第16話.自由っていいよね(*)

*出血の話があります。苦手な方は避けてください。





「――ああもう! さっき連絡したのに、指示出てないじゃん。まったく」

 

 唐突に日勤の片岡さんの叫び声が響き渡る。

 切迫早産という、37週未満で子宮収縮がはじまり、陣痛抑制の点滴のため入院している妊婦さんがいる。正常分娩の定義は37週から。あと少しというところだけど、彼女は一応薬で陣痛を抑えている。


 ちなみに、まだ陣痛ではないので子宮収縮と呼んでいる。陣痛は、産まれる態勢になってしまった収縮のことだ。


 今日、医師に連絡したのに未だに指示が出ていない、と叫ぶ彼女に皆がチラリと顔をあげて逸らす。

 まあこんなのは日常茶飯時だ。ただ子宮収縮が強くなって陣痛になってしまったら困るけど。


Observe経過観察か? って、誰に訊いてんだよ!」


 彼女は昨日のPCのカルテを見て叫び、疑問符つきの指示に怒り心頭、素早く電話をかけ始める。

 

 

「先生! 竹内さんの点滴の指示でてないんですけど! 誰に訊いてんですか!? 日記は自分の日記帳に書いてください!」


(キツイ!)

 

 ぎょっとしてしまうけど、怒りに燃える彼女は言い放って電話を切る。


「片岡ちゃん。先生にはもう少し丁寧に」


 主任の中島さんが注意すると、片岡さんは「はーい」としれっと返事をする。


「私、性格悪いんで。こないだもマンションの隣の人に『こんな意地悪な人初めて見た』って言われちゃった」


 自分で”性格が悪い”って言うのは、なんだろう。

 「違うよ」と言ってほしい? それとも同意が欲しい?


 みんなもそれを聞き流す。

 面倒な事には返事をせず流して、仕事を続ける人たちだ。

 

「こないだも石爪センセがさ、オペ後の人の血圧が高いから夜中にコールしたら『俺は明日カイザー帝王切開なんだよっ』て怒鳴ってナースステーションに乗り込んできて、ゴミ箱蹴っ飛ばして出てったんだよね。だから『何様だよ。医師がそんなに偉いのか!?』って言ってやった」

「偉いんだよ。ドクターはいっぱい勉強してんだから」


 向かいの笹谷さんが突っ込む。


「えー、そうなの? だってムカつくじゃん。私がゴミ箱片付けたんだよ」


 強い。そしてリュクスも胸を押さえた。

 忙しかった分娩で出血量カウントをお願いしたら、その後リュクスは半年無視された。


 分娩は出血が多いからガーゼを大量に使う。秤に出血ガーゼをごそっと載せて測った後、血で張り付いたガーゼを一枚一枚引きはがし、ガーゼ枚数をカウントしつつ、一枚三グラムのガーゼの総量から引いて出血量を測る。


 一セット二十枚入っていたハズのガーゼが、十八枚しかない時もある、死ぬほど忙しい時にその二枚を探して泣きたくなる。数量合わない、はダメなのだ。


 大抵その二枚が他のガーゼに張り付いているが、医師が止血のために体内に突っ込んで、そのまま誰にも言わないで当直室に行っちゃう時もあるから、こっちは探しまくる。


 あのクソ忙しい時の、彼女の苛立ちのオーラが未だに忘れられない。

 その時はすみませんと言ったけど、何かが気にくわなかったらしい。


 そして石爪ドクターは確かに問題アリ、だ。

 自分も外来で次回の予約を取り忘れた、と困っている妊婦さんがいたから、診察の合間を見計らってドクターに『すみません』と声をかけたら『うるせえ』と怒鳴られた。

 

 くたばれ! と思った。そのあと休憩室で、点滴の空き箱を足でぐりぐり畳んでいたら皆に笑われた。


 冷静沈着な自分はどっかに消えた。この世界は、負けない自己主張が大事。

 しかし人間トラブルに関わらないことも大事、そして大人しく控えめだと自分では思っている。


「――それより、申し送りして」

「あ、ごめんごめん。ひーちゃん、送る」


 ただ彼女は”性格が悪い”とは思わない。バイトの自分が患者さん対応でわからなくて困ってたら、代わりに対応してくれたし。


 本当に意地悪な人は、困っているスタッフを見てもわざと無視して行ってしまう。

 

 片岡さんは”フリーダム”だ。自由。

 そう見える自分を作っているのかもしれないけど。


 今もリュクスを半年間無視してたことをなかったかのように、あっけらかんと申し送りをしてくる。


 別に友達ではないし、同僚としては楽だ。

 記録もフリーダムなので、彼女が書いた記録は判読不能で抜けが多くて辛いけど。

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