第3話.求婚
彼と一緒に外へ出ると、手を離された。自然に足は馴染みの場所へと向かう。
アレスティアの王宮を抜け、二十分ほど歩くと一の郭の城壁に出る。工程に不備があったのか、極端に低いそこを乗り越え、二の郭、三の郭まで抜けていく。
本来は一つの郭の内部は、王族や貴族が住まう区画。二の郭は、もう少し低い爵位の者達の居住や、遠方の貴族の滞在用の邸宅。
そして三の郭の内部は、裕福な民たちが居住を構えている。それぞれ合わせれば一つの街ができるほどで旧市街と呼ばれ、外には新市街が円状に広がっている。
これらを含めてアレスティアの天空城と呼ばれる。
それらを過ぎて端まで出るには、馬車で数時間が必要だ。けれどこの秘密の裏道には空間の歪みがあり、三十分ほどでアレスティア城の端についてしまう。
そして最後に行き着くのは、天に浮かぶアレスティアの断崖。
雲海に阻まれ地上の景色は見えないが、崖の断面図を見るだけで目が回りそうなほど、吸いこまれて落ちそうな足元の危うさ。
これほどの高度ならば空気は薄く、強風にあおられて人は生きてはいけない。けれど魔法のドームで人が住める環境にしたのは、アレスティアを浮上させた初代の魔法士、ディアノブルの司。
なぜその人が、この城を天空に浮かせたのかはわからない。
今の自分は、それを維持するだけ。リュクスはギリギリまで足を運び、真白の雲海を見下ろした。
「よほど、好きなのだな、ここが」
「ここにいるとね。誰も自分のことを知らない、役目もない、一人になった気になる。開放感かな」
「ああ」
フィラスも横に並ぶ。それぞれ大役を担っている。逃げることはできない。でも束縛がない場所は必要だ。
「明日の聖女の儀式は、容易にはいかないぞ」
「そう思う根拠は?」
「予感だ。動いている者に統一性がない、指導者がいない。崩壊している」
本来は、神官長のグレゴリーが統率を取るが、彼は神官内部しか関わらない。
塔は塔で、王族は王族で、どうぞご自由に、という感じだ。彼は他に関心がないのだろう。
それとは正反対にフィラスは有能だ。
フィラスが国の後を継げば、かの国は益々富み、人々は潤うだろう。栄えるものはいつかは衰退する。享楽が蔓延しているアレスティアはいつかは落ちていくのだろうか。
(でも、事実上ではこの城を落とすわけにはいかない)
「先日、陛下がみまかられた」
リュクスは、いきなり現実に引き戻されて、フィラスを振り返る。彼は前を見たまま、流れる風に赤茶の髪を揺らしている。
陛下、つまりトレスの国王だ。――フィラスが王になる。
「お悔やみを申しあげます」
リュクスが膝をついて頭を下げようとすると、彼が片手をあげて制する。フィラスはすぐさま国元に戻らなくていいのか。
「既に勅命はだしてある。廷臣たちの整理も進んでいる。陛下の死は伏せられているが、俺が戻ったら国喪に服し同時に即位する。聖女の儀式が終われば俺はここをたつ」
彼がこのアレスティアにいるのは、いわば人質。絶対の忠誠を誓わせるため。
そうなると、彼の次に近い血縁の者が送られてくるのだろう。
――そもそも彼はアレスティアの儀式に参加する義務はない。ただ聖女の騎士の一人にされたから、いるだけ。義理堅いのは、アレスティアの皇子達に恩義があるからだろう。
「一緒に来ないか」
フィラスが振り向いていた。下からではなく、リュクスに並ぶように手を差し出していた、それは同盟を提案しているかのよう。
リュクスは予感をして、一歩下がる。
「何を?」
「俺の妃として」
やっぱり、と思った。前からも匂わされていた。でもできない。
「……私は塔の司よ」
フィラスは微動だにしない。
「城を浮上させればあとは終わりだ。守りの魔法も他の魔法士が維持できる。お前は自分の道を選ぶべきだ、
「王族にはアレスティアの尊き血が必要よ。私みたいに異世界人は無理よ」
「俺がお前を求めている。どの国の王族もアレスティアの血が濃くなりすぎだ。お前はどこにも所属していない。どこの血も入っていない。だから俺には必要だ」
アレスティア人を崇拝する日々が長すぎて、どの王家も彼らの血が入っている。
実質アレスティア人に支配されているようなもの。
けれどもう尊き血はない。むしろ血族婚傾向があり、異常児も生まれるようになった。
でもフィラスの思惑は違う。
「それに、儀式後は聖女を四騎士の誰かが娶らなければいけないでしょ。あなたが適任なのだから」
慣例ならば、身分の高い聖騎士団長達が四騎士になるはずだった。けれど聖女は彼らを無視して、他の者達をわざと選んだのだ。そうなると、皇太子のフィラスが一番身分が高い。
「本当にそう思うのか?」
フィラスが鼻を鳴らす。普段はそんな粗野な動作はしないのに、軽蔑を示したときだけわざとする。もちろん自分にではなく、聖女に対してだろう。
「あなたが娶るしか居場所がない」
「あの女ならば、いくらでも取り巻きがつくれる。誰か選ぶさ」
確かに彼女の周りはいつも取り巻きがいる。苦手と言っていた人間関係も上手にこなしている。でも。
「どうして、……まるで嫌っているみたい」
聞いていいのだろうか。他人に対する感情を聞くときは、まるで悪口を言うようで嫌な気持ちになる。
「あの聖女は、得体が知れない」
「……どうして、信用しないの」
彼がユーナを支持しない。表向きは慇懃無礼ともいうべき丁寧な態度を崩さないが、相当厚い壁を作っている。
「つかみどころがない。宮廷では権謀術策が飛び交うが、野心丸出しのほうが操りやすい。女でも男でも」
親友、それは嘘なのだろうか。二人きりになって仕方なかったのだと、また仲良くなってくれるのを望んでいる、今更なのに。
「まあ一般の人間というのは、何も考えていない。悪口も愛想もいう者は、どちらも本心だろう。悩むな」
無理やり唇を笑いの形にしたリュクスに、フィラスは続ける。
「お前は誰にも属していない。俺の気が休まる。寝首をかかれる心配も、背後に何も抱えてないものがいい。だが一緒に国を作ってくれる。お前もここより居場所になるだろう」
それは、塔の魔法士よりも、幸せになれるかもしれない。彼は自分のことをよくわかっている。
「だから――正妃に来い」
正妃? 孤児の私が? 「そんな無茶な」とリュクスは呆れて苦笑した。
その時、引っ張られる感覚と浮遊感に身体が襲われた。
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