第4話 小説が書けないのはなぜか

(曲は近況ノートのリンクから聴いてください。こちら。

https://kakuyomu.jp/users/kyuno-kana/news/16818093089124741826 )


 爪がボロボロです。爪って層になっているのですね。指先の爪が割れて層がはがれ落ちています。栄養が足りていないのか。

 毎晩食べ過ぎておなかがいっぱいのわたくしに足りない栄養とは。エビアンが値上がりしすぎて買えず、さらにミネラル豊富なコントレックスを飲んでいるというのに。DHAが足りず単語が出てくるのに、うんにゅってくらい時間がかかるようになりサプリで補充しているというのに。


 わかってきました。爪はお風呂から出たあとに切るのが正しい在り方なのでした。固い爪を無理してニッパーでパチンとやるからパキンとなって割れがちになるのです、たぶん。お風呂から出たあとならふやけて柔らかくなっているから、爪を切ってもパキンとならないのですな。


 爪が割れるような強い衝撃を爪に与えていたかしらと、しばらく考えてしまいましたよ。パソコンのキーボードをたたく力が強すぎるかなとかね。爪というより、指の腹あたりを使うから、たぶんキーボードをたたくせいではありません。やっぱり爪切りです。これから気を付けるから、きっと爪が割れなくなります。よかった。めでたしめでたし。ではナイン・ウェイブズはじめます。



(1曲目)

アイアン・メイデン「モルグ街の殺人」

(ここで曲を聴いてください♪)


 モルグ街の殺人といったら、エドガー・アラン・ポーが書いた、世界最初のミステリー小説です。

 アイアン・メイデンはゴシック味があるバンドなもので、ミステリー小説がモチーフになっております。

 ボーカルがブルース・ディッキンソンになるまえ、ポール・ディアノです。ハイトーンではなく野性味のあるボーカルです。パンクっぽいと言われますよ。

 パンクというのは、イギリスでメタルバンドブームが起きるまえに流行していたミュージックです。メタルなんて終わってると言われていましたよ。パンクはすぐに廃れて、残ったのはメタルでした。パンクは音楽がつまらなかったから消え去ったのです。



(小説が書けないのはなぜか)

 みなさん、小説書いていますか。書いているならいいか。今回はこれで終わり!

 そんなわけあるかーい。書いている人も聞いてっておくれ。時間の無駄かもしれませんけれど。無駄を楽しむ余裕が人生を豊かにするのです。うん、いいこと言った。


 わたくしはたまにちょっとだけ小説を書きます。時間に余裕がないもので。あと、先が思いつかないものだから、ちょっと書くだけで時間がいっぱいかかるのです。

 書くことが決まっていれば、すらすらと書いて2時間か3時間くらいで6,000文字書くのですけれどね。あいにく先が見えず、手探りで書いています。2日か3日で2000文字書いたかなってくらい。ふぃー、先は長い。


 なぜこんなことになるのでしょう。わたくしはちびちび書いているけれど、ちびちびも書けないひとだっていますよね。小説を書いたことがあるひとでも、書けないひとになります。なぜでしょう。そんな話を本日はしてゆこうかと思います。


 小説はどうやって書くのかというところから話をはじめましょうか。最初のアイデアが思いつきますよね、とっかかりになるものです。テーマみたいなものかもしれないし、キャラかもしれないし、設定かもしれないし、エピソードかもしれません。なんでもよいのですね。なぜなら、小説が出来上がるまでに全部ひとそろいないといけないからです。順番にこだわる必要はない。

 これはポピュラーミュージックも同じです。曲があって歌詞がある、一方だけではだめです。コード進行があってメロディーがあって、リズムがある。全部ひとそろいないことには曲が完成しません。最終的にそろえばいいから順番はどうでもよいのです。

 あらためて名言をご紹介しておきましょう。


 メタルはなんでも教えてくれる。


 すばらしい! これはメタルを聞くしかありませんな。人生が好転すること間違いなし。


 話を小説にもどします。プロットがありますね。プロットは点の集まりです。小説がとおる点です。最後に告白するって決まっていても小説は書けません。告白にたどり着くまでにどの点をとおるかが重要なのです。

 はじまりから終わりまでの通過点が決まれば、あとは点をとおるようにつぎの点、つぎの点と、プロットで決めた方に向かって書き進めれば自然と小説が完成します。プロットを考えることが小説を書くことだといってもよいくらいです。


 では、プロットが完成するまで小説が書けないかというと、そんなことはありません。プロットが全部できるまで小説を書きはじめられないとすると、小説家は小説を書けないことになり、ただの家になってしまいます。ここ笑うところですよ。くっくっく。



(2曲目)

メタリカ「誰がために鐘は鳴る」For Whom The Bell Tolls

(ここで曲を聴いてください♪)


