第36話

 静まり返った夜の街中、薄明かりに照らされた路地の奥から、低くうなる音が聞こえた。その音に気づいた若い男性は、一瞬立ち止まり、警戒するように周囲を見回した。突然、黒い影が猛スピードで彼の方へ突進してきた。鋭い牙が輝き、目には野生の狂気が宿っている。


 彼が反応する間もなく、その影は彼に飛びかかり、鋭い爪が彼の腕に食い込んだ。男性は悲鳴をあげ、必死に振り払おうとするが、動物の力強い攻撃に圧倒される。彼の悲鳴は夜空に響き渡り、近隣の住民たちは窓から顔を覗かせるが、暗闇の中で何が起こっているのかはわからない。


 襲っているのは体毛は長く、前足前面に黒褐色の斑紋が特徴のニホンオオカミだった。餓えたニホンオオカミは、獲物を逃がすまいとさらに強く噛み付く。男性は地面に倒れ、必死に手足を振り回して抵抗するが、ニホンオオカミの攻撃は止むことがない。彼の叫び声は次第にか細くなり、周囲の静寂が再び戻ってくる頃には、ニホンオオカミは闇の中へと姿を消していた。通りにはただ、恐怖と痛みに満ちた痕跡だけが残されていた。


 ***


 ギルドは光がほとんどなく、月明りが窓から差し込む程度しかない。そんなギルドの厨房に一人、パツパツのタンクトップを着て腕を組んでいる男がいた。ギルドメンバーには、水晶玉に触らせたと同時にギルドマスターや受付嬢の人達と連絡できる魔法が付与される。業務連絡用だ。その魔法によってマスターは先ほどのような報告を多数から受け付けていた。


 そしてフランスパンのような太い腕をゆっくりと動かし、人差し指を頭に当てて、今度は受信ではなく、ギルドメンバー全員への発信魔法を発動させる。


『ギルドメンバー全員に告ぐ。現在ディネクス全域にて、動物の暴走による国民の被害が多数発生している。緊急クエストだ、動物達から国民を守れ! 方法は問わない!』


 その魔法を発動し終えたところで、ギルドに来訪する影が現れた。動物の進行がギルドにまで到達したのかと思いきや、それは動物ではなかった。そこにいたのは、縞々模様の上下の服を纏い、手には鎖が伸びた腕輪を付けている白髪の男だった。狐のような吊り上がって目でマスターは男を見つめていると、そのマスターは不適に笑った。


「はっはっはー! 誰かと思えば、サツキ君にしてやられた魔法使い君じゃないか。元気にしていたかい?」


「元気なわけあるかよ」と口をとがらせる男。「まさか未来予知能力があるなんて思わねーだろ、あんなの反則だっつーの」


「彼のあれは未来予知とは少し違うと私は見ているがね、もっと疲れそうな特質だと思っている」マスターは首を傾げてそう返した後「さておき」と手をパンと叩いた。


「ここまで来たと言うことは、私が差し入れしたテイクアウトだけでは飽き足らず、イートインをご所望ということなのかな?」


「どう見ても営業時間外だろうが。お前が勝手にカレーと一緒にこんなの寄こすから来てやったんじゃねーか」


 と、男が一枚の紙を取り出す。便箋サイズの紙だが、表面には何も記載されていない。しかしそこにはマスターの強い思いが込められていた。


「なぁに、見込みある人材を牢屋に押し込めておくのは国にとっても損失だからね。勧誘だよ勧誘。君ならこの国の牢を破れると思っていたさ」


「破られる事予想する牢を作るなよな、呆れるぜ。このまま逃げても良かったんだが周りは動物が暴れてるしよ。ここは何故か安全っぽいから来てみたんだが。どうなってんだこりゃ」


 そこでマスターは剽軽な表情を引き締めてから、男に向かって宣言した。


「そのことなんだが、君には極秘クエストを発令したいと思っている。これをクリアしてくれれば、君にはギルドメンバーとして銀級に飛び級昇格をさせてあげよう」


 男はマスターのその誘い文句を聞いて数秒首を傾げた後、手紙をマスターに向かって投げ飛ばした。マスターはそれを人差し指と中指で受け取る。


「金級だ」


「ん?」


「銀なんてケチなこと言うなよ、どうせなら金まで飛び級させろ、俺の力が欲しいんだろ?」


 逆に足下を見るその手腕にマスターは笑いが込み上げる。ギルドに響き渡る笑い声を上げてからマスターはうなずいた。


「欲張りさんだなぁ、仕方がない、良いだろう。では発令する」マスターは朗らかな目を引き締めた。「この国で今暴れている動物達を、できるだけ傷つけずに鎮圧して見せろ。無駄な殺生を避るために」


「さっき方法は問わないって言ってなかったか?」


「盗聴もできるのか、凄まじいな。だがそんな技術を有しているなら容易だろう? 動物を無傷で大人しくさせることくらい」


 その挑発に男は苦笑いする。両腕に繋がれて垂れる鎖をガシャリと鳴らしつつ、腕を上げた。


「できなくはないが、この腕だとちと不便だからなぁ――」


 と外してもらおうとした最中、マスターが先ほど男から受け取った手紙を超高速で投げ飛ばした。その軌道は丁度腕輪の部分を通り、男の腕が解放される。重々しく地面に腕輪だった残骸が落ちた。


「特別サービスだ。これならできるだろう?」


 ひゅー、と口笛を吹いて驚いて見せた。そして男は颯爽と背中を向ける。


「もちろんだ。このフランツ様に不可能はない」

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