第4話 異世界に来るまで
「私はイヴと申します。貴方をこの狭間の世界に呼んだのは、この私です」
唐突だった。感覚的に、本当にいつの間にかこの空間にいた。そうとしか表現できなような、一瞬の出来事だった。こういう時(異世界転移とかそういう展開)は大抵トラックに引かれたり通り魔に襲われたりと言ったのが定石だと思うのだけれど、思い返しても、そういう不幸を無被害に抑えて対処した記憶はあれど、命を奪われるという記憶がなかった。
しかし、真っ暗な空間なのにも関わらず目の前の女の子だけくっきりと視認できるという、現実ではありえない景色を目の当たりにするところから考えて、非現実的な事態に陥っていることは確かだった。
「どうも混乱しておられるようですね、それも致し方ありません。貴方は命を落とし、私がその命をこの空間に掬い上げたと申したところで、妄言にしか聞こえないでしょう」
イヴと名乗る少女は仰々しく大振りに体を動かして頭を押さえた。高校生か大学生くらいだろうか、すらっとした羽衣のように美しい質感の白いワンピースを着て、腰まで伸びた黒髪はまるでシャンプーのCMから飛び出してきたかのような質感が、良いコントラストになっていた。
それにしても『命を掬い上げた』とは。まるで金魚すくいのような言い方ではあるけれど、命を落としていると言われては、何かしら事実確認をしなければ気が済まない。僕は眉をひそめた。
「まるで神様みたいなことを平然とやるんだな、命って掬えるものなのか?」
「貴方の命が特別私に掬える状態だったから、としか申すことはできません。そのような特別な命が現れるのはとても稀なもので」
僕の目を一瞬見てから、イヴはしゅんと肩を落とした。そう申し訳ない態度を取られると、僕が悪いことをしている気分になるから止めてほしい。
「そんな貴方にしか頼めない問題があるのです。どうか聞いていただけないでしょうか?」
一挙手一投足がまるでミュージカルのように、舞踏会の参加を懇願するシンデレラのように頼んでくる。頼むってなんだよ、命を掬われた立場からして、その頼みって聞くしかないじゃないか。自然「なんだよ」と、ぶっきらぼうな態度になる。しかしイヴは一瞬顔に安堵の色を見せてから、気を引き締めた。
「もしかしたらご存じかもしれませんが、貴方はこれから、元居た世界とは異なる世界、異世界に転移することになります。しかし私がそれを一時的に阻止し、この空間にお呼びしました。その理由は、その異世界が今危機に瀕しており、その解決を貴方に頼むためです」
異世界に危機が? 行った事も聞いたこともない余所様の世界の危機を引き合いに出されても挨拶に困った。そんなの、他人事でしかない。僕が背負う義理はない。気づけば顔を背けていた。イヴは絶妙に悲し気な口調で続ける。
「分かっています、これは貴方が背負う義理のない事です、しかし、ここを動くことのできない私には、もう
途中から嗚咽交じりに懇願し、崩れ落ちるイヴ。ふん、知るもんか。そんなの僕の責任じゃない。
そのはずなのに、心の中で誰かが囁く。後ろ指をさして、僕を睨みつける。
『こんな可哀そうな人の頼みを聞かないっていうのか?』
『なんて酷い奴なんだろう、お前はそこまで偉いのか?』
『他人の苦しみを無視するなんて、人として最低だよ』
『共感の欠片もないんだね、情けない』
『人の心が無いのかお前は』
様々な囁きが僕の背中に向かって突き刺さる。顔も分からない誰か。けど確実に僕を責め立てる。お前は倫理観に反する最低の人間なんだって、そう言われている気になってしまう。
やめろ、分かったから。僕が背負うから。背負えばいいんだろうが。
俯くイヴをねめつけていると、返答に窮したと思われたのか、様子を見ようと顔を上げた彼女の目と僕の目がぶつかった。その目からは強い想いが、僕の心に流れ込んでくる。それが気持ち悪くて、耐えられなかった。
「まぁ、なんだ、特にやることも思いついてないんだ、その異世界崩壊っての? 分かったよ、何とかしてみるよ、できるかは保証できないけど」
「本当ですか!?」とイヴは目を見開いた。笑顔はなかったが、その表情は嬉しさというよりも驚きが大きいようだった。しかし過度に期待されても困るので、条件反射でハードルを下げてしまう。
「つってもあんまり希望を持つな、僕は不幸な星の下に生まれた人間だ。僕ができることなんてほんのわずかだ。運命の軌道を若干逸らすのが精いっぱいだと思ってくれ」
てっきり「そんな、聞いてくれるだけでもありがたい」とか、無駄なありがたみを持たれるのかと思いきや、全くの検討違いなところを食いつかれた。
「不幸、でございますか?」
「ああ、皆が言うには、僕は疫病神らしいんだよ、現に僕の周りには不幸なことがいっぱい起こるんだ。きっと僕が死んだ理由もその不幸だろうけどね、そんな不幸な僕が最後の希望だなんて、はたはた運がないよ君も」
自嘲気味にそう言うと、イヴは安堵の笑みを湛えて、優しい視線を向けた。その予想外の反応にたじろいでしまう。
「そこまで卑下することはございませんよ、誰しも良いことがあれば悪いことがあるものです」
「どうだか、良いことなんてあったことがないよ」
「約束しますよ、異世界はきっと貴方に寄り添ってくれる人が現れます。あそこはそういう世界ですから」
そう言われても、経験したことがないもんは信じられない。異世界だってそうだ、選択肢がないから聞き入れるだけで。
だが彼女からのその言葉には、何と言うか、結構強い意志が感じられた。保証はない、根拠はない、けど彼女の言葉が本音から来ているような気がした。
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