第21話

 夢うつつに、しーちゃんは「父さん」と言っていた。記憶を奪われているのならば自分の父の記憶が残っているとは思えない。そもそもそれ以前に夢というのは記憶から構成されて然るべきだろう、そこから推察するに、彼女にはまだ記憶が残っている。自分の信じて止まない仮定のための証拠を集めている確証バイアス感は無くはないけれど、しかし一考の余地があると思ったのだ。だからカレンに聞いてみたのだ、記憶が奪われる前と後を目の当たりにしたカレンに。そのカレンは過去を思い返すため、目を閉じ唸ってから答えた。


「なるほど、確かに言われてみれば違和感ものね、今まで記憶を失った転移者とは何人かと話したことはあるけれど、そういうプライベートなことは話してないから分からなかったわね……あの子はそれっきり会えてないし」


 記憶を失った友人のことを思い出してしまったのだろう、少しだけ表情に陰りが見えたので、すかさず切り替えた。


「まぁカレンから見ても違和感があるって分かっただけでも収穫だよ」


「あ、なら本人に聞けばいいんじゃない?」と言うので、カレンはしーちゃんに向かって色々と質問してみた。


「出身は?」


「森!」


「好きな食べ物は?」


「肉!」


「好きな動物は?」


「……動物!」


 うーん、判断しづらい。出身が森って何なんだろう、生前は森の妖精か何かだったのだろうか? それとも森ガールか? 分からないけれど、しかしこの問いに対しての迷いの無さは、まだ記憶が残っていると思っていいのかもしれない。


「おーいカレンちゃんたち! 早く来ねーと無くなっちまうぞー!」


 と、さっきまで音楽を発していたスピーカーから男らしい声が呼びかけてきた。厨房ステージを見やると、マスターが長蛇の列に対して寸胴鍋越しに一人ずつカレーをよそっている様子が見えた。話に夢中で調理ライブが終わったことに気づかなかったようだ。三人そろって腹を鳴らす。


「そんじゃま食べますか!」


「賛成っ!」


 それからマスターお手製の超スパイシーカレーライスで舌鼓を打ち、お腹いっぱい食べたことでしーちゃんが眠ったため、今日のところはお開きとなった。一応明日依頼にも備えなければいけないので。


 だが、僕は気づきもしなかった。意識すらしていなかった。

 好きな動物は? そう聞いた時、しーちゃんがその問いにだけは眉をひそめたことに。

 そして、答えた「動物」の中に、人間が含まれていないかもしれないという可能性に。


 翌日、再び畑近くの森へやってきた僕らは、しーちゃんに襲われかけた例の大きな木のところ向かっていた。というのも、野菜泥棒であるこの動物達の処遇を考えないと、物質創造の練習台としてとはいえ受領したあの老婆の依頼を解決しなければならないのだ。


 処遇。処罰、殺処分。野菜泥棒を行動不能にすることは簡単なのだろうが、如何せんしーちゃんの存在を考えると難しい。道中そんなことを話しながら、畑が広がる田舎道を歩いていると、カレンがしーちゃんに提案した。


「しーちゃんがあの動物達に野菜食べないで! って頼めばいいんじゃない?」


 しかし当人は腕を組んで「でもあそこの野菜は旨いんだ、栄養満点しゃりしゃり最高だ」と、野菜への高評価を頂いた。旨いのは分かるけれど、昨日のカレーに入っていた人参ってあそこから取られているらしいから、旨いのは分かるんだけれどね。


「そもそも、しーちゃんが来る前、あの動物達はどうやって生きてきたんだ? 中途半端に野菜の味を覚えさせたから、もう狩りの方法とか忘れてんじゃないだろうな?」


 じーっと見つめると、瞳に涙を滲ませて表情がどんどんと曲がっていく。ついには割れんばかりに泣き出した。


「だってあいつら嬉しそうに食べてんだもん! いっぱい食べたら幸せになるんだもん! うぇーん!」


「ちょっとサツキ! しーちゃんいじめないの! お兄ちゃんでしょ!」


 カレンがしーちゃんをよしよししながら僕の方を見て叱る。お兄ちゃんではないしいじめてなんかないけれど、記憶が混濁している人に対し配慮に欠けた発現だったかもしれない。だが言い分的にしーちゃんが野菜を与えていたというのは確かなようだった。

 野生動物は、自分で生きて行かなくてはならない。そこに人間のエゴによって、餌を与えられたり、人間の匂いが付いたりすると、やがて野生で生きていけなくなってしまう。どころか、人間の食べ物を手に入れるために猿が人間を襲ったり、パンをまき散らす公園の周りで野鳥による糞害が発生したりするから厄介なのだ。動物に優しいのは良いとしても、節度を保った距離を保たなくてはいけない。


「悪かったよ、だが謝らないぞ」


 僕はカレンにしがみつく涙目のしーちゃんの頭に手を乗せる。髪は少しけば立っているが、艶やかな肌触りが目立つ。僕は近所の猫を愛でるように、そっと撫でた。


「相手が望んでいるとしても、それが相手の幸せとは限らないんだ。動物のことが大好きなら、分かるよな?」


 しーちゃんはうるんだ目で僕の目を見た。口はへの字でムスっとしているが、ほんの少しだけコクン首肯してくれた。もし後輩の友達ができていたらこういう感じなのかなと、もう少しだけ僕は頭を撫でた。


 そうこうしている内に、例の大きな木の下へ到着。木の机とイスは変わらず存在しているものの、しかしあることに気が付いた。カレンも気づいたようで、手の平を帽子のつばのようにして辺りを見渡す。


「あれ、野菜今日は取ってないのね、不作なのかしら?」


「そんな需要と供給を考えて盗む量調整できるかよ、野生動物の畜生なんだし」


 と呆れたものの、僕は一つの木の幹を掘って作ったであろう穴から、リスが一匹出てくるのを目撃した。よく見ると小さな木の実を持っている。

 しかしそれだけじゃない、オオツノジカ、ニホンオオカミ、トキ等、様々な絶滅動物や危惧種が周囲を囲む。そのどれもが口に食べ物を咥えており、カレンに甘えるしーちゃんの側に近寄ってきていた。一瞬にして周囲には獣がいっぱいになり息を呑む。だが、1人は全く心配していないようだった。


 食べ物を置くと、リスはその丸い目でしーちゃんを見上げる。食べてくれと言うように、慕う者への気持ちのように。

 しーちゃんは優しい顔になって、カレンから離れ姿勢を低くした。


「偉いぞ! でももう朝飯はギルドで食べたから大丈夫! 皆が食べな!」


 そう言うと、近寄ってきた大勢の動物はその場で持ち寄った食べ物を食べ始める。そのあとはしーちゃんに顔や身体をすり寄らせて、ひたすらに甘えていた。


「おうおう! 可愛い奴等だ!」


 畜生なんてとんでもなかった。彼らはただ、彼女の帰りを待っていただけだった。

 ずっと待っていたんだろう、無事にしーちゃんが帰って来るのを。もしかしたらお腹を空かしているかもしれないと、自分たちが美味しいと思う食べ物を集めてまで。危険を冒して。


「なーんだ、ちゃんと自分たちでも食べていけるんじゃない」


 カレンの言う通りだった。

 そう、彼らは十分に、生き抜く力を持っている。

 この世界に住まう皆は、十分に生きる力を持っている。

 だが、それだけでは足りないのだ。一人で生きていくだけでは、あの世界では生きていけないんだと、少しだけ感じながら、今は目の前のホスピタリティに浸ることにした。

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