第2話.フルエール
「相変わらずだな、
リュクスは、薄暗い光が差し込む一角で、聞き知った声に顔をあげた。差し込む光は塔の強化
そして声の主を見下ろす。彼は相当高い背なのに頭頂部を見下ろす形になるのは、自分がそれ以上に高い二階部分にいるため。
「そんなところで本を読むのは、危ないぞ」
梯子に浅く腰を掛けて、危なげなく大きな装丁本をふとももにのせている自分に最下段から大きな手を差し出してくるフィラス。
それを見たリュクスは、書物の開いた頁を閉じて元の場所に戻す。
フルエールとは青や水色やピンクや虹色に輝く蛍石のこと。自分の碧から蒼に変わる瞳を指しているのだろう。
大国トレスの皇太子の彼は貴公子のまさに鑑、という然で子どもの自分でも貴婦人のように扱う。そしてリュクスという孤児名では呼ばない。呼び方は、彼のセンスによって往々に変わる。
「もう明日の儀式の準備は終わったのか?」
「大体ね。あとは、魔法陣を描くだけ」
「それこそ、今回の最大の主要作業だろうに」
フィラスの手に掴まり、リュクスは梯子から足先を一つ下す。自分で昇れたので、手はいらないと言おうと思ったが、好意を無下にはできない。
それにフェミニストの彼は手を戻しはしないだろう。
けれど一歩降りただけで、彼がリュクスの脇に両手を差し入れ地面に降ろしてしまう。
「ちょっと!」
「こうした方が早いし危なくない。が、勝手に御身に触れて済まなかったな」
ウィンクをして、魅力的な笑いをする彼はそれだけで女性を虜にしてしまう。まだ子どもでその対象ではない自分は苦笑するだけだけど、許してしまうのは確か。
足を地面にしっかりおろした自分は、まだ彼の背丈の半分くらいにしかならない。
「先ほどの話に戻すが、儀式の準備はいいのか?」
「最終確認。ここディアノブルの塔は、常に世界中からあらゆる書物を取り込む。最古の儀式の情報が増えていないか、確かめたのだけど……、新たなものはなかったわ」
黒と白のダイヤ模様の床を歩みながら二人は足を進める。彼は立派な体躯ながらも足音を立てない優雅な足さばきをするし、リュクスの靴底は塔を痛めないフラットな革靴で足音が吸収される。
周囲は誰もいない、儀式の準備のため皆が自分の役目で精いっぱい。
その長である自分が、ここで本を読み漁っているとは誰も思わないだろう。それに司の象徴である黒のローブは纏っていない、見習いの灰色のローブだ。
いつもここに来る時は、リュクスは司であることは隠していた。研究室に届けさせることができたが、本は自分で選んでこそ楽しいものだ。
それに、自分の姿は一部の者しか知らない。見習いは姿を見たことがないから存在を隠す魔法を己にかければ、遠慮はいらない。
けれどこのアレスティアの盟友であるトレスの皇太子のフィラスだけは、自分の姿も趣味も知っている。時々は何気ない用で呼びに来るほどだ。
なのに今回の彼は、見慣れている場所のはずなのに、ぐるりと一度大きな体躯を振り返らせ書架を見回す。
「不思議というより、不気味だな。書物が出来上がると同時に、複写がここに収められるというのは」
「複写ではないわ。完全な
リュクスは、不気味という言葉に苦笑しながらも訂正しなおす。生きていると言われるこのディアノブルの塔内部で、不気味と言っちゃう?
問題はない、だろう。
塔は気に入らないものは中に入れてさえくれない。彼は知識も武力も十分。資質も性格も問題ない、若干、皮肉やで世界を斜めに見る傾向があるけれど。塔には許容範囲内なのだろう。
皇太子としては、少々の疑り深さは必要だろうし。
「だが、そのオリジナルが世界の果ての本人の手元にあり、完成と同時にこちらに収められるのであれば、やはり複写では?」
「インクの染みも、擦れもすべて同じなの。完全にオリジナルと一緒。原理はわからない。この塔が――食べているのかもね」
顔をしかめ理解不能だという顔をしたフィラスに、リュクスは声をたてて朗らかに笑う。彼の傍では、飾らないでいられる。めんどくさい魔法士達の前では厳めしくしていなければいけないし、神官達も苦手。
親友だったはずの……聖女のユーナも、今では辛い。
「結局、最後に行われた五百年前の聖女の儀式の情報はないの。このまま私が描いた魔法陣に最終の仕上げをする」
「総仕上げというわけか」
頷きながら、さすがに彼がなぜここに迎えに来たのかという疑問がわく。
トレスの皇太子だ。このアレスティアの客分ではあるが、明日の主役である聖女の騎士であるため、儀式の準備に忙しいはず。
「なに。互いに息がつまる明日の儀式の前に、気晴らしをしておこうと誘いに来た」
彼の誘いを拒否する理由はない。魔法を見直すのは大事だが、堅苦しい儀式の準備はうんざり。フィラスはリュクスよりも七歳も年上だが、そういうところの気は合う。
彼が押さえる扉を出る前に振り返ると、天井まで伸びた書架には整然と隙間なく書物が詰まっている。大好きな本達は、等間隔で並んだ螺旋状の柱に、金泥細工が施された横棚に並び行儀よくおさまっている。
天井まで続くそれらは見上げれば、倒れそうになるほど高い。
ふとこの光景に未練が残る、最後の見納めのような気がした。
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