第6話

 知らない天井があった、いや見たことある? ……いや気のせいか。病院の天井がこんな、白地にまだら模様の穴がくぼんでいるような天井だったような気がするのだが。あれって確か天井の表面積を大きくして吸音性を高める効果があるとか聞いたことがあるような。


 ってのはどうでもよくて、さっきまで燃え盛る森にいた気がするんだけれど、なんで布団に入っているんだろう。それも真っ白な、それでいてふんわりとした羽毛の感触、高そうな布団だった。


 その布団をがばっと無慈悲にはがされて、寝たままの状態で肩をガシッと掴まれた。急に視界が陰る。


「気が付いた! どう、生きてる!? 自分の名前言える!?」


「や、山田サツキです」


「ややまだサツキ? あれそんな名前だったっけ? そんな中途半端な名前だったっけ?」


「『やや、まだサツキ』じゃない、『山田サツキ』だ。なんだよその四捨五入したらサツキ君になるような聞き間違いは。全国の山田さんに失礼だ」


 突っ込んだものの、駄目だまだ体中がふらふらする、語気が強くならない。だがこの状況から考えて、確かなことが1つあった。


「お前、失礼、カレンが助けてくれたのか。すまなかったな」


「え、あーそうね……」と苦笑いの顔を逸らして言いよどんだ後、「ってでもアンタも私を助けてくれたでしょ? お互い様よ」と柔らかい笑みを作った。そして看護師さんを呼ぼうと立ち上がった彼女の手を、布団から出していた(というか引っ張り出された)左手で掴んだ。


「え、ちょっといくら怪我人でもお姉さんに甘えようって――」


「何か隠してない?」ジト目で言った。照れるカレンの顔が凍る。


「か、隠してるって?」


 俺は軋む身体を起き上がらせて、一度周囲を見渡した。窓から差し込む光が、小さな花瓶に飾られた花をやさしく照らしている。傍らの棚の上には、花々が静かに揺れる姿があった。また、窓の外では風が木々を揺らし、鳥のさえずりが聞こえてきた。


「何となく、な。僕の名前を執拗に聞いていたじゃないか。起きてから名前を聞かれて余計にそれが気になってさ」


「もう少し落ち着いてからでもいいとは思ったんだけど、仕方がないか」はぁと小さく嘆息した後、鋭いまなざしが僕を射抜いた。それは何か、生中ならぬ事情を予感させた。唾を飲み込んで、カレンの言葉を待った。つぐんだ口が開かれる。


「この国に転移者が来ると、遅かれ速かれ記憶が消されてしまうの。私はその事件の犯人を追っている」


 記憶を、消される? 一瞬話を飲み込むことができなかった、言っていることは分かる、理解はできる、しかしそんなことができるのか? という疑問が大きかった。これが小さな子供が言っているのならまだ大人な心で受け流すことができるだろう、だが彼女は見た目は大人だ。そんな大人が真剣にファンタジーを謳ってみろ。


「……んな、アホな」


 と顔を引きつるしかない。


「本当なの、私はその事件の犯人を捜すために色々と調査しているの。サツキに名前を聞いたのは、転移者である君が記憶を失っているかどうかを確かめたかったから」


 滔々と語るカレンは、その顔のシリアスを崩すことはなかった。どころかだんだんと苦い顔になっていく。


「君が軽傷なら怪我を治すだけしておきたかったんだけど、全身複雑骨折だったから」


「全身複雑骨折!?」


 病院であることを忘れて僕はこれを張り上げた。カレンが人差し指を口に当てて「ここ病院!」と囁いた。


「その怪我は病院に行けば治るから良かったんだけど」


「治るのかよ、ってマジ治ってるしよ!」体中をひねると、バキバキバキっと小気味いい関節の音が鳴った。とても複雑骨折した後だとは思えない。


「怪我を治すために、君をこの国に入れることになってしまった。それが申し訳なかったから」


 しゅんとカレンは肩を落とす。

 可哀そうな感じがした。

 悲しそうな感じがした。

 その感情を生み出させたのは、僕がに来てしまったことが、原因。そう考えた時には思わず呟いていた。


「気にすんなよ、僕は不幸の星の下に生まれた人間さ。僕に不都合な事なんてよくある事だ」


 流石に記憶を消されるっていうのは経験したことなかったけれど。カレンは僕が気を遣っていることを察してか、そのことについてはこれ以上何も言わなかった。それにこの国を出ればいい話だろうし、と思って聞いてみると。


「それが、駄目なの。この国には転移者を入れはするものの、出した物を強制的に捕縛する結界が張られているから、それで何人も捕縛されたことがあったの」


 結界、ね。異世界らしい言葉だ。一度どう捕縛されるのか確かめたくはあるけれど、それで取り返しのつかないことになっては叶わない。その時点で記憶が消えてしまう恐れさえあるのだから、下手には動けないな。

 思案していると、カレンは「そういえば」とポケットをまさぐった。手のひらが開かれると出てきたのは、少し大きな欠けた石が二つ、美しい緑色と赤色に煌めいていた。


「そういえばこれサツキの? あの山賊達の用心棒の魔法使いが持ってたんだけど」


 よく見ると表面が滑らかで、しかし割れたようなとげとげした部分がある。もしかして、この二つって一つだったんじゃないか? いやまだパーツが足らないような気がする。


「ちょっと貸してみ?」


「ほい」


「ありが――!?」


 視界が一瞬にして、立ち眩みの時のように真っ白に埋め尽くされた。

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