1章.儀式 アレスティア暦2000年

第5話.女神の儀式

 「行ってきますね」


 そう言って、聖女ユーナは周囲を見渡した。

 ここは浮上する魔法の大国、アレスティア主城の百蘭宮の背後にある聖塔。


 これから聖女は、魔法を授ける女神イリヤとの再契約の儀式に臨む。


 リュクスは、正装の重いローブを着て元親友のユーナを見ていた。その姿を見ると様々な葛藤に襲われる。


「未熟者ながら、精一杯頑張ります」


 “未熟者”ながら。


 その言葉にリュクスは内心顔を曇らせた。


(どうして、それを言ってしまうのだろう)


 トーキョーから召喚された聖女は時々、そういう謙遜を言う人だった。それを好意的にとらえる者もいれば、眉をしかめる者もいる。後者の代表格である巫女長のレダはここにはいない。


 レダの聖女への風当たりはますますひどくなっていたから、彼女が居なくてよかった、とリュクスはそっと思った。


 リュクスも、その言葉を言うことに賛同はしない。


 ユーナは国の命運をかける役目を担っている。


 他者を不安にさせ、自分の逃げ道を作る。自らでできないと呪縛をかける。けれど、理詰めではなく感情で責めるレダと毎回謝罪をするユーナの関係の悪化は、表向きは知られていない。


 レダから暴言を受けているとわかるのはユーナの言質から。「助けて」と言わないで「大丈夫」としか言わないユーナを何度も歯がゆく思っていただろう。



 ユーナは緊張の面持ちで歩き、病床のアレスティア国王の名代である長子ヴォルフの前で頭をさげた。その横には二子であるレジー、四子であるジャス。


 見目のよい王子達が礼装を纏い儀式に臨んでいる。眉目秀麗の彼らが格式の高い衣装をまとう姿は壮観だ。秘儀のために参加できなかったが、宮廷のご婦人方が見たら、感嘆ものだったはず。


 聖女は振り返り、壁にある門へと足を進める。


 そこには、この儀式の時にだけ現れる黄金の門があり、横には神官長が穏やかな笑みで彼女を待っていた。彼は、半年前に老齢の祖父から地位をついだグレゴリーだ。


 二十代後半と言う若さで、輝く黄金の髪に負けないまばゆい美貌をもつ彼は、代々神職にある由緒正しい家柄。その名に恥じないほど優秀で歴代でも最高のオラクル神聖魔法を使いこなす。


 聖女はそこで振り返り、居並ぶ“聖女の騎士”と聖職者達へとゆっくり視線をめぐらす。その目はガラス玉のようで、リュクスの前を素通りする。


 ――聖女の四騎士の一人は大国トレスの王太子フィライオス・ドゥ、トゥルク。愛称はフィラス。王国の秘儀に参加するのは、客人ではなく聖女の騎士という立場だからだ。


 彼は、自分とユーナが初期に仲が良かったのも知っているし、その後に唐突に距離をとったのも気が付いている。

 奇妙な雰囲気を感じ取っていたはず。けれど、ずっと何もいわなかった。


 たぶん気遣われてはいたと思う。時折ふさぐ自分を昨日のように連れ出し、本や差し入れをくれていたから。けれどフィラスはあれこれと構っても、公儀の場では一切態度を乱さない。


 今も堂々とした体躯を騎士の鎧で覆い、優雅な所作で儀式に臨んでいた。あまりにも眩しい貴公子ぶりだ。


 少しだけ顔に愁いを見せているのは優し気な顔立ちのツァイだ。四騎士の一人だけど、小国フェッダの出身で、もとは聖女の世話役だった。

 心優しく場の雰囲気に敏感で、最も聖女を慕っている彼が今、物憂げなのは聖女を心配しているからだろう。彼に視線を向け、ユーナは少しだけ微笑んだ。


 頭を下げ表情が見えないのは、黒目黒髪の黒騎士と呼ばれる青年だ。彼はいつの間にか現れ、聖女の四騎士の一人になっていた。名前も知られておらず、聖女と同じ異世界の出身だと噂されていた。