 「誰がために鐘は鳴る」はヘミングウェイの小説ですな。アメリカは歴史がなくて文学もない。小説の大物がいなかったところにヘミングウェイがあらわれて、俺たちの小説家や! となったんではなかったかな。ノーベル賞も獲っているし、国民的作家です。

 メタリカは小説を題材にすることがわりとあるみたいで、「ワン」という曲はダルトン・トランボ「ジョニーは戦場へ行った」を題材にしているのだとか。小説知りませんけれど。映画にもなっているみたい。

 オープニングのメインメロディーはベースで演奏されています。メタリカのベースのクリフ・バートンは、ツアー中にツアーバスの事故でお亡くなりになりました。作曲にはアルバム2枚目から参加だったかな(1枚目の曲ができた段階でバンド加入)。シンプルな曲を演奏していたメタリカにプログレ的な複雑さをもちこんだと言われています。



(小説が書けないのはなぜか)

 どんなド素人で小説を書いたことがない、書こうと思っても書けない、どうやって書いたらいいか見当もつかないというひとだって、ちょっとしたアイデアくらいは思いつくものです。テーマみたいなものだったり、キャラだったり、設定だったり、エピソードだったり。

 でも、実際に小説を書きあげられるひとは大変めずらしい。どこに困難があるかというと、プロットです。はじめから終わりまでの道筋を見つけるのがむづかしいのです。プロットがあれば、書いている途中で思いついたことも取り入れて楽しく小説が書けるというものです。文章なんて、書いて直してを繰り返していれば、そのうちなんとかなります。

 ということで、小説を書いたことがないひとは借り物のプロットで小説を書けば練習になります。プロット以外のところを考える練習になるし、プロットができたら本当に小説が書けるってことを体験できるし、プロットがどんなものかも感じられます。


 小説を書く人はわかると思うのですけれど、じつは小説を書きはじめるのにプロットが完成している必要はありません。完成していればうれしいのですけれどね、世の中そんな甘くない。見切り発車しないことにはいつまでたっても小説を書きはじめられないってことになってしまいます。


 どういうことかというと、実際に小説を書いているときは、プロットを考えているときよりもその場の理解が進むのですね。書くために作者は、今書いている小説のその場にいるような感じで見たり聞いたりすることになります。言葉だけで考えているときよりも、その場にいるときのほうが状況がよくわかります。今まで書いてきたところによって、プロットを考えていた時より小説のことがよくわかっているし、話の流れだってよく理解できています。

 それで次にどうなるかがわかります。プロットとちがう方向にキャラが動いてしまうなんて言うのは、プロットを考えているときには材料が足りなかったということで、その場にいるところまで想像できていなかったのです。その必要もないのですけれどね。プロットにこだわらないほうが自然な成り行きになることでしょう。

 ちょっと書くとつぎの展開が見えて、そっちの方向に書いてゆくとまた先が見えてくる。そうやって書いてゆく方法があります。


 一番良いのはプロットが完成していることで、つぎは今日書く部分のプロットが思いついていること、最後は書きながらプロットを考えるってことになります。

 プロットが完成していなければ、書いていてつぎの展開が思いつかなくなりもう書けませんとなることもあるのですけれどね。遠くにあるプロットに向かって考えるしかありません。

 最後は告白、どうやって告白までもっていくか、今まで書いたことを見返しながら考えるしかない。つまらない展開でも最後まで書けないよりましと思って書きます。


 一度書いたら完成というわけではありません。見直しをいくらでもしてよいのです。面白くする方法がわかればあとから書き換えればよろしい。

 最後まで書いた小説からプロットを作るのもアリです。プロットを練る作業を小説の見直しをしながらやればよいのです。プロットの状態のほうが考えやすい場合もあります。小説が完成するころにはプロットも完成しています。

 タマゴが先かニワトリが先か。プロットが先か、小説が先か。そんな感じ。

 

(3曲目)

アングラ「Wuthering Heights(邦題:嵐が丘)」

(ここで曲を聴いてください♪)


 エミリー・ブロンテの小説「嵐が丘」がタイトルになっています。作詞作曲がケイト・ブッシュで、ケイト・ブッシュにとってデビュー曲でもあります。すごい。はじめて書いた小説でデビューしてベストセラーになったみたいなものです。京極夏彦かな。

 似たタイトルに「魔の山」がありますな。似ているというほどでもないか。トーマス・マンです。マンが姓ってすごいものです。日本で言ったら人間さん。入間人間は姓が人間と見せかけて入間ですな。だまされるところだったぜ。

 エミリーのお姉さんにシャーロットがいて、小説「ジェーン・エア」を書きました。「嵐が丘」か「ジェーン・エア」かどちらかを読んだと思うのですけれど、どっちか覚えていません。どちらも上下巻あってぶ厚いのですよね。最後に元旦那さんか元婚約者が失明していることを知って、丘の上の家に駆け戻るのだったと思いますけれど、となると丘っぽいから「嵐が丘」かな。

