第10話.逃げる聖女、残る王子
壊された扉を騎士達が剣を片手に通ろうとしていた先に、切りかかる影がいた。黒髪が揺れる、一瞬で騎士達の死体の山を築いた剣士がユーナを一度だけ振り返り見据えた。
「あなたが、どうして……」
彼は首をふって、それからもう振り返らずに通路へと身を翻す。
「まって! あなたは私と同じ目的だったはず」
「――お前と、一緒だったことは、一度もない」
彼の言葉に衝撃を受けて、それから自分の台詞との
彼は異世界から自分追いかけてきたのに。このアレスティアを壊すのは、自分と彼の望みだったはずなのに。
(なのに、なぜ、あの子を、助けに、いくの?)
あの子を、殺さなければ、終わらない。
「黒いの! リュクスを救え」
なぜか関りがなかったはずのフィラスの激が黒髪の騎士の背を押し、彼は疾風のようにかけていった。
『フェッダ軍が攻めてきたぞ!』
その声と、別種の喧噪が聖塔の下から響いてくる。儀式に対する聖女の裏切りだけではなく、他国からの侵略。それに対して階下のアレスティア兵が騒いでいる。
この場には裏切者の聖騎士団長がいたが、彼もまた知らされていなかった事態に驚き、ユーナを見て狼狽え、今度はフィラスを見て、やはり何が起きたのかわからず、呆然としている。
「ユーナ様、どういう、ことでしょうか?」
鈍い、そう思う。
この天空にあっても割れることのない強度を誇る聖塔の透明な壁が割れて、風が吹き荒れる。窓が割れてもすぐに修復機能が働くと聞いていた。けれど、女神の加護はもうない。内部から破壊されてあちこちに亀裂が入り始める。
「貴様、フェッダ軍までも手引きをしたか!?」
フィラスは理解が早い。まだ何が起こったのか状況が読めていない聖騎士団長は、自分の部下がフェッダ軍に次々と殺されていくのを呆然と見ている。
「なぜ……ユーナ様!?」
「私の、目的は、アレスティアの破壊。そう言ったはず」
騎士団長のビヨンドは驚愕の表情を浮かべたまま、強い風に引き寄せられてあっという間に空中に投げ出されて外へと飛ばされていく。
伸ばされた手がユーナをかすめようとしたけれど、ユーナは身を逸らして避けた。
もう二度と触れられるのはごめんだった。
「ユーナ様……」
フェッダ出身のツァイが呆然と騎士団長が消えるのを見て、我に返ったように剣戟の合間から抜け出し、駆け寄る。
そして哀しみの瞳でただじっと見てくる。自分の母国がアレスティアを攻める、それを知らされなかったことにショックを受けている。
「操られていないのですか?」
「すべて、私の意思よ」
すべての感情を彼は飲み込んだ。そして膝をついて頭を垂れる。がくりとうなだれる姿は、まるで投降したかのようだった。けれど上げた顔には決意を宿していた。
「一緒に、来てくれる?」
「僕は――あなたの騎士です。どこまでもお供します」
アレスティアの復讐の最後の仕上げ、フェッダの兵による蹂躙。
もうこの国は落ちる。それを見届けて、フェッダの大鷲にユーナは乗り込んだ。
聖女の四騎士は、聖女に生涯の忠誠を誓う。そう聞いていたけれど、ついてきたのはツァイだけだった。
この国は、欺瞞とまやかしだらけだ。
「逃がさぬ!」
兵たちの輪を一通り倒したフィラスがこちらに駆け寄ろうとする。ツァイが騎乗から身を乗り出し庇おうとする。
「――行かせて良い。フィライオス殿」
その声の響きに、ユーナも周囲を固めるフェッダの兵士たちも凍り付いた。
人あらざる身は声にまで力が宿るのか。
普段は、何も感じていなかったのに、新たにアレスティアの兵の先頭に立ち、軽装に身を包み悠々と歩んできたジャディス皇子を見て、ユーナは恐怖に喉を鳴らした。
この騒ぎで、アレスティアの王族が出てこないわけがない。けれど第四皇子だけなのはなぜか。
赤みを帯びた金の髪が揺らいでいるのは、気流のせいだけではない。
彼の放つ魔力のせい。同じく金の瞳は燃える炎を宿していた。
彼が手をあげると、透明なクリスタルの窓が修復されて外部のユーナと内部の彼らが遮断される。
それでも彼の表情と声は、まるで目の前にいるかのようによく見え聞こえた。
皮肉とユーモアを交えた軽妙な語り口、朗らかな性格は皇子達の中では親しみやすいと、誰からも好かれていたのに、今はその欠片もない。
――どこか皇子達からの距離をいつも感じていた。
王族、聖職者、魔法士は独立した三角関係にあり、手を組まないからだ、と聞いていた。
それでも国をあげて呼び出した聖女という偉大な存在に、少しは敬意を見せてもいいじゃないか、そう思っていたけれど。
この視線で思う。
――最初から、一度も好かれていなかった。
彼は今、ユーナに冷ややかな軽蔑の眼差しを向け、追い払おうとしていた。
「聖女、いやユーナを名乗る者。よく逃げられよ。出した膿に興味はない」
「あなた達は、勝手にそうやって! 勝手に呼びだして、勝手に命運をおわせて、追い出す! だからこそ、この国は憎まれる。滅びて当然よ」
アレスティアの下界では、この国は憎まれている。なのに、今ユーナに賛同するものは、わずかだった。