 ――そして最後の四騎士の一人がリュクスと呼ばれる私だった。


 聖騎士達には笑みを向け、リュクスには不自然なほどそっけなく一礼して、聖女は神の門をくぐる。


 その背が消えるまで、参列者は荘厳な雰囲気を保ち聖女を見送った。


 神官長が鈴を鳴らす音が消え、王子たちが退出していく。騎士団の聖騎士たちも退出し、四人の聖女の騎士達だけが残る。このまま彼らは、契約を終えた聖女が帰るのを待つ。


 それは半日ぐらいだと聞いていた。


 けれどリュクスだけが踵を返す。これから自分は己の役目を果たさなくてはいけない。それは聖女の契約以上に重要なことで、かつ自分にしかできない。


 そこに彼女のことを思うような余地はない。


「……ユーナ」


 本当は、大丈夫?、と聞きたい。でも、それを彼女は望んでいない、自分から声をかけられない。


 複雑な感情を持て余しつつ、リュクスはディアノブルの塔への通廊を進んだ。


***


 ――ディアノブルの塔は、聖儀を行う聖塔と双子のように並んで立つ六角形の建物だ。

 ダイヤモンドよりも硬いレアクリスタルでできた塔は、アレスティアを天に浮かせる最高魔法を司る要だ。


つかさ殿」


 巨大魔法陣の中で位置についた魔法士に呼ばれてリュクスは軽く頷いた。司と言うのは、このディアノブルの塔のおさのこと。

 最も強大な魔法の使い手であり、かつ塔に認められた番人。


 つかさ――それがリュクスの呼ばれる役職名だ。


 ――リュクスという名は、異世界から来た孤児に与えられる名で、その意味は光の女神イリヤの子であるという意味。

 でもリュクスという名も、司になってからはほとんど呼ばれることがなくなっていた。


「聖女が、女神のもとに向かいました」


 自分の声は思った以上に厳かで、感情は含まれていなかった。


 国の命運どころか、世界を担う大魔法を行使する。でも、怖くはない。その儀式を言い渡され、自分が行使すると聞いた時も、当然として受け止めた。


 それなのに、思うのは今見たユーナのこと。


 ――ユーナとの仲がおかしくなったのは、主従契約を結ぶ半年以上も前。

 朗らかで親しみやすい聖女は少しずつ変わっていった。そのきっかけはなんだったのだろう。


 疑問を追いやり、リュクスは意識を床に刻まれた大魔法陣に戻した。


「私たちは契約が成されたと同時に浮上魔法陣を再起動させます」


 リュクスが言うと、四人の魔法士達が同意して頷く。


 アレスティアの魔法の根源は、女神の力。

 聖女が女神とまみえ、アレスティア人への魔法の授与を願う。


 女神との契約が更新されれば再度魔法が与えられ、同時にリュクスたち魔法士は、この大魔法陣を再起動させる。


 ここにある魔法陣は、アレスティアの建国時より受けついできたものでアレスティアを浮上させる最も大事なもの。


 けれどリュクスはより強固なものに描き直した。

 アレスティア建国から過去最高で最強の誰も敵わないもの。


 未来にリュクスよりも強大な魔法士が現れれば、これを描き直すこともあるだろう。

 けれど今は、これに敵う魔法陣はない。魔法の極みとされた最強の司のリュクスが描き上げたものだ。


 装飾華美な魔法陣が好まれる昨今だが、リュクスは無駄な装飾を嫌う。シンプルでも線自体が歪みなく美しく描かれていれば、強大な力を得ることができる。


 大魔法陣の上には青い光を放つ一つの大球体、そして四つの球体が空間に浮かび自転と公転をしている。


 ――アレスティア暦2000年。

 女神からアレスティア人への魔法の再授与、そしてアレスティア帝国の再浮上の儀。


 それを行使する魔法陣は完璧で、完全なもののはず。なのに、不安と違和感がどんどん強くなる。

 

 不意にリュクスはめまいをおぼえて、一瞬意識が遠のくのを感じた。


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