絡新婦(8)

「アハッ!カッコいいじゃないですか物部せんぱーい」


 愛莉の態度がそれまでと一変する。

 たった今まで怒りで我を忘れるくらいに興奮していたはずが、突如その口調はどこか余裕を感じさせるものとなっていた。


「思い出しましたよぉ。かつて朝廷に仕えていた物部一族。表では政の重職を担い、裏では陰陽師としての顔を持つ者たち。物部先輩はその末裔なんですねえ!でも私、知ってるんですよぉ!阿倍、蘆屋にその座を奪われて裏の世界から消えた一族!式神を使役出来ない出来損ないの陰陽師だってぇぇぇ!!」

「ふん。つまらないことを知っているな。だったらどうしたというんだ」

「あれぇ?まだそんな余裕ぶった態度を取るんですかぁ?先輩もどうせ式神使えないんですよねえ?使えたらとっくに使ってるはずですものねえ?ここまで先輩が使ったのは呪符による防御だけ。下賤なあやかしならそれでもどうにかなるでしょうけど、百鬼夜行に連なる私と戦うには足りないんじゃないですかあ?」

「足りないかどうかお前の体で試してみればいい」

「言われるまでもないですよお!!」


 宙に浮かぶ無数の蜘蛛の口から火の玉が吐き出される。


急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう呪符防陣じゅふぼうじん!」


 物部の手から放たれた五枚の護符が五芒星を描き、魔法陣のような光の壁を創り出し、飛んできた火の玉は全てその壁に阻まれていく。

 しかし蜘蛛の吐き出す炎は止まらない。


「その程度の防御陣で、一体いつまで耐えられますかねえぇぇぇ!!それに――」

「チッ――」


 火の玉が進路を変え、物部から大きく外れて飛んでいく。

 一つは窓にあるカーテンに、一つはテーブルを挟んで置かれていたソファーに。

 それらはあっという間に炎に包まれ、絨毯や他の家具へと引火していく。


「先輩は陰陽師とはいっても、所詮は生身の人間ですからあ。家ごと全部燃えちゃったらお終いですよねえ?式神も使役出来ないんじゃあ、火を消すことも出来ないでしょう?それとも晴香を置いて逃げちゃいます?それだったら先輩だけは助かりますよお?」


 徐々に延焼していく室内。

 黒い煙が立ち上り始め、室内の温度もどんどんと上昇していく。


「愛莉止めて!何で!?何でこんなことするの!!――ゴホッ!ゴホッ!」

「お前こそ無駄な事は止めておけ。さっさと頭を下げて鼻と口でも塞いでいろ」

「で、でも――ゴホッ!」


 晴香は今すぐにでも逃げ出したい気持ちだった。

 リビングは燃え盛り、親友の愛莉は巨大な蜘蛛の化物になった。

 突然現れた風紀委員長の物部は陰陽師だいい、不思議な術を使って炎を食い止めている。

 そんな目の前の現実離れした光景を見てしまうと、とてもただの人間である自分がこの場から逃げ出すことが出来るとは思えなかった。


「晴香。あなたは大丈夫よ。絶対に燃やしたりなんてしないわ」


 それは元の愛莉の優しい口調に聞こえた。

 その言葉を証明するかのように、何故か晴香の周辺の壁や床に炎は広がってきていない。

 ただ、逃げ場なく押し寄せてくる黒煙が晴香の呼吸器系を刺激していた。


「この日を十年以上も待っていたんですもの。食べずに灰にするなんて、そんな勿体ないこと絶対にするはずがないわヨォォォ!!」

「愛莉……もう本当に……」

「諦めろ古角晴香。そいつは妖。お前の言葉は届かない」

「諦められません!だって愛莉は――愛莉は私の大切な友達なんです!先輩は陰陽師なんでしょう!?何とか愛莉を元に戻すことは出来ないんですか!?お願いします!!」


 床に伏せるような姿勢で涙ながらに懇願する晴香。

 溢れ出した涙が頬についたすすを洗い落とすように流れていく。


「晴香……あなたそこまで私のことを……」


「元に戻す――か。それは無理だな」



「そこまで私のことを理解していなかったのねぇぇぇ!!キャハハハハハ!!」



「お前の知っている萩原愛莉も、この蜘蛛も、産まれた時から同一の存在だからな。だから――元に戻すも何もない。こいつは、萩原愛莉という人間に擬態し続けていた鬼なのだから」



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