 いまウィキペディアであらすじを調べたら「ジェーン・エア」でまちがいなさそうとわかりましたよ。ウィキペディアは便利ですな。わたくしの推理はポンコツでした。

 演奏はアングラによるカバーです。アングラはブラジルの至宝と言われたブラジルのメタルバンドです。わたくしも大好き。



(小説が書けないのはなぜか)

 小説を書くにはまずプロットを考えろと言いました。プロットが完成すれば小説は点をなぞって書いていけます。

 はじめから終わりまでのプロットができなくても、書きはじめてよいとも言いました。プロットを完成させる困難を先延ばしにしたようなもので、書きながら考えることになります。


 プロットがなくて、この先どうするかも決まってなくて、いまなにを書いてよいかわからなくて困っているという場合どうしたらよいか。これが一番切実な問題ですよね。

 そんなのうまくいく方法なんてあるわけありません。考えつづけるのみです。思いつくまでね。あるいは、保留にして書けるところに飛んでしまう。

 もう小説のそのパートはすっ飛ばしてしまうという手もあります。あとから振り返るのですな。振り返りなら雑に要約すればいいから、さすがに書けます。


 考えて、ちょっと書いて、考えて、ちょっと書いてとやって、書きにくいところを突破しろ。これが唯一の方法でしょう。

 簡単に話が思いつくなら、小説を書いてみたいひとなんて砂場の砂粒くらいいますから、小説を書く人は今の何倍もいることでしょう。みんな書いてみたいなと思っても実行しないし、実行しようとしても挫折します。だから河原の石ころぐらいの人数におさまっているのですね。知りませんけれど。


 みんながお月様になりたがっています。河原の石ころがみんな宇宙に手を伸ばしてあがいているのだから、困難なことに挑んでいます。簡単に面白い小説を書けると思ったら、机に5回おもいっきり頭を打ち付けたほうがよいでしょう。困難覚悟で挑んでいるなら、小説のつづきが書けないくらいのことでへこたれてはいけません。ピラミッドの石を運ぶつもりでちびちびやるしかないでしょう。コマツには頼れません。

 AIに頼む手はあったか。石ころがAIに指示して小説を書かせたところで面白い小説になるとは思いませんけれど。



(小説が書けないのはなぜか)

ガンズ・アンド・ローゼズ「ライ麦畑で捕まえて」

(ここで曲を聴いてください♪)


 曲はつまらない。ガンズのソングライターはイジーでした。イジーはボーカルのアクセル・ローズとは幼馴染でしたよ。田舎からロスに出てきたのだったかな。田舎者のアクセルをプロデュースしてかっこよくしたのもイジーでした。

 イジーがいなくなったものだから、つまらない曲しか作れなくてこのテイタラクです。イジーの遺産で食っているようなものです、ガンズ。

 小説の「ライ麦」の作者はサリンジャーですな。サリンジャーのなかにもイジーがいて、一瞬だけ長編が書けるようになりました。「ライ麦」のあとは長編が書けず、短編をいくつか書いただけです。イジー脱退ですな。

 ひっそりと地味にリズムギター弾いているからってイジーをないがしろにしてはいけませんぞ。脱退はなにがなんでも食い止めろ。意味はわかりません。



 書いている途中でこの小説おもしろいの? と疑問がわくことがありますな。わたくしはおもしろくなくてもいいやと思って書いていますから気になりませんけれど。気になってしまう人もいます。自分がつまらないと思う小説を他人に読ませるわけにはいかないという誠実な人ですな。


 まず考えないといけないのは、他人のことはわからないってことです。自分がつまらないと思っても他人にはおもしろいかもしれません。ひとづきあいのなかで、自分が普通にしていても、あんたおもしろいねって言われる場合だってありますよね。おもしろさに気づいていないだけかもしれません。


 小説を読むのは読者だってことも重要です。自分が読むために書いているわけではありません。自分が読んでおもしろい必要なんてないのですな。仕事と同じです。

 カメラのレンズを磨く仕事の人は、楽しくてレンズを磨いていません。きっとカメラで写真を撮るのが好きってわけでもないことでしょう。レンズを使った人の写真の出来に関心なんてないことでしょう。写真の評価は別の誰かがします。仕事でやっているのです。レンズを使う人のためにね。自分のことは関係ありません。

 レンズを磨くことが意味しているのは、小説を書くことであり、見直しをしてクオリティの高い小説を読者に届けることですな。読んだときのおもしろさは誰かが評価してくれるものです。作者がすることではない。


 そんなわけで、わたくしの書いた小説がつまらなくてもわたくしには関係ありません。賞がもらえればうれしいのですけれどね。明日賞がもらえて賞金がガッポリだといいな、そんな明日を夢見て寝ます。おやすみ、ぐっない。

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