第28話

 真夜中の森は息をのむような静けさに包まれている。月明かりが木々の間から漏れ、地面に淡い模様を描いている。俺はその光の中に立ち、冷たい空気を吸い込みながら耳を澄ませている。微かな足音も逃すまいと。


 制服のブレザーのポケットに突っ込んだ手が、かすかに震えるのを感じる。緊張のせいか、冷気のせいかは分からないが、どちらにせよ、心臓が高鳴っているのを抑えることができない。


 周囲はまるで時間が止まったかのように静かだ。鳥のさえずりも、虫の音も聞こえない。ただ、風が木々の葉を揺らす音が微かに耳に届くだけだ。その音さえも、今の俺には重要な情報源だ。


 突然、遠くからかすかな音が聞こえた。俺の耳がその方向に反応する。足音か? 風の音か? 緊張が一気に高まり、全身が一瞬にして警戒態勢に入る。誰かが近づいているのかもしれない。


 目を凝らして闇の中を見つめる。影が動くたびに、心の中で様々な可能性が渦巻く。待っている相手が本当に現れるのか、またはこの静寂の中で一人取り残されるのか、答えはまだ闇の中だ。もし来なかったら相当な間抜けだが、来るはずだ。あのイメージの人物ならば。


 ふと、さらに近くで枝が折れる音が聞こえた。その瞬間、俺の心は冷静さを保ちつつも、期待と不安で満ちている。誰かが、確実にこちらに向かっている。その足音がどんどん近づいてくるのを感じながら、俺はその場に立ち続ける。

 そして。


「初めまして、山田サツキ君。私はオウグ、このディネクスを統治する王だ」


 と、男は言った。振り向くと、男はボロボロの黄ばんだローブをまとっていた。服は何度も修繕された跡があり、ところどころにほつれや穴が目立つ。色あせたシャツは体に張り付き、ズボンは裾が擦り切れていた。靴も片方の靴底が剥がれかけ、歩くたびにかすかな音を立てている。だが一番目立つのは、緑色と青色の石が合わさった首飾りだろう、あれだけは唯一、彼を王だと呼ぶに相応しい高級感があった。しかしそれがなくホームレスと見紛う姿だったとしても、僕は驚きはしなかっただろう。彼が来るために、わざわざディネクスの王様が居そうな城の、それも大きい窓がある部屋に緑色に輝く石を投げ入れたのだから。的外れならばいたずらで済まされるだろうが、僕をどこかで見ているのなら、そしてこの緑色の石がどういう代物なのかを理解しているのなら、ここに来るはずだった。そして、来た。


「要件は分かってるだろうな?」


 僕はそう言って、ポケットから赤色に輝く石を取り出した。この森のどこかで拾った石。恐らく、僕が転移して間もない時、山賊から逃げていた時に躓いたお墓に一緒に備えられていたものだと思う。その石に込められたイメージの映像には、この男の顔が映し出されていた。ローブがめくられて露わになった顔を見て確信した。


 こいつは、この国の王を乗っ取ったのだと。

 そしてせめてもの情けか、彼ら二人を埋葬したといったところだろうが、もうこれ以上好き勝手はさせない。

 記憶を奪われて、誰かの繋がりが絶たれるのは、見ていられない。

 かつて僕が友を失ってしまったように、そんな悲しみを増やさないために。

 オウグは僕の手の石を見るが、表情一つ変えずに言った。


「それはかつての友の大事な宝物なのでな、返してもらうぞ」


「友? 返す?」一気に頭の血が上る。「お前が王様から国ごと簒奪したんだろうが、そして今も転移者から記憶を盗んでいる。この国がより豊かに発展するために。僕はそれをこれ以上繰り返させないために居るんだ!」


 オウグは一瞬目を逸らしたものの、すぐに僕に視線を戻した。


「そうだな、確かに俺はあいつから国を簒奪した。文句を言われても仕方がない。厳然たる事実だ、それは受け入れよう」


「何を、譲歩したみたいな言い方をしているんだ」また、僕の目尻が少し上がる。「お前のせいで、悲しんでいる人が、犬がいるんだぞ、なんでそんなことができるんだ! 富か? 技術か? 発明か? 発見か? 知識か? 国力か? それらを奪うために、どれだけの人間の人生が狂わされたと思っているんだ!」


 オウグは黙る。だが目を逸らしはしなかった。覚悟ができているような思いが、まっすぐに伝わってくる。それが腹立たしい、憎らしい。何故そこまで、こいつの目は澄んでいるんだ?


「そうだな、人生を狂わしてしまった、人の繋がりも絶たれたこともあるだろう。確かにな、それもまた、否定しがたい事実だ」

 オウグは動揺1つせずに言う。僕はいつの間にか喉を限界まで震わせていた。


「だから! なんで開き直れるんだ! お前は何様のつもりだ! 王様だとでも言うつもりか!?」


 それはもう王なんかじゃない、神だ。人を意のままに操るために記憶を奪い、自由を奪う。神の所業。

 それは、人間には許されない。


「……王様か、違うよ」


 オウグは、そう言った。

 ディネクスの王だと自己を紹介したはずのオウグは、自分は王ではないと言ったのだ。言葉遊びにでも興じているつもりなのか?


「ふざけるなよ、なら、なんでお前は、記憶を奪うなんてことをするんだ」


 転移者の記憶を奪い、人との繋がりを奪い、人生を奪い、その全てを手中に収めている。その理由はなんなんだ。

 静かに口を開き、僕の目を見てオウグは言った。


「俺は王の代理だよ、あいつが作れなかった国を、皆が幸せに生きていく国を、俺が造る」


 オウグの目は、より一層迷いなく澄み渡っていた。

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