第13話.その約束を果たす日まで
瓦礫だらけで、何もみえない。
ザイファンは何者だろう。時期王を名乗るが、あの国はいくつかの部族の中で最も力のあるものが王位を継ぐ。
だとしたら、フェッダの名のある将軍だろうか。けれどフェッダの将を倒しても、もうアレスティアは持たない。
「逃げろ」
黒髪の彼の顔の焦燥は激しい。腹部から血が滴り落ちている。
その赤い血にリュクスは目を奪われて、呆然とした。血溜まりは、何かを連想する。
「私は、逃げない」
呆然としながら宣言する。アレスティアの司であり、ユーナの僕だ。彼の顔がこわばる。
「あなたはユーナの騎士でしょ?」
「違う。アイツがアレスティアを墜とした」
やっぱりとまさか、が沸き上がる。でも、確かにユーナは自分を置いて行ったのだ。
「じゃあわたしは……」
捨てられたの? 親友と言われた、本音を漏らせるのはあなただけと。
主従関係を結んで絶対の存在と言われたのに。何も言わずに?
「わけがあるのよね。追わなきゃ、ユーナを。助けなきゃ」
彼がリュクスの肩を掴む。そして顔をのぞき込んで言い聞かせる。
「しっかりしろ。アイツは戻ってこない。お前やアレスティアを捨てた」
そして続ける。
「もう民たちは避難している。逃げるんだ」
「逃げない。ユーナのことがわかるまでは……」
「いい加減にしろ!」
初めて彼が声を荒げた、つられたようにリュクスも叫ぶ。
「あなたにはわからない!」
叫んで、彼の頬に手を振ると乾いた音がした。絶対に防ぐと思っていたのに、彼は身じろぎさえしなかった。
ぶたれる瞬間、目もつぶらず視線もはずさなかった。
「……ユーナは主なの、主従関係を結んだのよ」
彼にわかるわけがない。誰にもわからない。二人の仲が良かったことを覚えてる人はいない、ユーナでさえもその事実をなかったことにした。
「大事な、人だったの。置いて行かれたなんて信じられない」
初めての友達、だった。
わかるさ、と彼は呟いた。
「いつでも。俺は……置いて行かれたことを受け入れられない。いまだに」
感情のない人だと思っていた。
いつも何も感じていないような漆黒の瞳。
その目に、その声に、悲しみを感じた。彼はずっと傷ついたままだ。
リュクスは叩いた頬に手を伸ばして、小さな手を当てた。彼をそんな悲しい目にさせたままでいることを、その人はきっと知らない。
もしかしたら知って後悔をしているかもしれない。そうだといいのに、と思った。
ユーナが何かを思ってくれていると、自分が願うように。
(そんなことは、ない)
きっとユーナは、もう私のことは何も思っていない。だから、逃げたのだ。
「叩いて、ごめんなさい。私が、その人の代わりになれたらよかったのに」
彼は驚いたように、目を見開きリュクスを凝視している。その顔にリュクスは寂しげに微笑みかけた。
呆然として赤くなった頬に体を伸ばして、指先で触れて撫でると彼は目元に力を入れて、何かを堪えたようだった。
「ならば、代わりになるか?」
「え?」
「――俺がお前を、守る。俺が、傍にいる」
「何を言っているの? 私の主はユーナなのよ……」
彼の目は、決意しているというよりも、すわっているようにも見えた。
「主従契約を破棄するには、新たに契約を上書きするのみ」
「ちょっと待って? 何をするの?」
呆然とする自分に、男は片膝をついて視線の高さを合わせてくる。
「助けるだけだった。が、これは俺の意思だ。お前から離れず、ずっと守る」
たじろいで口を閉ざす。怖いわけじゃない、彼は傷つけないと本能でわかる。
でも、――”男の顔”をしていた。
「もう一人にはしない」
その言葉に、甘い痺れが身体を走る。反論も何もかもが消えてしまう。
ずっと一人だった。
「一緒に……いてくれるの?」
白いコンクリート張りの部屋。高い高い天窓。
どれだけ泣いても、誰も来てくれないと、その時思い知った。
異世界から来た子どもだとリュクスと名付けられ、アレスティアに連れていかれた。ずっと一人だった。
(もう誰かを欲しがる年齢じゃない)
なのに、すがってしまう。
リュクスを見る瞳は熱をもっているようだった。
「――この魂、この身体、この力、剣をお前に捧げ、お前の傍にいることを誓う」
「……」
「……受けてくれ」
信じてはいけない。ユーナのことで、何を学んだの?