さきほどまで甘言を自分に囁いていたグレゴリー神官長が、自分に背を向けジャディスに膝を折っている。
「ユーナなる偽聖女の目論見がこれではっきりしました。私の神官戦士達を追わせましょう」
グレゴリー神官長の代わり身の速さに舌を巻く。
穏やかで包容力のある声は信徒たちの感激を誘うが、その中身の嫌らしさをユーナは知っていた。
今更、裏切られたことには驚きはない。
ジャディスはユーナを見ず、背を向けている。その声だけが流れてくる。
「よい。貴殿らは城内の者の避難を誘導せよ」
「偽聖女の甘言に騙された私に寛大なる処置に感謝を、ジャディス殿下」
嫌らしいグレゴリーの声だけが最後のアレスティアの言葉なんて。
「ユーナ殿、行きましょう」
フェッダの兵士に促されて、頷く。
心からの叫びに、返事が返ってこないことの虚しさをかみしめる。
自分がそうやってあの子からの言葉を逸らしていたこと、それがちらりとよぎるがすぐに風に流されていった。
ユーナを載せた獣が空を下降していった。
***
ここに乗り込んでいたフェッダの兵士は、すでにせん滅されていた。
大部分の敵を切り捨てたフィラスが血払いをすると、ジャディス――ジャスが同じく剣の血を払い駆け寄る。
「フィラス殿、感謝する。あなたの部下は既にアレスティアから避難させてます。この国はいずれ海に落ちる。あなたも早々に逃げた方がよい」
「――感謝を」
「いや、それはこちらのセリフだ。内乱に巻き込んでしまった、すまない」
フィラスはジャスに問うように目を向ける。
「城を落とすことが必要か?」
「これは、イリヤ神が決めた定め。とはいえ、わかってはいても人民を巻き込んだことは、やはり苦しいよ」
「
「全く。君に譲れたらどんなにいいか」
赤みが混じる金の目に痛みを隠して、ジャスは国を越えての親友のフィラスに苦笑を返す。神の身として母神がアレスティアを落とす運命は知っていた。だが、皇子として自国の民が住まう地を失うことへの痛みもある。
人の身で産まれながらも、神を宿すジャディスが陽気さに隠して正気でいられることに対してフィラスが友でいることを選んでいるのは、その精神の強靭さに尊敬しているからだ。
「俺はトレス一国だけしか支えられん。十分だ」
互いに皮肉めいた応酬を一通り返して、ジャスはディアノブルの塔へ目を向けた。
「――あの子はもう救出されたのかな?」
「黒いのが向かった。しかし、どうしてご自身が救助にいかなかった?」
「気に入っているのだろう」とのフィラスの言葉に、ジャスは残念そうに肩をすくめる。
常に魔物との闘いの先陣にいるトレスの皇子と、魔法で後方から国を支えるアレスティアの皇子ではわずかな年齢差と、かなりの体格差と身長差がある。
フィラスは百九十センチ以上の身長に、上半身が特に鍛えられ武将に負けない立派な体躯、ジャスは百七十センチ後半で剣を扱うため鍛えられてはいるが、背中合わせになれば華奢に見えるほど。
けれど二人は不思議と共に並び
「僕には、アレスティアの民がいる。例え自分があの子を気に入っていても、優先はアレスティアになる」
「なるほど。では俺のほうが分があるということだな」
二人とも、一人の少女を気にはしていたが、追いかけなかった。
「フィラス殿にとって、あの子はトレス国民より優先なんだ?」
「未来の”妃候補”と国と天秤にかけるほうが馬鹿らしい。俺は、両方手にするさ」
「兄代わりとしてはね。君のその戯言を見逃すから、このアレスティアから膿を出す助力を願うよ」
ジャスが剣を構えると、フィラスも背を合わせるように剣を再度翳す。
「フィラス殿。トレスの民のために、自国に避難したほうがよいと忠告はしたよ?」
ジャスが新たに湧いてきたフェッダの兵を見て、剣を構えなおす。
「敵を一掃すれば、避難する必要はない。海に落ちる前に、ジャス殿がお得意の魔法で俺の国へ転移してくれるだろう。城に招待しよう」
朗らかに声をあげてジャスは笑った。敵に囲まれているとは思えない陽気な笑い声が響く。
「トレス国の王宮までの転移でいいのかな? でも君の数ある寝室のひとつは貸してもらうよ」
「何なら俺の主寝室を貸そうか」
「……それは、誘われているのかな」
フィラスは吹き出した。ジャスは自分で言っておきながら顔は複雑そうだ。
「それはなかなか、面白い経験になりそうだが」
「僕も君が姫君にモテる秘訣を教えては欲しいけどね。実地は勘弁するよ」
「俺も女性にしか興味はないが、ジャス殿ならば――とも思うが、まあ共にするのは寝室より戦場の方が気楽だ」
突っ込んできた兵士を、ジャスは横に流して切り捨て、そのまま回旋させて次の兵士を切り返し、さらに真横の兵士に剣を突き刺す。
「確かにね。それに僕は上を取られるのも主導権を握られるのも嫌いだし。それに女の子はこう――」
「こう?」
「茶化して苛めて、最後素直にさせるのが好きなんだ」
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