第33話
「不幸か、便利な言葉だ。自分の都合の悪いことは全て運命の仕業にしてしまえるのだからな」
言いたいことが、イマイチ分からない。いや、頭が働いていないだけかもしれない。地面にへたり込んでいる僕を見下してオウグが言う。
「自分が近くに居ることで周りに不幸を振りまく、
あの時から。終を死なせてしまった時から、周囲は僕を執拗に避難した。日本の宝を壊した、皇の敵、日本の敵、世界にとっても大きな損失。
あいつが死ねばよかったのに。
ずっと、ずっと言われてきた。
そんな僕の気持ちが、分かるものか。
「……うるせぇな、何も知らないくせに」
地面に顔を押し付けている状態で、掠れた声を振るわせた。オウグはため息を吐く。
「俺はこの世界で、物や情報を盗む奇妙な能力を身に着けた。『
なんてえぐい能力だ、異世界ここに極まれりだな。僕のどこまでの記憶を盗まれそうになったのかは分からないが、欠損が感じられないと思える当たり、まだそこまで盗まれてはいないようだった。
「だからこそ、お前から記憶を一層盗まなければならないと思った。お前の思想は歪んでいる、もう生きていけないほどに。今まで盗んできた記憶を保有していた転移者も同じように歪んでいた。……あいつと同じように」
あいつ? 誰の事だ? 頭が働かない。急に体にストレス反応を起こすことでパワーを上げたけれど、更にスタンガンの電撃が来たことで完全に体がバカになっている。手を地面に付こうとするが、肘が曲がって踏ん張りが効かない。
そうこうしていると、再び頭を大きな手で鷲掴みされた。体重を首だけで持ち上げられているため、ゴキゴキと骨が軋む音が聞こえる。ただそれを呆然と聞くことしかできなかった。
「忘れることが、逃げることが悪いことではない。終わるということは、始まるということなのだから。その始まりは、俺達が造ったディネクスで全力でサポートすると約束しよう」
忘れれば、逃げられる。こいつの手中に収まってしまうことは癪ではあるけれど、だけど良く考えてみると、今現在と天秤にかけてみると、もしかすると、存外悪いことでもないのかもしれない。
考えてもみろよ、僕が記憶を失くせば、周りがとやかく言う意味すら理解できなくなるってことだ。最強の鈍感力を手に入れられる。思えば、それはとても魅力的ではなかろうか。そうすれば、僕は人生をやり直すことができるってことだ。
そうすれば。
ああ、そっか。まだ心配することがあったっけ。
カレン、怒るだろうな。
僕の頭からオウグの手が、突如として離された。記憶が盗まれて抜け殻になってしまったのかと思った、だがそう自覚できるということは、少なくともまだ僕は記憶を盗まれているわけではないということらしい。
そして半開きの目には、オウグが身を退けたように見えた。僕の身体は瞬間、重力によって地面に叩きつけられようとしている。
だが、落とされなかった。頭ではなく、今度は胸倉を掴まれて、首がだらんと後ろに垂れる。
そこで見たのは、見えたのは。
輝かしい金髪が揺らめき、煌めき。
怒りの形相で拳を振りかざす、カレンの姿だった。
「どぉりゅあぁ!」
カレンの拳が僕の頬を捉えると同時に、胸倉から手が離される。世界が二三回転するとようやく勢いが止まり、頬を中心に全身の痛みを自覚した。
「っってぇな! 何すんだボケ! 急に殴るやつがあるか!」
「ボケって言う方がボケだボケが! もう二三回殴るぞ!」
……マジ怒りだ。どうしよう、どうしたら収まってくれるだろう。そう思考を巡らせていると、カレンは倒れる僕に向いてしゃがみこんだ。黒い綺麗なフリルを汚してまで。
「『嘗めるな』って言ったでしょ? 巻き込まれないように配慮されるとか屈辱でしかないわ」
そう毒ついたのはここまでで、カレンは優し気に僕の目を見て尋ねた。
「立てる?」
「せめて立たせるくらい回復させてほしいもんだがな」
「甘ったれてんじゃないわよ、自分で立ちなさい」
「つっても、体もボロボロだし、頬も痛いんだ」
「駄目、1人で立ちなさい」
カレンがいつになく厳しかった。ただ立ち上がる。それだけのことがとても辛い。膝が、腰が、腕が、頭が重い。
けれど、彼女の優しさに甘えるのは違うと思った。この程度で誰かの助けを借りていては、僕はいつまで経っても一人で立ち上がることはできない。
そう、分かっているのに、膝や、腰や、腕に力が入らない。
「私はね」と、カレンが言う。
「人は1人で生きていけないと思っているわ。誰かと誰かが手を取り合って生きる、それも素晴らしいと思うの」
けど、と反語を用いて、僕に伝えた。
「自分を成長させることができるのは、自分しかいないと思ってる。アドバイスがあっても、助力があっても、手を差し伸べられても、それを掴む力を振り絞るのは、いつだって、自分なのよ」
私は、サツキにはその力があるって、信じてる。
だから、手を伸ばさない。
人によっては、それは冷たく突き放したような言い分に聞こえることもあるだろう。結局は助けてくれないんじゃないかと、ため息吐きたくなる人もいるだろう。
もしも、カレンと今初めて出会ったなら、そう思ったかもしれない。
けれど知っている。カレンは僕を本気で思って、そう言ってくれている。何となく、それがよく分かる。顔中が熱くなり、水分が搾り取られていく。余計な感情が削ぎ落されて、体が軽くなっていくのが分かる。
ここまで言われて、ここまで思ってくれて、信じてくれて、立ち上がれないなんて無いだろう。僕は渾身の力を込めて、膝に手を置いた。そして。
「……っく、ぅぅうううおおおおーーー!」
内側までボロボロになっていたであろう身体を起こし、立ち上がることに成功した。体中が痛い、だが当たり前だ。痛くて当然なんだ。成長するためには、安心しきった蛹から出るためには、その蛹を破るしかないのだから、そりゃ痛いってもんだろう。
その様子を見て、月明りに照らされたカレンは太陽のように笑ってくれた。
「良し頑張った! 流石は男の子!」
今まで聞いたどんな言葉よりも、温かかった。
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