第6話.消えた女神
「司殿?」
呼びかける声に、リュクスは意識をここに戻す。
大きな魔法を使う時ほど、意識が明瞭になり集中を増していくのに。
不安を覚えたことなんて、一度もないのに。
「いいえ。なんでも――」
魔法陣は完璧で、リュクス達の魔力も空間に満ちている。けれどアンバランスなのは――女神の魔力が弱いからだ。
魔法陣には、一番強く注がれるように女神の力を配置したのに、それが満たされていない。
(――どうして!! なぜ足りないの!?)
これでは、魔法陣は不完全だ。アレスティアの浮上はできない。
周囲の魔法士は、リュクスの様子に首を傾げているが、女神の力の異変にまだ気づいていない。
「これは、これは……司殿でも、緊張をなされることがあるのか?」
声変わりをして、まだ間もない男の声が響く。そこに入っているのは明らかな嫌み。
リュクスは自分の右手側、土の神の陣に足をおいた魔法士に目を向ける。
リュクスよりも二歳年上の”天才”と称される魔法士でレイリー副司だった。
青年というには早すぎる、少年よりは低くなりつつある声が、いつものように何かを含んで言葉を続ける。
「伝統ある魔法陣を、わざわざ描き変えた。わざわざ我らにも難解になるように。今更また描き変えたいなどと言うのでは――」
彼の声が唐突に途切れる。リュクスも彼の顔から、正面の魔法陣へと目を向ける。
――女神の魔力そのものが消えた。
「なんだ?」
女神の魔力がないことに気づいたのはレイリーとリュクスだけ。
彼が呆然と呟き、リュクスと同じように凍りついている。
周りの魔法士はまだ気づいていない、不安げに首を傾げている。
「何が起きてっ……」
彼がリュクスに向かい黄色い目を向けて問いかける。
その瞬間、いきなり全員の身体が地面に押し付けられる。
「な……っ」
叫び声も抑えつけ、声のない絶叫が轟音を消し去る。
一瞬浮いてそのあと下へと重力で床に押し付けられる感覚、間違いがない。
「アレスティアが……墜ちている!」
レイリーが叫び、続いて恐怖と驚愕の叫び声が部屋を満たす。
「まさか!」
「魔法陣が、失敗したのかっっ!?」
他の魔法士の疑惑を否定したのはレイリーだった。
「ちがうっ――女神が、いない!! 消えたんだっ」
すかさずリュクスは、床に片手を突きながら指を鳴らして女神の力を可視化した。
この世界テールは、女神の大樹が張り巡らされている。大樹の枝葉は世界を覆い、その葉脈は魔力が流れている。
それは光脈と呼ばれている。
その女神の光脈から魔力を取り出し、
その魔職が紡ぎあげたデザイン、それを現実世界に具現化させたものが魔法だ。
その光脈、その魔職を魔法士は、別の目で見ることができる。
けれど具現化できるのは、リュクスだけだった。
空間に表した女神の光脈は、まるで枯れ枝のように崩れていた。
「なんだ、これは」
「女神の……光脈が」
「魔法陣が失敗したのか」
「「それはない!」」
リュクスと
「――聖女の更新の失敗だ」
レイリーの声にリュクスは固まる。
「偽聖女のせいだ!!」
誰かが叫ぶ。
女神の力がどこにもない。ということは、去っていったのだ。
(……女神はアレスティアに魔力を授けることを、やめたのだ)
ひどい現実を受け入れられない。そんなことがあるのだろうか。
「に、偽物聖女のせいだ! あれはやはり偽物だったのだ」
“偽物聖女”は、神官や大貴族が、最初の頃に口にした流言だ。
「黙りなさい! 聖女に関しては我々が推測するものではないわ。魔法陣を支えることに集中して」
何でもないように身体を起こして命じれば、気まずそうに叫びが消える。レイリーだけが厳しい表情で、魔力を魔法陣に注いでいる。
けれど落ちていく感覚は消えないし、彼らの不満と不安が空間に満ちていくのを感じる。
ドーンという激しい音が響く。中央の床が下から巨大な力に突き上げられたかのように盛り上がる。天井や壁が軋む音と同時に柱が折れる。
落ちてくる柱を魔法で砕こうとしたリュクスは、手から何も出てこないことに愕然とした。
途端、突き飛ばされる。
「バカっ。女神がいないんだ、魔法は使えないっっ」
レイリーの叫ぶような叱責が響くが、粉塵で姿は見えない。
「――フェッダが!! フェッダ軍が攻め込んできました!!」
灰色のローブを着た魔法士の一人が階下から叫びながら駆け込んでくる。
「神聖な儀式を邪魔するとは、何事、だ!?」
年配の魔法士が叫ぶが、状況をわかっていないというより反射で叫んだようだった。
リュクスはすかさず声を潜り込ませた。
「――説明して」
遠くから喧騒が響いている。金属音が激しく、走り回る足音と怒声と悲鳴。アレスティアが落ちているだけではないのか。
「ふぇ、フェッダ軍が――転移陣から攻め込んできました!!」
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