第2話

 真夜中、月明かりが僅かに差し込むだけで、鬱蒼とした森は深い闇に包まれている。樹木の枝が密集し、風がそよぐ度に枝葉がざわめく音が聞こえる。森の中は静寂に包まれており、その静寂さが不気味な雰囲気を醸し出している。時折、遠くで獣の遠吠えが響き、森の奥深くからは不気味な動物の鳴き声が聞こえる。暗闇の中には、目に見えない存在たちが潜んでいるような錯覚がする。一歩足を踏み入れるだけでも勇気が必要な場所だ。


 そんな森の中に、一歩どころかど真ん中にいた。いや正確にど真ん中かどうかは分からない、位置情報なんて分かりっこない。GPSもなければ地図もない。方位磁石があったとしても、それが機能するかもわからない。


 だってここは、異世界なのだから。異世界に来た瞬間から真夜中森スタートだったのだから。某クラフトゲームの最高難易度だったら即刻ゲームオーバーになりかねないシチュエーションである。


 まぁそれは僕の人生を象徴するような、言わば日常茶飯事な不幸ではあるのだが、しかし今、何の変哲もない学校の制服しか身に纏っていないのは非常にまずい。

 僕は普段から、自分に降りかかる不幸に対処するためのアイテムを常に携帯している。名付けて『不幸対策七つ道具』。それさえあれば、誰がどういうシチュエーションだろうとも生存することができるように作られたアイテムだ。たとえ空から落ちようと、海に落とされようと、サバンナに放り出されようと、如何なる害もダメージゼロに抑えることができる優れものなのだ。が、それらが全くない。今の僕はただの男子高校生でしかないのだ。

 いや、ただの男子高校生ならばまだいい、僕は、世界一不幸な男子高校生なのだ。そんな僕が真夜中の森なんかにいてみろ。何が起こるのか分かったモノではない。


 ということで、夜中に山、もとい森は歩かないというセオリーを無視してひたすら真っすぐに、草木をかき分けて歩いているのだが、一向に森から出られる気がしない。もしかすると、この異世界は、全土樹が生えまくっているまりもワールドなのではなかろうか? と思えてくるほどだ。もし伊能忠敬が転移していたらと思うと泣けてきた。

 そうこう歩いている内に、その涙で視界がぼやけてきた。

 ん?

 ぼやけた、だと?

 こんな真っ暗な世界で視界がぼやけるほどの光源が、この森の中にあるというのか!? 僕の意識は覚醒した。どこかに明かりがあるということは、つまり人というか、何かしら明かりを扱える文明を持つ何者かがいるということだ。ならば、助けてくれるかもしれない。

 僕は夢中で走った、根っこに足を取られようと、枝に皮膚を裂かれようとも、僕の生存本能は助けを求めていた。手を伸ばし、喉が鳴る。


「あ、あのう……」


 だが、それが良くなかった、本当に良くない。僕は僕が不幸であることを知っている。そんなこと、あの時から肝に銘じていたはずじゃないか。

 なのに、異世界の真夜中の森で、偶然自分を助けてくれる誰かに会えるなんて、馬鹿も休み休み言えというものだ。


 ────ゾワッ!


 背筋が、凍る。着ていたブレザーの下にあるカッターシャツがじんわりと汗で背中に貼りついた。これから僕に対して、不幸が訪れるということを示唆している。


 嫌な予感が発動した。


 ここで踵を返し再び暗闇に飲み込まれることが出来ればどれほど良かったことだろう。しかし既に声をかけてしまっている。もし声をかけていなかったならば、物音を野生動物のそれと誤認させられたのに。もうこうなってしまえば、進むしかない。


「おう! どうした兄ちゃんこんな森の奥で、迷子か?」


 気さくに話しかけてくれた声の方を見た。


 もさっと濃い髭を蓄えたオッサンが三、四人、丸太を椅子にして腰を掛けている。どうやら明かりの正体らしい焚火の中では丸い鍋が火に煽られ、ぽこぽこと中身が沸騰してた。ほんのりとミルクの香りがした。だが一際目立つのは、奥に座っているあの黒いマントを顔いっぱいに被った奴だ。見るからにこの面子の中で一番ヤバそうだった。


「どした、兄ちゃん?」


 おっさんAが首をかしげる。おっと、つい観察してしまった。これ以上疑われるのは良くない。


「あはは、遭難してしまいましてね、ちょっとぼーっとしてしまいました」


「まぁ転移して間もないんだ、こっちで飯でも食ってけよ」


 ……ん? 転移? 何故こいつは、僕が転移してきたと知っている? 遠慮なく近づこうとしてしまった足を僕は止めた。行くな僕の足、何かおかしい。


 おっと、とおっさんAは何かに気づいたようで、それを隣のおっさんBに小声で突っ込まれていた。おっさんBはおほんと咳払いした後、インスタントな笑顔をこちらに向けてきた。


「ほ、ほら、私たちはこの世界に転移してきた人を保護する活動をしていてね、転移してきた人かどうかはぱっと見で分かっちゃうのさ。その服は学校の制服だろう? 違うかい?」


 ビンゴ。違わない大当たりだ。もしかしてこの世界では異世界転移というのが結構メジャーなのかもしれない。それを前提として考えるならば、この人たちは、見た目こそ山の旅行者から金品を強奪する山賊に見えるかもしれないが、実は心優しい人であることが推察される。


 ま、そんな訳ないんだけどな。僕の嫌な予感は、今もビンビンに背筋を冷やして止まらないんだから。僕は目いっぱい笑顔を取り繕った。


「制服ですよ制服、よくわかりましたね、でもさっきまで他の人と一緒にいたんですけどはぐれてしまって、もう少し探せば見つかると思いますので、僕はこれで」


「まぁ待ちなって、夜の森を動くなんて危険極まりない。ここは大人の意見を聞いて、大人しく私たちと休もう、シチューも温まってるからさ」


 という大人な意見をおっさんBから頂戴した。くっそぉ、こんな見た目悪そうな、そして嫌な予感がビンビンの奴らから正論で指摘されるなんて腹が立つ。普段学校で悪いことをしている奴に、掃除の一部をサボったのを見られて「あ! サボってんじゃねぇよ!」と言われている気分だ。いたたまれない。


 しかしこのままほいほいついて行くわけにはいかない。


「いや、僕牛乳アレルギーなんですよ」


「まぁまぁ、シチュー以外にお菓子もあるよ? 漫画もあるしさ」


「いやいやダイエット中なもんで」


「まぁまぁまぁ、カロリーオフだよ? 糖質ゼロだよ?」


 ……誘い文句を悉くそれっぽい理由で捌いているのだが、後半はもうなんか、ただのお菓子で子供を釣る悪い大人みたいに見えてきた。


「いやいやいや、宗教的理由で、夜は1人で過ごすことになっているんで……」


 おっさんAがため息を大きく吐いた。しびれを切らしたのか、重々しい腰と口角を上げて、僕を睨む。


「そんな心配しなくて良いぜ、この世界にお前の信仰する神はいない。さっさと捕まりなクソガキ!」

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