第4話.皇子達
目の前に、フィラスはいなかった。流れる風に花の香りが混じっている。一面の花畑の中に、金色に水色の混じる長い髪を揺らす男性の麗しい姿が立っている。
けれど、その前には燃えるような赤が混じる金髪の青年が、首を傾げて微かな笑みを浮かべていた。
「ジャス……」
「ごめんね、いいところで。というか、後でフィライオス殿に怒られそうだけどね」
笑顔の下に隠した皮肉。ジャディスことジャスはこのアレスティアの第四皇子だ。彼は魔法で割り込んで、リュクスを連れ出したのだ。
「聞いてたの?」
いくらなんでも、ナイーブな話題だ。彼ならば、この国内でのあらゆることを見聞きできるだろう。でも、いきなり割り込むとか、普段ならばこんなことはしない。わかっての嫌がらせ、だろう。
「聞いてたよ。でも儀式前に独り占めはズルいしね」
「……あなたも忙しいでしょう?」
彼ら皇子も儀式に参加する。王族だから大層な準備が必要だろうに。その第四皇子のジャスと第二皇子のレジナルドが抜け出して花畑で息抜きをしているのは、どうしてだろう。
「あんなの。神官にさせておけばいいしね」
肩をすくめて面倒そうなジャス。誰にでも朗らかで愛想よく振舞うので茶目っ気が目立ち、女性に人気があるがそれは表の顔。
こういう儀式が一番嫌い。けれど本番になると皇子らしく粛々と威厳のある態度でこなすから普段とのギャップで端正な顔が引き立つ。
「――儀式前に、挨拶もさせてくれないのかな」
ゆるり、と長く美しい髪を風になびかせてジャスの後ろから優雅に歩んできたのは、レジナルドことレジーだった。
金色に髪に蒼が混じる不思議な色だが、それが彼の優雅で嫋やかな笑顔に華を添える。どの皇子も美形だけど、レジーが最も華やかで儚く美しい。中身は最も辛辣だけど。
「レジー、あなたも逃げてくるなんて。明日の、儀式に何かあるの?」
ふるりと頭を振るだけで、肯定も否定もしない彼はただ笑むだけだった。フィラスの言葉といい儀式に不穏なものを感じてしまう。
実際にリュクスも感じていた。司としての魔法陣には自信がある。けれど、主役のユーナとの関係はかみ合わないし、神殿の者達とは途絶されている。
国の命運がかかっている儀式がこんなものでいいのかと、迷う。
「それより、僕の愛しい妹。おいで」
大きく両手を広げられて、リュクスは彼のたもとに歩み寄る。
この花々はレジーが育てた花園で、そこに入れるのは兄弟と自分だけ。彼の一番のお気に入りの自分だけど、こうやって抱きしめられると、尋ねたいこともすべて誤魔化されてしまう。
魔法士の司とは言え、無尽蔵に魔力がある人外の皇子の彼達に比べたら、自分の魔力はちっぽけなもの。
でも、だからこそ、安心して傍にいられる。フィラスもそうだ、魔力のないトレス人だからこそ、彼とは付き合えるのだ。それは自分の能力のせいだけど、今はそれを忘れたい。
抱きしめられながら、水の湿り気と花の匂いを鼻孔一杯に吸い込む。同時に哀しさと胸が疼く不安もよぎる。
――明日の儀式は、何かが起きる。
「僕にも抱きしめられてはくれないの? 兎ちゃん」
ジャスに背後から促されて、リュクスは振り返る。悪戯気に笑って腕を広げるジャスの前に立つと、彼は抱きしめてくる。背中に腕が回されたとき、彼が耳に囁く。
「少しだけ会えなくなる。けれどまた戻ってくるから待ってるよ」
「ジャス?」
彼らがリュクスを気に入っているのは妹分だからだ。理由は「存在が気に入ったから」というあいまいなもの。
そのお気にいりが、いつ無くなるかわからないけれど、確かな理由よりもずっとありがたいかもしれない。
お金や愛、考え方や志向、具体的な理由ほど、揺らぐものだから。
「ほら、行って。魔法陣を完成させるんだろ」
そして背中を押されたときには、もう塔の入口にいた。
リュクスは転移後に残るめまいの余韻に、暫く息をついた。
自分や他人を魔法陣なしに転移させられる魔法なんて開発されてない。でも彼らにはできるのだ。それを解明したいけれど、人間の自分には無理だ。
そして今、しなければいけないのは、魔法陣の完成と、明日の儀式。
その時、リュクスの前に黒い影が横切る。
(あれは、確か。ユーナの黒騎士)
ユーナの四騎士の一人だ。騎士とはいえ、黒い装束に身を包んでいるだけで、騎士らしいものは腰に佩く剣だけ。
今頃ユーナは儀式の最終確認の真っただ中のはずだ。常に彼女の護衛をする彼が、なぜここにいるのだろう。
彼がリュクスを見て、そのまま視線を固定する。じっと見ていると思えば、そのまま歩んできそうな雰囲気を感じた。
話したいのはユーナであって、その取り巻きではない。リュクスは逃げるように塔の扉を開けた。
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