第32話

 そんな彼と、夏休みのある日にグランピングをすることになった。どことも分からない山の奥で、僕ら二人は一週間サバイバルをすることがあったのだ。あれは気温が高い癖に曇りで、台風が近づいてくるような、不安定な天気だった。山の木々が激しく前後左右に揺れて煩わしい。まぁしかし皇財閥の御曹司がただ単なる山に来ているわけじゃないんだろう。きっと広大な敷地全てが皇の土地で、安全に配慮された山のはずだ。ひょろっと長い紐が垂れた麦わら帽子を大事に被り直した、白いタンクトップと短パンに虫採り籠を引っ提げた終に聞いてみると。


「いや? どっかの山だけど。皇の山はもうフィールドワーク終わってて飽きたんだよなぁ」


 他人さんの土地かよ。夏休みの思い出を絵日記に残すという宿題の題材に使えるという誘い文句に乗ってしまった自分を殴りたい。ただ犯罪の片棒を担いだだけだ。宿題の題材になんてしたら犯罪の証拠になってしまうじゃないか。結局小学生の時と同様に物語から拝借せねばならない。大きくため息を吐いた。


「そういやお前、何か目的があるのか? 今のところただ山を登ったり下りたりしているだけに見えるんだが」


 流石にスタミナが切れてきて、息も絶え絶えに聞く。終は高い木からするすると降りると、周囲には誰もいないのに耳打ちするように伝えた。


「噂では、大昔に隕石が落ちてきたらしいんだよ。ここに。それを見て見たくってさ」


 それは確かにロマンがある話だった。絵日記にはもってこいの話題じゃないか。しかし、隕石が落ちた場所を探すならば、こんなに歩き回る必要はないと思う。なので僕は提案した。


「それならマップアプリの航空写真見たら当たりを付けやすくなるんじゃねーの? こんなしらみつぶしよりかはよっぽどましだ」


 その提案に目を輝かせる終。僕の右手を両手で力強く握りしめ、ブンブンと振った。


「やっぱりお前最高だよな! その発想はなかったぜ!」


 とテンションを上げてお為ごかしのようなことを言って、早速地図アプリを開き彼は今の場所から近いポイントに向かって走り出した。せめて歩いてくれ。


 僕らは歩みを止めた。しかし目的地に辿り着いたわけではない、地図アプリの現在地から目的地まで終が上から見た最短距離で行くもんだから(ついて行く身にもなってくれ)、目の前にある川に道を阻まれていることに気づかなかったのだ。


「あっちゃー、しゃーね、川登って橋探すか。流石にこの川は飛び越えられねぇぜ」


 川は上流のためか岩に痛々しいほどの爆発音を放って流れている。これでは確かに進めない。

 だが僕は、そこであることに気づいた気がした。ここに居ては、危ないんじゃないかと。言語化できない、何がどう危ないのか、自分でも分からない。けれど、何かが危ない気がした。そういえば、学校でこういうシチュエーションが危ないと言っていたような。どういうシチュエーションだっけ?


「おーい、先に行くぞ? 俺が隕石独り占めしちゃうぞ?」


「待てって……いや決して隕石を独り占めされることが嫌だからじゃなくて、山で1人にしないでくれって意味で待ってくれ」


「そんなに1人は嫌なのか?」


「生存率が高いからってだけだ」


「1人の方が生存率は高い気がするけどなぁ」


 と、終はなんとなくこぼした。しかし、本当にその通りだと、僕は思い知らされることになる。

 そうだ、彼は1人の方がよかったのだ。僕なんかをこんな危険な場所に連れてくるべきではなかった。少なくとも彼1人なら、もっといい天気でピクニック日和だったかもしれないのに。

 

 鉛色の空をふと見上げた。風が更にきつくなる。すると、僕の身体が勝手に動いていた。風にあおられたから? その通りだ。しかし僕の身体がではない。彼の麦わら帽子が、空を舞っていたのだ。僕にはそれが分かっていたから、予め飛び出すことができた。

 あの、流れの激しい川の中へ。


「あの馬鹿!」


 僕と数コンマ遅れて、終が川へ飛び込んだ。思えば、僕は負けたくなかったからいち早く、帽子が風で飛ばされるよりも早く飛び出していたのかもしれない。

 不幸な男だって思われるのはまっぴらだった。

 終の金魚の糞だと思われるのもまっぴらだった。

 誰かの迷惑になっているなんて思われたくなかった。

 あんな強い光のお零れで生きている寄生虫のような人間だと思われたくなかった。


 ……けれど、一瞬で終が僕を追い越し、流れる麦わら帽子を掴む。スクリューでも取り付けているんじゃないかというようなスピードだった。

 やはり、僕は彼に追いつくことはできないらしい。あーあ、また周りから言われ続けるんだろうな、あいつは皇の隣にいる奴だって。虎の威を借る狐だって。僕は自分が情けなく思えてならなかった。死にたくなった。いなくなりたかった。消えてしまいたかった。こんな矮小な存在、いてもいなくても変わらないじゃないか。皆そう思っているはずだ。だから、僕は死んでもいい。


 けれど、死ぬのは僕じゃなかった。

 川の流れが急に強くなる、全身が強い力で押し出された。川で濡れて気づかなかったが、空から大量の雨が降り注いでいた、そこで思い出す。そうだ、雨が降ると川の水量が増えて流される危険があるから、近づいてはいけないんだった。咄嗟に近くの岩にしがみつく。流れが強すぎて、身体を持ち上げるのに相当な力を使った。岸に上がって、荒々しい息を徐々に整えていく。


 整えて。

 整えて。

「…………っ!?」

 息が詰まった。寒さじゃない、寒気がした。がたがたと体が震えだす。

 いや、駄目だろ、それは、違うだろう。そんなこと、あってはならないだろう。

 確認せずにはいられなかった。

 川に沿って、流れる先を走る。ごつごつした河原は走りにくいことこの上なかったが、そんなのは知ったことか。

 駄目だ、駄目だ、それだけは、駄目だ。

 あってはならない。

 走って走って、限界まで走って、そこで僕は止まった。止まるしかなかった。僕に、ここを進む勇気はなかった。才能も、実力も、僕には何一つなかった。

 川をずっと見て走っていた。視界に何かを捉えればすぐに分かったはずだ。けれど、視線の先に大きな滝つぼを捉えた時に、僕は膝をついた。

 勇気も才能も実力もある皇終を、とうとう発見することはできなかった。


 それから、僕は心に決めたんだ。

 僕の不幸がたとえ他人に牙を剥くことがあったとしても、その不幸を自分の力で救えるくらい強くなると。

 僕の不幸は僕の責任で、僕の罪なのだと。そう誓ったんだ。


 *****


 オウグは僕の頭から手を離した。ドサリと地面に叩きつけられる。その僕を見下ろして、オウグは悲しそうな声音で呟いた。


「……嘘を吐くな、お前は不幸だなんて、そんな高尚なものじゃない」


 その言葉に、心臓が締め付けられた。

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