第20話

「香る幾重の刺激と旨味」

「煽るし食えと汽笛豪快!」

「華麗に鼻腔を貫けThaiChai!!」

乾飯かれいい水でふやかせWhiteRice!!!」


「はっはっはー! アゲて行こうぜー!」


 マスターの一声と共にステージ上でラッパーが立ち、熱気溢れるリリックをフローさせる。彼の隣にはマスターが立ち、ターンテーブルを操りながらビートに乗せる。ラッパーが勢いよくリリックを放ち、その間にマスターは巧みな手さばきでディスクをスクラッチする。その音は会場に響き渡り、聴衆をノリノリにさせる。ラッパーとマスターの息の合ったパフォーマンスが、会場全体を一体感で包み込む。


 料理しているんじゃなかったのか? 本当にただライブしてんじゃねぇか。とも思ったのだが、曲が一段落するとディスクが乗っかっている機械の下から重々しい器を幾つか取り出して、大きなフライパンにサラサラと入れた。どうやらあのディスクを回すことでスパイスを細かく砕いているらしい。道理で辺り一面にエスニック風の独特な香りが充満しているはずだ。


 ギルド併設の食堂にて調理終了を待つ間、僕はカレンと獣の彼女の三人でテーブルを囲んでいた。四人掛けなので僕の隣ではなく、カレンの隣に獣の彼女を座らせている。椅子とテーブルの木があったためか、椅子に座るということはできるらしいのだが、中々落ち着きがないので、獣の彼女のお目付け役としてカレンが隣席している。今はカレンの腕にしがみついて大人しくしていた。母性本能というか、母性への本能が大人しくさせているのかもしれない。


 カレンが話を切り出した。


「んで、カエル忍者逃げちゃったんだ」


「まぁそんな感じだな」


 あれから依頼主の元へ戻った僕は、激昂する老婆に依頼の持ち越しを提案していた。カレンは獣の彼女を保護しなければならなかったので僕1人でだ。ドードーを捕らえて首を差し出しても良かったのだが、獣の彼女と浅からぬ関係にあるようなのでそれは憚られたのだ。なのでとりあえず奪われた野菜を取り返して老婆に返還した後、畑全域に動物が入れないようにするための柵と、畑のブロックごとを上から覆う網を設置して(物質創造でそれらを作ったものの、単純に設置に時間がかかった)、ギルドにてその手続きをあらかた済ませて、今は食堂でカレンと分かれた後の顛末を説明しているという次第だった。


 ……しかし、千載一遇のチャンスだった。記憶を奪うというカエル忍者をここで捕らえることができれば、この国から出ることもできるというのに。依頼についての作業はその悔恨の念を忘れさせることができたのだが、思い出すと憂鬱である。


 それにこれ以上、カレンのように繋がりを断たれる人が出なくなるというのに。

 どころかもしかすると、奪われた記憶を取り戻すことができるかもしれなかったのに。

 しかし俯く僕に明るくカレンが笑った。


「落ち込むことないわよ! これで噂でしかなかったカエル忍者の実在が明らかになったわ! あんなところで見てたなんて私気づかなかったもの」


「……」


 こういう時の気遣いというのは、実はかなりきつい。気を遣われているということは、僕が逃したということを裏付けているからだ。そう思うと素直に励まされることができない。


 それに僕はただ単に失敗したわけではないのだ。

 口車に乗せられた。

 否、賛同しかけてしまった。

 嫌なことを忘れたくなる。記憶を差し出したくなるようになる。


「なぁ飯まだか? お腹空いた」


「はいはいもうすぐ出来上がるからね、それまでの辛抱よ」


 隣で獣の彼女がカレンの袖を引っ張る。目の前で親子っぽいほほえまシーンを映し出されると、充満するスパイスの香りも相まって毒気が抜かれてしまう。親子って良いなぁって思わされるところで、あることを思い出す。そうだ、そういえばそれをカレンに話すことをしていなかった。と思ったところで、カレンがふと呟いた。


「そういえば、サツキの話的にはそのカエル忍者、この子を狙ってる風だったのよね? サツキではなく」


「そうそれ!」僕は続けた。「この獣の彼女を狙っていると思っていい気がするんだ、まぁ巡回とかパトロールとかをしていないことが前提としても、獣の彼女狙いの可能性が高いと思う」


「……その『獣の彼女』って止めない? こんな可愛いのになんか毛むくじゃらみたいじゃない」


 それもそうか、初対面こそ野性味あふれる汚さが目立ったものの、今はカレンによって風呂なんなり済まされたのか、髪がサラサラ服はピカピカ状態なので、やはりこの呼び方はそぐわないか。ならばと、彼女の今の見た目、紺色の上下服にキャップという、地味目というか、動物園で見かけるような風貌を踏まえて提案する。


「じゃあ、飼育員ちゃんで」


「センスの欠片もありはしないわね」


「……じゃあカレンは何かいい名前はないのかよ」


「うーん、たっちゃん」


「その心は?」


「なんか、食べるの大好きな感じしない?」


 勿論却下で、しかし僕の案『飼育員ちゃん』も長いので、略して『しーちゃん』で妥協することに決定した。「似たようなネーミングじゃん」と言われたものの、話が進まないので却下した。


 そして本題に戻す。ここからが重要だ。


「仮にしーちゃんを狙っているとして、カエル忍者の目的は何かってことなんだよね」


「そりゃ、記憶を奪うのが目的……あれ、でも」


 ふと右手にしがみつくしーちゃんの方を見た。本人は上目遣いでアホみたいな顔をしている。アホというより、幼い、幼いというより……。


「記憶無くなってる、よね?」


「そうなんだよ、なのにあいつはあの場所にいた。おかしくないか?」


「なら普通にサツキを狙ったってことなんじゃないの?」


「んー」行動だけ見れば一理あるので一拍置くも、しかしやはり違うと思った。「そうかもしれないんだけれど、次はお前だ、みたいなことを言ってたんだよな。だから本来のターゲットは僕じゃないって思ったんだよ。まぁあいつが嘘を吐いてなかったらの話だけど」


 だがあの場で僕を狙っていたのだとしたら、僕が追いかけて孤立状態になった時点で捕まえようとしていたはずだ。あれほどの泥を作り出す事が出来たならば、捕らえることもできたはず。予め想定していればそういう別プランも念頭に置くことができたはずだ。ビーフカレーにしたいけど、牛肉がなかったら鶏、それもなければ豚でポークカレーにしよう、という感じで。……いかんな、マスターが作っているカレーの香ばしい空気が脳まで浸透し始めている。


 その間を埋めるようにカレンは話を次のフェーズに移行しようとする。


「仮にサツキじゃなくこの子を狙ってたとして、何が言いたいのよ、何が問題になるの?」


「だから」気づいていないであろうカレンに言う。


 微かな違和感。

 僅かな盲点。

 それが僕の頭にずっと残って離れなかった。だからこの可能性を考えずにはいられなかった。


「もしかしたらしーちゃんには中途半端に記憶が残ってる、だから狙ったんじゃないかって思うんだ」

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