第9話.裏切りの聖女

 ゆっくりと天界へのきざはしを数分昇ったところで、聖女は足を止めた。 

 彼女のいた世界の某宗教では、最後の審判のあと天界への梯子が下ろされると聞いていたけれど、それと似たようなものだろうか。


 思いながら頭をふってやり過ごす。


 そして、物憂げな顔をした後、聖女ユーナは昇ってきた階段を降り始めた。


(これから、始まる)


 それとも、最終段階の仕上げになるのだろうか。これまでのこの世界で過ごしたこと、それがいまここに集結される。


 最下段に足を下ろし、入ってきた門をくぐると、横に立っていたグレゴリー神官長が、わかっているような共犯者の笑みを浮かべ、頭を恭しくさげる。


 そして、頭を下げていた四騎士のうちの三人が驚きの表情を浮かべて、そのうちの一人、ツァイが思わず立ち上がる。


「ユーナ様……?」


(私の、騎士達)


 でも、誰が従ってくれるのだろう。本当に私の騎士なのは誰?


「なにか、ありましたか?」


 儀式では、半日以上後に聖女はここに戻ってくる。もちろん、女神との契約を終えて。

 その証明がどうなされるのかは知らないけれど、魔力がある彼らアレスティア人は感じるのだという。

 だけど、この騎士達は皆アレスティア人じゃない。


 とはいえ、数分で戻ってくるのは予定外で、皆がいぶかし気な顔をしている。ただ、騎士の中で案じた表情で駆け付けたのはツァイだけで、他国の王太子のフィラスはゆったりと立ち上がり無言でこちらを見ているだけ。


 黒い騎士も続けて無表情でこちらを見て、やはり来ようとしない。


「逃げてきたのか」

「いいえ。本当に、私が果たすべきことをするだけ」

「アレスティアを墜とす気か?」


 遠く離れたところから、フィラスが問いかける。

 さすが時期王になるだけある。通る声はこの聖なる間の中に響き渡る。彼がすでに腰の剣に手をかけているのをちらりと見る。


 フィライオス・ドゥ・トゥルク。大国トレスの王太子。けれどこの世界の覇者であるアレスティアにはどの国もかなわない。


 彼も成人するまでは、客人という名目での大国アレスティアに差し出された王宮に囚われた人質だった。なのに、牢獄であるアレスティアの味方をすることが理解できない。


 わかり合えるかと思ったけれど、彼は、最初から私を信用しなかった。


「どっちみち私が行っても女神は契約をしない」


 そしてあっさりとした口調を作る。


「だって私は偽物だもの」


 ずっと言われ続けてきたこと。

 勝手にこの世界に呼びながら、勝手に今度は違うという。それを自分が口にしただけで、なぜ非難されなくてはいけないの?


「知ってたでしょう?」

「――貴様」


 フェミニストのフィラスだけど、怒気を隠さなかった。ここで習得した貴婦人らしい笑みで返せば、舌打ちをするだけ。そうよね、女には手を上げない性格だもの。


「ユーナ様」


 自分の変貌に、唯一どんな時でも傍にいてくれたツァイも呆然として固まっている。

 それに気づいていたけれど、声を掛けずにいたら、奥から現れた聖騎士の装束に身を固めた東方聖騎士団長ビヨンドが堂々と歩いて来て頭を下げる。


「聖女様、新たなる私たちの女神よ。ご準備ができました」


 その声と共に、控えていた聖騎士たちが抜刀する。その切っ先は、私の騎士に向けて。

 片隅に立つ神官長は微笑んで立っているだけ。


 レアクリスタルというダイヤモンドよりも硬い素材でできた外壁の外から、人を背に載せ鷲のような騎獣がのぞいている。


 その背にも聖騎士のしるしである金と銀の剣が交差する紋章が鎧に刻まれている。


 輝く鎧は戦いをしたことがないから。そんなのが騎士だなんて笑ってしまいそう。けれど、彼らは”自分が選んだ騎士”だ。


「なるほど。お嫌いな聖騎士達が、実はお仲間とは」


 ユーナに嫌みを言いながら、全方向から剣を向けられたトレスの王太子も白光を煌めかせながら剣を抜く。


 アレスティアとは違い、トレス人は魔力を持たず、人力でのみで戦う戦士の国だ。

 フィラスは王太子とはいえ、将としてその最前線に立つ。彼の体格も技量も、お飾りのアレスティアの聖騎士たちとは格がちがいすぎる。


 けれど多勢に無勢。どこまで持つのか。


 聖女は無表情で、その様子に目を向ける。


 ユーナの横で、聖騎士団長のビヨンドが嫌らしく口元をゆがめる。


「剣を置かれよ、トレスの次期王よ。ユーナ様に従えば、我らの友好は保たれよう。そなたが現王宮に果たす義理はなかろう」

「これはこれは。たかが一介の将に窘められるとは、俺も舐められたものだな」


 フィラスは、剣を構えながらいつものより一層皮肉気に口を開く。けれどその眼光は既に殺気を讃えていた。


 剣先はユーナへ一方向のみ。


 彼の勇名はアレスティア中に響いていた。

 闘いを見たことがないユーナにはわからなかったけれど、技量はこの聖騎士のビヨンドよりは段違いに上、というのは感じていた。


(――この人が、味方ならば、よかった)


