第23話

 …………。


「わん(なんや、最近の若いのは礼も言われへんのかい)」


「い、いえ! ああああありがとうございます!」


 冗談なくこの犬が居なければアナフィラキシーショックを引き起こして死んでいたというのは理解できる。命の恩犬を我が人生で(この命を一生に含むなら)持つことになるとは思わなかった。だが恩を抱くというよりも、借りを作ったという気持ちを抱いてしまう。数日後には「わん(おうわしが助けたのは間違いじゃったかのぉ)」と寝首をかかれかねない気がする。何故ヤクザな口調なのかとは思ったけれど、そういえば関西弁のイメージもそのまま伝わってしまうらしいので、それと同じだと無理やりに理解した。


 そのヤクザ犬がまた口を開く。


「わん(そない怖がるなや傷つくやないかい)わん(食ってかかるわけちゃうんじゃからのぉ)」


「貴方が言うと洒落にならない慣用句ですね」


「わん(人間は口に合わんからな)」


 味の問題だった。つーかこの言だと、ちゃんとテイスティングした上で取捨選択してやがる。口調も相まって、マジで指詰めした誰かのを食った経験がありそうな気がしてくる。


 人間を食ったかもしれない牙が覗いた。


「くーん(はぁ、わしゃいつもこうじゃからのぉ)わふ(いっつも人間が怖がるんじゃよなぁ)」


 本人、本犬も気にしているらしかった。こうもしおらしくしているとちょっと可愛い。耳を垂れて頭を下げていると撫でてみたくなる。手を伸ばしてみた。

 噛まれた。


「いっでででででっ!」


「ぐるる(こう触られるとつい噛みたくなるんじゃ)ぐる(不味いしのぉ)」


「この分だと結構味見してやがんな!」


 しかもちゃんと不味いらしかった。二重で凹むぞ。急いでアロマテラピーのヒールを漂わせる。

 ヤクザ犬はそれに続けて言う。これが本命らしいようだった。


「わん(まぁでも、お嬢はわしを怖がらんかったがな)がふ(改めて、お嬢の暴走を止めてくれて感謝するわ)」


 また耳が垂れた。しっぽも垂れる。だが僕の顔に自身の顔を合わせて言った。その気持ちの素直さが、ストンと心に落ちた。

 お嬢、暴走。その言葉が意味する人物は1人だけ。通称しーちゃんだ。まさかあいつヤクザのお嬢様だったりするのだろうか。まぁそれはいい。


「僕も蜂から助けられたんだからどっこいどっこいだよ。まさか一声で蜂を追い返せるなんて思わなかったよ、蜂ってじつは大きな音に弱いのか?」


「わん(そういうんちゃう)わん(ただわしがドス利かせただけや)」


 蜂にも通用するのかこのヤクザキャラ。そのドスを軽く効かせてまた言う。


「わん(それにそのあとも感謝しとるんじゃ)わん(お嬢を誘拐した奴の1人を撃退してくれたんじゃからのぉ)」


 と、またしつこいくらいにペコペコと首を縦に振る。これでは犬というより赤べこだ。だがそんなことより引っかかったことがあった。


「なに? 誘拐した奴の1人? ってことは」


「わん(なんや知らんかったんか)わん(あいつは人間を誘拐する担当で)――


 ――ぐるるる(お嬢をあんなにしたんは他の人間や)」


 ヤクザ犬が、忌々しそうに唸る。まさか、カエル忍者だけじゃない、のか? そういえば奴に記憶を奪う犯人かと聞いた時「当たらずとも遠からず」とか言っていたような気がする。分業体制を敷いていたのか。だからあのカエル忍者は僕と出くわした時、あのまま僕の記憶を奪うことはしなかったのか。


「わん(わしが他の動物達を呼んだお陰で)わん(どうやら少しは覚えが残っているようじゃがのぉ)」


 と、またヤクザ犬はしょぼくれる。無理もないだろう、たかだか小型犬が敵うはずもない。相手は人間だ、知恵は武器であり脅威なのだから。

 だが、僕もこの知恵を武器として使えるじゃないか。丁度この犬が犯人を目撃したというのなら突き止められる。これで記憶を奪われる心配もなくなる。腰を低くしてまくしたてた。


「お前が居なければしーちゃん、お嬢は助からなかっただろうよ。んで、その別担当はどんな特徴だった? 男か? 女か? どれくらいの身長だ? 靴の大きさは? 好きな食べ物は?」


 鼻を噛まれた。


「うわん(うっさいな落ち着けガキ)! わふ(身長とか知るかボケ)!」


「ざーぜん」


 鼻をヒールさせながら(アロマが直で香るので回復速度は少し早め)言い分を大人しく待つ。


「がるるる(匂いなら分かる)。ふが(やけに汚らしい、ボロボロのシミだらけな匂いじゃったな)」


 ボロボロの、シミだらけの匂い。ヒントも全くない中結構な進歩と言っていい情報だった。

 そしてふと、それが誰なのか知っているような気がした。

 だが僕はまだ、その人間が誰なのか同定できていなかった。


「おーい! そろそろ干からびるくらい出してんじゃないでしょうねー!」


 とのカレンの声が聞こえて、僕の緊張感が僅かながら解けた。そうだ、カレンにも例の記憶を奪った犯人の特徴を共有してもらおうと思ったのだが、ヤクザ犬は踵を返そうとしていた。


「おい待てって、今僕達はしーちゃんと呼んでるが、お前の言うお嬢と一緒なんだ。会ってけよ」


 首を横に振るだけで振り向きもしない。ただ弱々しく唸るだけだった。


「がう(あいつはもうわしのこと忘れちまっとる)……がう(そんな状態で会っても辛ぇだけじゃからの)」


 僕は手を伸ばすも、彼を掴む事が出来なかった。けど、拳にして握りしめる。あのヤクザ犬、口は悪いしよく噛むけれど、悪いやつじゃなかった。そんな奴には、幸せになってほしいから。


「任せろ、僕が絶対に記憶を取り戻す」


 そう呟いた時、気づいた。

 背中からの声が、聞こえない。いつも罪悪感を煽ってくるあの声が。それにとても気分が良かった。体中から力が漲るような。

 立ち上がって振り返る。そこには手を繋いでこちらに向かうカレンとしーちゃんの姿が見えた。その事がとても嬉しくて、僕も自ら歩み寄った。

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