第7話 ようこそ、ディネクスへ

 二度寝の布団を引っぺがされてからしばらく。泣く泣く白Tシャツに黒いチノパンという簡素ファッションに着替えた俺は、カレンに連れられて病院を出た。そこには見たことも無い文化風俗が広がっていると思っていたのだが。


「これが、町か?」


「あれ、町知らない? 本当に記憶残ってる?」


「馬鹿にしてんのか、町くらい知ってるわ。だけど、こんなものなのかなって思って」


 歩きながら周囲を見渡す。視界には古びた石畳が敷かれた路地が広がっていた。路地の両側には、風格ある建物が立ち並び、その壁面には古い石造りやレンガ造りの建築が見える。時折、古びた看板や鉄製の照明が路地を彩っていた。


 街路には人々が行き交い、その中には商人や買い物客、旅人等多様な人が混じっていた。彼らは騒がしい声や笑い声を上げながら、街を縦横無尽に行き来している。時折、香り高い料理の匂いが漂い、通りすがる人々の胃袋を刺激した。


 しかし遠くに視線をやると、古城や高い塔がそびえ立ち、その姿が街全体を見下ろしていた。その建物が何だか見覚えがあるような気がした。


「ロマネスク建築って言うんだったかな、壁が石で屋根が木造が特徴的で。ヨーロッパでよく見る建物様式の……」


 いや、それだけではない、トゲトゲしくとがったゴシック様式、日本の昔ながらの瓦屋根、屋根の角がとがったのが独特な中国古建築に至るまで、世界史の授業を経ていれば一度は見るであろう建物が連なっていた。見事にばらっばらの建物に、ある意味圧巻させられる。ごちゃまぜにした世界地図に立っていると言われても信じられる風景だった。


「異世界ってこんなものなのか? なんだろうな、トラウトサーモンがサーモンじゃなくてニジマスだった時並のがっかり感があるな」


「ごめんその例えはよく分からない」


 引きつるカレンの苦笑いを余所に、もう一つの可能性に思い至る。僕以外にも転移者がいるならば、そしてその人が宅建1級取得を目指していたものの合格できずに非業の死を遂げた転移者だったならばあり得ない話じゃない。問題はその頻度だ。


「ちなみに転移者ってどれくらい来てんの? 僕だけ特別じゃないの?」


「1ヶ月とかで5人くらいはくるかなぁ、別に特別ってわけでもないわよ?」


 カレンの「何自分が特別って勘違いしてんの?」というニヤニヤとした笑みにイラッとしつつ、僕は考えるように俯いた。イヴめ、まさか演技をして来る転移者1人1人に同じことを吹き込んでいるんじゃないだろうな?

 ……と言っても、あの悲壮感漂う態度は嘘を吐いているとは思えない、まっすぐな、正直な気持ちであるように感じられていた。


『あんな正直者からの頼みを今更なしにするのか?』

『お前は嘘つきだったのか?』

『一度引き受けておいて引き返すなんて、無責任じゃないのか?』


 分かってるよ。だから黙れ。僕が責任を被ればいいんだろうが。

 内なる幻聴が僕の心をざわつかせる。責任感が五臓六腑を重くしているような。


 俯いていると、先行しているカレンがこちらに振り向いて、気持ちのいい笑みで手を広げた。


「ねぇねぇ、何か美味しいもの食べてみない?」


 急遽寄り道って、予定が狂わないのだろうか? 少し違和感があったが、ある単語が脳に引っかかった。

 美味しいもの。そういえば何も食べていないので腹が鳴った。


「ふふふ、最近見つけた美味しいものがあるのよ」


 カレンはワクワクと楽しそうに僕の手を引く。急な寄り道にちょっと気持ちが追いつけなかったのだが、歩いていくにつれてふんわりとした香りがしたので意識が覚醒した。


「これって、まさか」


 ここ、異世界、だよな? この香ばしく焼かれた丸い玉、そこに赤黒い香ばしソースに乾いた魚の削り節が乗せられている。これって。ぷりぷりの軟体動物の足が入ったあれではないのだろうか?


