生の頃にフリードマンの開大曲線という図で分娩時刻の予測をさせられる。


 縦軸が子宮口の開大でゼロから十センチ。横軸が経過時間。

 最初は横ばいの線が、子宮口が四センチを過ぎたころから急速にお産が進むとされる逆L字型の分娩経過予測の図だ。


 そこに、胎児や胎盤、陣痛の強さ、骨盤の広さや産婦の疲労度、持病、身長や体重を加味して、助産師は分娩になる時刻を予想して先輩や指導者に発表。  


 そのフリードマン曲線で、ベテランがお産の時間を読んでいるかと言うと微妙に違う。学生や新人がそれから算出しても、ベテランから「違う」と一蹴されてしまう。

 八センチだから曲線に従うと一時間ぐらいのハズ。

 けれど八時間のまま一晩も経過したのに、「これから進むの?」と。

 リュクスも散々計画、つまり見込みを突っ込まれてきた。


 進まないのは陣痛の勢いがないから。産婦さんの過度な緊張と疲労が影響している。妨げる要因、それも考えなきゃいけない。

 

 自分の考えでは、助産師の役目は、お産が進むのに”足りないところ”を埋めることだと思う。

 疲れているなら休ませる。緊張しているならば、リラックスを。エネルギーが足りないなら、エネルギー補充を。


 ここで少し睡眠をとり力が抜ければ、明け方に少し進んできて、日勤帯に分娩室に入ってお産になるだろう。


「早くても七時以降ですかね。夜が明けるまではお産にならないので。それまで少し休んできてください。今ここで頑張ると疲れちゃうので」

「朝ですか……」


 夫にはまた明け方に戻ってきてくださいと促す。夫婦二人で頑張ってしまうと消耗してしまう、消沈する夫に、まだ産まれないとはっきり告げるのも役目。


 もう少し早く夫を家に帰して休ませてあげればよかったのだけど。

 見ると陣痛も弱まっているみたいで、少し産婦さんもウトウトしている。明かりを更に弱めて、休むように促す。


 陣痛は合間で眠くなる。βエンドルフィンという快楽物質が分泌されるのだ、ランナーズハイと同じ。そこで眠ると力が抜けてお産が進む。


 熟睡はできないだろうけど、そっと離れて眠気に任せてもらうことにする。


 リュクスは陣痛室を出てバッグヤードの冷蔵庫を開けて、イオン系飲料を一気飲みした。


 普段甘いジュースは飲まないけど、夜勤の最中はこれが一番。


 ハーッと息をつく。

 今晩、初の水分だ。喉が渇きすぎ。そう言えばトイレも行ってないけど、水分不足で全く尿意はない。


「ひーちゃん。夕食行って来れる?」


 ナースステーションで記録をしている中島さんと笹谷さんの二人に声をかけられる。時計を見ると朝の三時半。ようやく夕食。


 中島さんに促されて頷きながら、考える。


「来須さんの帰室、行ってきてからにしますね。NICU の赤ちゃんと面会できないか聞こうと思って」


 ここは分娩部なので、お産が終わった褥婦さんは上の病棟に移動する。その移動の際に、赤ちゃんに会えないかとNICUに尋ねるために電話を取り上げた。


 赤ちゃんは小さめだけど体重もあるし、状態も悪くないので、近いうちに母親と同室になると思う。でも出産直後に母児はほとんど会えなかったので、せめて顔だけでも見せてあげたいと思った。


 赤ちゃんの面会は、夜中なのでNICUへの入室は無理だが、廊下のガラス越しの面会ならばOKと言われた。


「少し遠いけど、わかりますか?」


 硝子越しの向こうでカーテンを開けてくれたスタッフが、保育器に入れている赤ちゃんをこちらに向けてくれる。遠い。正直申し訳なくなるほど奥の方にいて、間近でじっくり見ることはできないけれど、来須さんはしっかりと見つめていた。


「――私、神宮さんにお産を取り上げて欲しい、って思ってたんです」


 彼女はリュクスの方を見て、しっかりと告げた。


「お会いした時、お腹に触ってくれましたよね。あの時二人の子がしっかり動いて。喜んでるんだなって思いました」

 

 まさかそんな風に言われるとは思わなくて、返事が出てこない。けれどいつものように笑みが自然に浮かんで「ありがとうございます」と口にする。


「嬉しいです。こちらこそ、赤ちゃん、取り上げさせてくれてありがとうございます」

 

 ジワリ、と嬉しさがこみあげてくる。自分をいい、と思ってくれる人はいるんだ、ということ。


 少しの間の後、来須さんはぽつりと口を開く。ゆっくりと感慨深げに告げる。


「私、助産師さんになりたかったんです。でも勉強が無理で。だから、この子たちは助産師にさせます」

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