でも、この瞳に縋り付きたくなる。
リュクス自身も熱に浮かされたように、ゆっくりと首を縦に頷いていた。
表情のない彼が朗らかに笑った、気がした。
両の掌で頬が挟まれる。目をぎゅっとつぶると……しばらくの間がある。顔に近づく気配はあるのに、迷っているような感じ。
ようやく額に柔らかくて温かなものが掠めた。
目を開けると、すでに彼は離れたあとだった。
「本番は、いつか」
彼の熱を持った囁きが耳を過ぎていく。頭には入ってこない。そんなリュクスに彼は苦笑して懐から鎖を取り出し、リュクスの首にかけた。
小さな体には大きすぎる
「ずっと返したかった」
「わたしの……?」
覚えがない。
彼が何かを答える前に瞬時に厳しい表情に変える、全身から鋭い殺気が放たれる。
背後には、白髪のザイファンがだらりと剣を下げていた。
黒騎士は迷わず己の刃を閃かせ、壊れた魔法陣の輪の端に剣を突き立てた。
そして低く歌うように詠唱を響かせていく。リュクスの失敗した魔法陣が組み立て直される。
女神がいないはずなのに、彼の魔法が実現していく。
魔法陣が赤い熱を持ち、リュクスのネックレスが浮かび光りだす。二つが呼応し、魔法陣が回り始める。
(……転移陣……!?)
リュクスの魔法陣は、天を浮かすものではなく転移陣に変換された。
「やめて、やめて!」
「帰るんだ。お前の世界に」
「何を言ってるの?」
ディアノブルの司の自分が。アレスティアを見捨てる?
自分の、世界に?
私の、世界に?
円陣が紗膜を作り、この世界とは隔絶する。
視界が揺らいでいく。
違う。自分の目ではなく、世界がぼやけていくのだ。
「行かない、行かないわっ」
景色が目まぐるしくかわる。
高い背、黒い服の背中がこの騎士と重なる。伸ばすと掴んでくれる手。愛し気に自分を見つめる男の人。
緑色の優しい眼差しの女性。
四匹の竜。見たことのない世界が、陣の外に現れる。
陣の外では黒騎士の彼がザイファンと切り結ぶ。ザイファンも大けがを負っているのだろう、動きが鈍く片膝を折る。
「あなたも、一緒に、帰るのよ!」
そのすきにリュクスは身を乗り出し、黒騎士の腕を掴む。
転移が始まった陣の外には出てはいけない。身体が壊れる、それは知っていた。
痛みに手を引っ込めると、彼が焦った顔で手をつかむ。
彼のほうも陣の膜に触れ痛みが走ったのか、わずかに苦しそうな顔をしたが、その左手はリュクスの手をそっとつかんだまま。
「まだ、帰れない」
リュクスの手を陣の中に戻して、彼はわからないぐらいささやかに微笑んだ。
「いつか一緒に帰ろう」
彼の手の平には、白い火傷のような跡があった。それに記憶が揺さぶられる。
その手の平は、ペンダントの土台と同じ蕾を箔押ししたように白いやけどの跡があった。
この人を、知っている? 昔も、こういう目を見た?
「いつかじゃなくて、今よ」
私だけ……逃げるなんて。
やめて。私を……一人にしないで。
傍にいるって言ったじゃない、あなたは。なのに、いまここでそれを覆すの?
「――傍にいるって、誓ったでしょう!?」
「迎えに行く。――必ず」
赤い光が、声も姿も全てを飲み込み、そして何も見えなくなった。
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