「色んな具材が入ってて食べるまで何が入ってるか分からないの! 面白いでしょ?」


 ロシアンな方だった。瞬時に食欲が減退する。昔中学生の時に学園祭で購入したタコ焼きが実はロシアンな方で、一発目から外れを引いた上に当たり全てに向かってゲロったため返品不可能になったことを思い出した。

 警戒心をむき出しにしているのだが、いざ知らずカレンがぐいぐい来た。


「まぁまぁ食べてみって! 色んな味があって美味しいよ?」


 と、楊枝で刺した一個を僕の口に向かって突き出して来る、あーんと言わんばかりに。折角買ってもらったのに申し訳ないよなぁ、という負い目が出てきたのか、僕は誤って口を開いた。そこにタコ焼きが1つ入る。


「ん!? これってマシュマロか!?」


 意外といける! こんな組み合わせがあったのか。ソースの塩味がマシュマロの甘さをより引き立てているのがポイント高いぞ! スイーツタコ焼きってことなのか、ビビったのがバカみたいだ!

 「もう一個いい?」続けてもう一つ頼んでみた。

 ゾワッ!?


「っから!!」


「それは唐辛子だよ」


「くっそーっ!」


 嫌な予感はあったのにそれでも騙されてしまった。

 けれどそれは普段の不幸とは違っていて、もし僕に姉がいるとしたら、こんな日常があったのかもしれないなと、ふと思った。


 ロシアンタコ焼きを食べながら(ちなみに残りはミカン、ぶどう、チョコミント、クッキーというセレクションだった)歩くこと数十分。カレンは胸を張って、ある建物を指さした。

 その建物は堂々とした石造りで、屋根には古びた赤い瓦が輝いている。入口には大きな木製の扉があり、扉の上には円を三つに分けるヒビが入ったような紋章が掲げられていた。それにこれは周囲の建物よりも大きく、目立つ位置にあるため、通りを歩く人々の目を引いていた。

 僕は顔を引きつらせる。これは、あれだろう。まさしく。僕の様子を見てカレンはまたも苦笑いした。


「病院でも言ったけど、ここはギルドって言って、仕事を斡旋してくれたりご飯食べたりできるところなんだけど……知ってる?」


「知ってる、どうせ今から魔力適正の計測とかそういうのするんだろ?」


「さぁどうかしら、見てからのお楽しみと言っておきましょうか」


 カレンはまだ何かを隠しているようで、びっくり箱を開けるようにギルドの扉を押し開けた。


 まず目に飛び込んでくるのは活気ある雰囲気だった。暖炉の炎が揺らめき、酒場全体を暖かな光で包んでいる。店内は賑やかで、笑い声や歌声、そして人々の話し声が響いていた。

 入口近くのカウンターには、酒樽やワインボトルが並び、バーテンダーが器用に酒を注いでいる。


 のかと思いきや、違った。金髪のスポーツ刈りでパツパツタンクトップを着た、筋骨隆々でアメリカンな男が、並べられているいくつものコンロ上のフライパンを、ドラムのように捌いている姿だった。その周囲を無数の観客が埋め尽くして、彼の料理という演出に熱狂した大声を浴びせていた。


「ひゅー! 今日もキレッキレのフライパン捌きだぜ!」

「この待ち時間に漂う香りが堪んねえぜ!」

「待ちきれねぇよ! 早く食わしてくれ!」


 内装こそまるで西洋風の酒場を思わせるのに、熱いビートが空気を震わせ始めた。その音楽は魂をも震わせるようで、それに呼応して埋め尽くされたオーディエンスが共鳴していた。

 更に周囲を見渡すと、ただ一人服装がみすぼらしく薄汚れたフードを被った男が、入り口付近の壁にもたれ掛かって腕を組んでいるのが見えた。これがいわゆる、古参ファンの後方彼氏面ってやつか。このシチュエーションでこういう人間を見るとそう思わざるを得ない。


 そのライブ会場に立つアメリカンな男が、マイクに向かってシャウトした。


「へーい野郎ども! 今日は新し仲間がやってたぜ! 名を山田サツキという! ディネクス総出で盛大にもてなしてやろうぜヒャッハー!!」


 出入口がライトアップされると、オーディエンスが一斉に振り向いた。そして快い歓迎の歓声を上げる。瞬間に僕の心が高鳴った。

 いつぶりだろうか、楽しいって気持ちを感じることができたのは。

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