 性格も、技量も、その持つ影響力の全ても。


 いいや。だからこそ、味方にはならない。

 自分の口車に乗るのは、所詮ビヨンド程度の小物のみ。


「そなた程度の雑魚とは友好どころか、剣も交える気にはならん。どこぞの王座を現実に奪ってから言うんだな」


 血気盛んというより気迫に負けて思わず飛び出した騎士の一人が突っかかり、それを難なくかわして相手を一刀で倒したフィラスの一撃で、戦いが始まった。


 一人の彼にただ剣を突き刺せばいいのに、誰もが叶えられないでいる。


「フィライオス殿下! あなたの親衛隊は、城外。お一人でこの憎むべき王宮に義理立てするつもりか」


 ビヨンドが虚勢を張りながら叫ぶ。


「憎んでいるかどうか、きさまに心情を測られることほど不快なことはない!」

「フィラス殿。加勢します」


 呪縛が解けたようにツァイがフィラスと背を合わせ手のひらを突き出し、文言を唱え始める。

 優しく戦いに向いていない少年だけど、アレスティアとは全く違うフェッダ特有の言霊魔法の使い手だ。


「ツァイ! あなたは、私を裏切るの!?」


 ユーナが切り裂くようにその背に声をかけると、ツァイは動きを止めてゆっくりと振り返る。その顔は呆然として、そして苦しむように眉をひそめていた。


「あなたに忠誠を誓いました。ですが、今のあなたは、何かに操られているようにしかみえません」


 ツァイとは違い、戦いつづけるフィラスが口を挟む。


「嫌いな聖騎士、苦手な神官長、それがお味方とは。あなたの本音は口とは正反対だったようだ」

「あなたにはわからないわ!」


 ユーナは叫んで、そして自分には一切なびかなかったフィラスを睨む。


「あの子ね、それを教えたのは」

「誰からもきいておらん」


 フィラスが背を向けて、聖騎士を次々に切り捨てていく。聖騎士団員が次々と減っていくが、一人で戦いきれるはずがない。


 けれど喋りながら敵を切り捨てるフィラスの技量は、素人のユーナから見ても見事だった。


「裏腹な言動をしていたのは、あなただ。俺に当たらんでもらおう。暗躍にも見えない、児戯に等しい。泳がされていたのは気づかなかったか?」

「……え」

「ユーナ様、相手になさらずとも。勇猛さを誇るトレスの王太子殿下でも他の国で犬死なさるわけにはいかないでしょう。そろそろ負けを認めては?」


 にこやかに神官長がやってきて、ユーナに魅惑的な笑みを浮かべる。神の寵児と呼ばれるほど美しい顔だが、ユーナはその顔が嫌いだった。


 思わず顔を背けそうになるのを堪える。


(嫌い、苦手、それなのに。好きだと、慕っていると、言わなければいけない。そうさせたのは、誰!?)


 ディアノブルの塔の通廊への扉を騎士達が壊し始める。


「待て、そちらは!」


 初めてフィラスが焦った声を聞いて、ユーナは留飲を下げるどころか、腹立ちが胸にこみ上げるのを感じた。


『ユーナ。あなたは、嫌いなレナを「大好き」という。苦手な神官長を「慕っている」と、不信感を抱いている騎士達をいつも「信用している」と。わざわざみんなのまえで宣言を繰り返すのはなぜ?――あなたの本音はどこ?』


 リュクスの言葉に、胸をえぐられた。好きで言ってるわけじゃない! 


 そうさせたのは、誰だ。


 神官長の義妹のレダは、無能のわりに威圧的な言動から敵が多い。けれど巫女長で、彼女を敵にまわせば巫女たちが自分の敵になる。

 皆に崇拝される聖女の自分がレダを嫌えば、彼女は立場を失う。だからこそ“レダのために”常に仲の良い姿を見せた。


 地位に固着し常に崇拝を求める神官長には崇拝を見せるしかなかった。そうしなければ、神官長も立場を失うから。だからそうしてあげた。

 そうして自分も神官たちから慕われることができた。


 嫌いな聖騎士団長も、自分が袖にすればやはり恨んでくる。反対にお願いをすれば、彼は自分が好意を持たれていると勘違いして、団員達も自分を敬い尊んでくれる。


(それを、私が、自分のためにしていたとでもいうの!?)


 それを指摘したリュクスが、憎い。


「……あなたさえいなければ、よかったのよ、リュクス」


 低くユーナは呟いた、そうすれば、こんなことをしないで済んだ。


 こんな世界で、私は世界を恨まずにすんだ。

 ディアノブルの塔への扉が壊される。


「ユーナ様、よろしいですな」


 ユーナはビヨンド騎士団長に微笑みを作り、頷いた。


「構わないわ」

「アイツは、貴様の友人だろうが!」


 剣戟の合間にフィラスが叫ぶ。


「いいえ。“友達”なんて思ったことは、一度もない」

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