第5話 恋子の魔力その2
「もっと、その男のこと詳しく教えて?」
「名前は橋口洋次 、歌舞伎町のレッドというBARの常連らしい」
「そこのバーに行ってみる」
「どうするの?」
「橋口という男と会って話したい。恋子の情報を知りたい。
段々楽しくなってきたわ」
「女一人夜の歌舞伎町は危ないよ」
「じゃあ用心棒でついてきてよ」
田宮は大袈裟に瞳を大きく広げて言った。
「君って意外と無防備で無鉄砲なんだね」
土曜日の夜、田宮と待ち合わせをして歌舞伎町へ向かった。
ブラウンのワンピースにオレンジのルージュの唇が、
大人びた雰囲気を醸し出している。今夜は十七歳の高校生ではない。
BAR「レッド」のドアを開けると二人に気づいたバーテンダーが
カウンターに手招きをした。私はレモンスカッシュを頼み
田宮はロックウィスキーを注文した。
テーブルの前に差出されたグラスを取り喉に流す。
強烈な炭酸が喉を刺激する。私はゆっくりと店内を見渡した。
二組のカップルの話す声と、女性三人の笑い声が聞こえてきた。
カウンターの隅に独りで飲んでいる中年の男がいる。
三十代後半だろうか。表情に疲労の色が見える。男が私の方を向いた。
視線がぶつかった。直感だった。
橋口洋次?田宮は私を見て頷くと
立ち上がり男の側へ行った。
「あの、突然ですみませんが、橋口さんでしょうか?」
橋口の表情が明らかに変わった。
「なぜ僕の名前を知っているんだ」
「恋子さんにあなたのことを聞いていました」
「恋子?君は恋子を知っているのか?恋子は今、どこにいるんだ」
男は驚愕し表情を歪ませた。
「あの女のせいで僕の人生は狂ってしまった。全て失ってしまった。
それなのにまだ僕は探している。探し求めている」
「恋子を探す理由は何故ですか?」
「君は恋子とはどういう関係だったのか」
「ある事情によりあなたのことを調べていました。ひとつ言えることは僕もあなたと同じ被害者だということと、同じように恋子の行方を捜しているということです」
橋口は飢えた小動物のように空を見つめ言った。
「恋子に僕の人生は支配されてしまった。
細胞のすべてが恋子に支配されてしまったんだ。
離婚して恋子と暮らすつもりでいた。しかし、ある日突然消息不明になった」
消息不明になる。田宮と同じだ。
「恋子とどこで知り合ったのか教えてくれますか?」
橋口の顔が少し緩んだ。
「僕の経営する会社に入社してきた。長野県軽井沢出身と言っていた」
「容姿は?たとえば、すごく太っていたとか」
「いや、まったく、普通の体型だった」
どういうことだろうか?今の恋子は巨漢大女だ。
「恋子を好きになったきっかけは何でしたか?」
「最初は何も感じなかった。だけど」「だけど?」
「ある日、会社で飲み会の時に僕の隣に恋子がいた。
酒が進むうちに恋子が甘えた口調になって、瞳が潤んでいて、
それがたまらなく可愛いんだ。あれにはまいったな、今まで生きてきて守ってやりたいと思ったのは始めただよ」
「男の人に守ってあげたいと思わせるなんて魅力的な女性だったのね」
橋口はその時のことを思い出したのか高揚とした表情に変わった。
「それから?」私は身をのりだす。
「それから、恋子と毎日デートを重ねた。会社への情熱も家族への愛情も薄れてきていつしか、恋子と一緒にいる時だけが僕が僕でいられる場所になっていた。
プライドも理性もなくなった。だけど、ある日突然恋子は僕の前から消えた。
僕は毎日、毎日探して探し回っているうちに気づいた。気づいてしまった。
僕がほんとに求めていたものが何なのか。地位も名誉も金もいらない。
ただ愛が欲しかっただけだった。その真実の殻を恋子に破られてしまったんだよ」
男は突然泣き始めた。声を出して泣いている。
大人の男がひとりの女性の存在を失い人目もはばからず泣いている。
私は呆然と見つめていた。
その時、腕を掴み田宮が小声で呟いた。「出よう」
田宮はカウンターに一万円札を置くと私の腕を掴み出口に向かって足早歩いた。
バーを出て点滅する交差点を渡った時私は安堵の表情を浮かべた。
「何だろう。この不思議な気持ち。恋子の周りで何が起きているのかしら」
「うん、恋子が沖縄生まれだったとは、以外だな」
「恋子って幼い時どんな子供だったのかしら。どこに住んでいたのかしら?今だって、仕事をしているのか、学生なのか
私達何も知らない。誰も恋子の生まれも、家族の存在も、知っている人いない。
彼女は一体何者なの?」
田宮は無言で頷いた。そして唐突に言った。
「軽井沢に行ってみようか」
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