第9話

 このライブ? というか公開調理が終わるまでギルドの登録ができないらしく、この騒がしい中でしばらく待たなければならなかった。と言っても飽きることは全然なく、むしろ僕は圧巻した。このマスターと呼ばれている男性、乱暴に調理器具を動かしているようでいて、絶妙にフライパンのケチャップライスに熱を加えているのだ。チャーハンを作る時のように煽るたびにトマトの酸味が香り、周囲の観客からは更なる歓声が上がる。更によく見ると、米を一粒も落としていない。恐ろしく繊細なフライパン捌きだった。


 更にケチャップライスを包む卵の扱いが素晴らしい。卵料理は単純が故に料理人の腕が顕著に現れる素材で、火の通りを一歩誤れば固まり過ぎたり半生状態になったりするのだが、これはオムレツの理想の加熱具合を体現していた。それをケチャップライスに乗せる。

 具材はご飯、ケチャップと基本的な調味料、それから卵というシンプルな物だが、それ故に技術の高さが顕著に感じられた。一目見ただけで分かる、これほどの技術を身に着けるのに一体どれほどの鍛錬を積み重ねてきたのだろう。

 僕は涙を流した。これはもう料理というより、人生だ。

 その人生をガツガツと味わうこともなく大食いフードファイトでもしているかのように、オムライスの半分を平らげてからカレンが言った。


「食べながらで悪いけど、今の内に話しておきましょうか」


「待て、これは話しながら食う料理じゃない、マスターに失礼があってはならない」


「良いから聞きなさい」


 無理やり聞かされる話が何だと思ったが、この国にまつわる事件についてだった。口の周りについたケチャップを拭った顔は飽くまで真剣だった。小首をかしげて、話し始めを考えている。しばらく唸った後、カレンは口を開いた。


 ***


 私が初めてこの事件を知ったのは、二年ほど前のことよ。


 丁度貴方みたいな女の子の転移者に出会ったの、年齢も近かったと思うわ。右も左も分からなくておどおどしていたから、色々とこの国での生活の仕方を教えてあげてたわけ。たまにここでご飯食べたり、ショッピングとか行ったりね。お金は大丈夫だったわ、転移者って魔法が現地人よりも強力だから、仕事をする時は難なくこなしていたの。


 けれどある日、私や他の仕事仲間と一緒に洞窟の調査の仕事をしていた時よ。そういう仕事も斡旋されるのよ。とにかくその仕事で、彼女の魔法が岩山を砕いて、私や仕事仲間に被害が出たの。洞窟は崩れて仕事は失敗。怪我人も大勢出たわ。けど一番痛々しかったのは、転移者の彼女だった。皆は気にすんなって気を遣ってくれたけれど、彼女は聞く耳すら持たなかった。自分で自分の責任を重く受け止めやすい性格だったのね。それっきり彼女はしばらく宿の部屋から出てこなかったの。心配だったからしばらく毎日声をかけていたけれど全然反応が無くて、私もずっと気にかけてあげるわけにもいかないから、ある日仕事に出かけて数日戻って来なかった。


 私が戻ってきたとき、彼がいた部屋は空き家になっていたわ。


 彼女が回復したと思った、やっと持ち直してくれたのかと思った。また一緒に仕事に行けるのかと思った。


 けど、そうじゃなかった。


「私はあなたの事なんて、知らない」


 彼女はそう言い切った。何か思い詰めているような雰囲気はあったんだけれど、質問しても何も答えてくれなかった。


 全ての質問に、彼女は「覚えがない」と、冷たく答えるだけだった。


 ***


「それからよ、この国で転移者記憶喪失が横行しているのを知ったのは。」


 カレンは若干の悲しみを滲ませたが、すぐにあっけらかんとした表情に戻った。その出来事から立ち直っているとでも言うのだろうか、肝が据わっていると言うか何と言うか。


 僕には無理だ。友達の記憶が消える。そんなの、永遠の別れと同じじゃないか。死別と何ら変わらない。その悲しみを思い出にするためには、どれだけの期間を要するんだろう。少なくとも、僕の人生ではまだ足りない。


「湿っぽいのはここまで」と、パンと手を叩いた。カレンは本題とばかりに顔をテーブル越しにググっと近づける。


「サツキの記憶はまだ残ってる、だから奪われる前に、自分で自分の身を守ってもらうための力をつけてもらいます!」


 ドドン! と背後に文字が浮かばんばかりの宣言だったが、しかし気になることが1つあった。


「ちょっとまて、何故記憶が『奪われた』と言い切れる? この世界がそういう、転移者の記憶を失わせる何等かの自然現象がある可能性はないのか?」


 ここは異世界だ、何があってもおかしくない。記憶がぽんぽん消えることもあるだろう。それが人為的にせよ、そうでないにせよ。


 カレンはため息をついて、やれやれという風に首を振った。


「それくらい調査済みよ。その調査で分かったのは記憶喪失が起こっているのはこのディネクスだけってこと。他の国に行っても、転移者が記憶喪失になるような話はなかったわ」


 勿論それだけでは、人為的であることの根拠にしては弱い。だが次の根拠の方が本題だったようだ。


「だからこのディネクスに限定して調査したところ、転移者の記憶が消された日の夜中に、謎のカエルの被りものをした忍者を見かけたっていう声があったの。恐らくそいつが、転移者の記憶を消しているって睨んでるの」

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