第39話

 物心ついてから、私は父さんから私の出生を聞いた。父さんの私有している山の麓で薄い布にくるめられて放置されていたらしい。見つけたその日は雨が激しい夜で、体温が奪われて死ぬのには時間の問題な状態だった。死んでもおかしくなかった。


 だけど、死ななかった。薄布一枚で赤子が一夜を過ごせるはずもない、なのに死ななかった。

 それは、鹿や、熊や、イノシシや、リスや、猿や、様々な生き物が身を寄せ合って雨風から守っていたからだった。父さんはそれを奇跡だといつも言っていた。優しさに溢れているその様子から、父さんは私にゆうと名付けた。


 そんな私は父さんの森で育てられた。友達は動物ばかりで人間とは父さんとしか話さない。見かねた父さんは人間の友達を作らせるために幼稚園に入園させた。それから小学校、中学校と通うことになるのだが、正直あまり記憶にない。家に友達を連れてくることもあったのだが、森で駆けまわる時は疲れてだるそうにしていた。楽しそうにしている時は、家の中で携帯ゲーム機と向き合っている時だった。家に来たのはそれっきりで、聞いてみると「わいふぁいがないから」だそうだ。……確かにワイワイはしていなかったように思う。


 そんな私の人生に転機が訪れたのは、あの電話だった。父さんはその電話を私に聞き取られない場所で聞こうとしているようだったので、好奇心から隠れて聞いてしまった。

 それは、この森を誰かに売り渡すという内容の電話だった。

 問いただした。何故この森を誰とも知れない人に渡してしまうんだと。林業の停滞が理由だと口では言っていたけれど、今思うと、私がこれ以上動物に執着していると人間との繋がりができないかもしれないという心配があったのかもしれない。


 許せなかった。

 人間のために私達の居場所が奪われるなんて、辛かったし、悔しかった。

 居場所が奪われる事もそうだがそれよりも、信頼していた人が私の意に背くようなことに賛成していたという事実が、悲しかった。


 人間から大切な者を守るんだ。

 私が守らなきゃ。

 人間は敵なんだ。

 許すな。

 許すな。

 敵だ。

 敵だ。

 敵だ。


 敵だから、工事のテントにいる人間を襲ったら、逆に殺されてしまった。一瞬で体が穴だらけになって、真っ赤に染まる。

 それからの記憶はない、あるのはただ、後悔だけ。

 ああ、私が死んだら、誰があの森を守るんだろう。ごめん皆、私が無力なばっかりに守れなかった。

 許せない、悔しい、辛い、憎い、恨めしい。人間なんて、人間なんて。


「まぁそう言いなや、もっとブサイクになんぞ」


「え?」


 体育座りでうずくまっていると、横に茶色い犬がよろよろと歩いていた。ペロだ。父さんが飼っている雑種犬である。

 ペロは父に命じられない限り行わないお座りの体勢になり、毛深い顔の隙間から私の目を覗き込む。


「人間ってだけで恨むんは勿体ないって言っとるんじゃ、良い奴もおれば悪い奴もおるってだけやねんから」


「でもそんなの、分かんないじゃん、父さんも、あの人も結局は私が嫌がることをした悪い人だったわけだし。信用してみないと分からないからって近づいて殺されたらどうするのさ」


「せやなぁ、そりゃもうしゃーないわな。信用した奴が悪い」


「ほらぁ、やっぱり信じた方が負けじゃん」


「ブスっとするともっとブスになる言うとるやろ。まぁ、野生としてはお嬢は一人前なんやろうな、やけどそれでええんか?」


 ペロの目は、くりくりしてて可愛い。偉そうな態度なのに目がかわいいのなんて反則だ。だから、つい向き合ってもいいかって、心が許したくなる。


「ずっと自分の世界に閉じこもって、わしらと暮らして、そうやって心の平穏に浸るんもええやろ、やけど、たまには散歩で外の世界に行くのもええもんや。そうすりゃ――」


「世界の動物に会える!」


「違うわ! さっきまで卑屈やったのにそこだけポジティブしなや! 目ぇキラッキラさせよってほんまにぃ!」


 突っ込まれた。今までわんわんとしか言ってなかったのに、実はこんな感じに話していたのだろうか。何だかむかつく。


「その世界の動物に会うんにも、海泳いで渡るわけにはいかんやろ」


「マンボウは遭難した人を岸まで運んでくれるもん」


「遭難しとるやないか、それにマンボウにお手を煩わすなストレスで死ぬわ」


 私と同じテレビからの知識だろう、その内容でもマンボウはストレスですぐ死ぬため卵を多く産むと言われていたっけ。

 ペロは続けた。


「わしが言いたいんは、人間が生きるためには、人間の力を少なからず借りなあかんってことや」


 分かっている。テレビが無ければマンボウの生体を知ることも無かったし、興味を抱くことも無かった。そのテレビも人間が作っている。人間の力が無ければ、私は生きていけない。だから父さんは私に人間との関りを持たせようとしたのだ。

 分かっているけど。

 分かってるけどさ。


「でも、売り払うことなんてなかったじゃん、皆死んじゃうんだよ? 生きても狭い檻に追いやられちゃうんだよ?」


 思い出した、死ぬ瞬間、私は悔しくて泣いていた。血が涙で滲み、塩分が痛かった。

 でも彼らはもっと辛いはずだ。


「あーそれなぁ、隆介のやつが断念しよったぞ」


「……ふえ?」


 隆介とは父さんの名だ、父さんが、何だって?


「お嬢が死んでから後悔したんやろうなぁ、それでうっぱらうの辞めたんや。相当堪えたんやろうなぁ、相手さんとも揉めてたけど、あいつは後悔してへんかったで」


 嘘、でも、それじゃあ、人間って。

 いや、でも。ああ、なんだか頭がこんがらがる。

 人間って悪い? いやでもその原因だった理由は解消されて。


「やっと伝えられたわ、あースッキリした。ここで会うた時お嬢アホみたいになってたからなぁ」


 そういうペロの顔はどことなく清々しい表情をしている。


「あいつ泣きじゃくって『森あっても優は戻ってこんのや』って言うてたからなぁ、うるさくてしゃーなかったもんな」


 泣いていた? そんなに私の事考えてたってこと?

 なら、私が人間を恨む意味って……。


「戻って来ぃや、人間も案外悪くないもんちゃう。お嬢もそんくらい分かっとるんちゃうんか?」


 ……それは、まぁ無くはない。カレンっていうお姉さんはずっと優しく接してくれたし、マスターも私のために甘口カレーにしてくれた、まぁそれでも辛かったからカレンがヨーグルトを混ぜて食べさせてくれたけど。


『動物の事が大好きなら、分かるよな?』


 そう頭を撫でた男の手の感触を思い出し、少し体温が上がった感覚がした。


「なんや、気になっとるオスでも居るんか?」


「オ、オス!? 何のことかな!?」顔が一気に耳の先まで沸騰する。慌てて減らず口を塞いだ。もこもこだった。


「なんやねん、お前が赤ん坊ん頃から居るんやからそれくらい分かるわいな」


 うう、家族の観察眼恐るべし。


「まぁ、仲良うなるんやったら、まずは友達から始めんとな。こんな狭いところに閉じこもっとらんと」


 ペロは私の目の前に来た。気づけば、紐のようなものが首に付いている。その紐は私の手に繋がっていた。

 駆けるペロに引っ張られ、腰が浮き、前に行く。抵抗できないほどの力じゃない、でも抗うことはしなかった。むしろ嬉しい気持ちを抱きながら、走る彼に追いつこうと、私も力いっぱい地面を蹴る。

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