第17話.今度は(*)
全員の申し送りを受けて、まず双胎の来須さんの分娩室を訪ねる。
お産が近いわりに来須さんは意外に静かで、助産師の山田さんが横についているだけだった。
「――来須さん。神宮です、こんにちは。――どうですか?」
横になっている産婦さんと同じ高さに腰をかがめて、挨拶をする。ちょうど陣痛が始まったところで、さり気なく腰をさすりながら、一緒に深呼吸をする。
すぐに距離を縮めて、出会った直後に体に触れても許される職業は、なかなかない。最初は苦手だったけど、ベテランになるとさり気なく手が動いてしてしまう。
ただ相手との距離を図りながらだけど。
「……神宮さん、どうも」
「もうすぐお産になりますね。がんばりましょう」
先週会っていたから覚えていてくれたみたいだ。大丈夫ですよと言うように、目線を合わせて笑みを投げかけて腰をさすりながら、モニターを見る。
そして山田さんに目配せをして、二人で廊下にでて、聞こえないように申し送りを受ける。
「どうですか?」
「もうすぐ全開なんだけど、降りてくるには時間がまだかかりそうで」
――子宮とは逆さにした壺のようなもの。そしてその壺の口は閉じている。
分娩の時期になると、子宮は定期的に収縮する。
それが強くなると陣痛になり下の方に赤ちゃんを押し出しつつ、膣口、つまり子宮口もタートルネックの首のように少しずつずりあがって開いていく。
子宮口が十センチ開くことを全開という。
医師や助産師が、子宮口三センチ、六センチ、十センチ、と言うのはその出口を内診して指で測ったものを言う。医療者は全開して、ようやく「いきんでいいですよ」という。
ただ全開はまだ膣口が開いただけ。赤ちゃんの頭はまだ見えないし、上の方にいると降りてくるまで、一時間以上かかることもある。
「お産、どうされます? 取り上げていきます?」
「私は、勤務終了したら帰らなきゃいけないんだ。ひーちゃん、ごめんね。お願いする」
お産は思う通りにはいかない。産まれると思っても予測時間よりかかることも多い。そうなると自分も焦るし、それは相手に伝わる。
今回のような特殊のお産の場合は、
「わかりました」
分娩台で横になっている来須さんのもとへ行く。 あの時はまだ自分が担当するかわからなかったけど、これで自分が担当と決まった。
「来須さん、山田さんから担当代わりますね。よろしくおねがいします」
「よろしく……おねがいします」
「もうすぐですね。ここまでがんばりましたねー」
「ありがとうございます」
微かに彼女の顔にも笑みが浮かぶ。
合間に頷く彼女の腰をさすりつつ、雑音しか聞こえない心拍音に、お腹に張り付けたパットを外して、もう一度探す。
「なかなか、心音が取れなくて」
「……」
双子の場合は、心臓が二つあるので、両方が捉えられるように、それぞれのパットを当てるのが大変だ。
仰向けになってもらえば比較的見つけやすいけど、五キロ近いものがお腹に入っているので、上向きは相当辛い。
楽な姿勢の横向きになってもらうけど、そうなると身体の下になった赤ちゃんの心臓の音が探せない。
片方の赤ちゃんの心臓の音は元気よく鳴り響いている。そしてもう一つは、ザザザと砂嵐のような音。
聞こえなくなった心臓の音に、リュクスはパットをお腹の上を滑らしながら探す。
赤ちゃんは動くから、すぐに音が捉えられなくなる。
その上、硬いプラスチックのパットは平らなので、曲線の膨らんだお腹にあてると滑ってずれる。ゴムベルトで押さえるけど、間にタオルを挟んだり、色々と工夫が必要で難しい。
ようやく見つけて聞こえてくる心拍が元気よく鳴り響く。ベルトを締め直して、また来ますね、と山田さんに任せて分娩室を出る。
勤務に入って、状況把握をするまでが一番落ち着かない。全体を一通り見て把握できたら、あとはもう、自分の判断で走り回るだけなんだけど。
一度ナースステーションに戻って、次に陣痛室に行く準備をすると、パソコンに患者情報を打ち込んでいるリーダーの中島さんに声をかける。
「全開はしてるみたいですね。まだ(位置が)高いので、もう少しかかりそう。山田さんから私がひきつぎました」
「はーい。先生を呼ぶタイミングになったら教えて」
リーダーの中島さんに「陣痛室見てきます」と伝える。
一番早く産まれそうな産婦のどの部屋を覗くか、カルテを見ながら、足をためらわせると、中島さんに笑われる。
「珍しいね、ひーちゃんが焦ってるのって」
「いつも焦ってますよ」
いつも淡々と仕事をこなしていると見られているけれど、中身はそうじゃない。
魔法士の時は、大きな魔法を使う時ほど心が凪いでいたけど、お産の方が焦る。魔法は一人でやれば済んだ。
けれど、こっちは人相手でどんどん状況が変わっていくし、どんどん入院も来るし、思う通りにはならない。
自分の思い込みとか、「こう動きたい」という自分の癖も捨てて、臨機応変に優先事項を常に変更させて動かなきゃいけない。
助産師を選んでよかったと思っている。
独りよがりで、他者の声を聴くことさえしなかった自分。徹底的に根性を叩き直され、産婦さんと関わることで人が苦手じゃなくなった。
もしまた、あの世界に戻れることができたら……今度はうまくやることができるのだろうか
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