第二章──魔術修行編

最初で最高の魔術

──草木の焦げた臭いが鼻を刺激し、燃え盛る黄色い炎が私の視線を釘付けにする。


「これが炎魔術の第二段階。 炎の火力が上がれば色が変化するのは常識よね、炎魔術の段階は紅、黄、白、蒼の四段階。

この黄色の時の温度は大体………4000℃近くかしら?」


4000℃の炎。

そんなの当たれば一瞬でお陀仏する程の高温だ。

その規格外の炎をいま、アリス師匠は片方の手のひらの上で踊らせている。


こんな炎を当たり前のように放ち合うのが魔術師の戦いなのだろうか?

こんなのを喰らっても平気な顔して襲いかかってくるのが、災害級の魔物なのだろうか?


私の想像を遥かに超えた化け物たちと日々戦いを繰り広げる熟練の騎士や魔術師、冒険者たちにその凄まじさを改めて認識させられる。


「ユーフェルはまだ紅ね……まぁ段階を上げるっていうのは簡単な事じゃないから仕方ないわ。

私だって、最終段階まで上がるのに二ヶ月は掛かったわ。」


炎魔術の温度を上げるには純粋に供給する酸素の量を増やすしかない、すなわち風魔術の合成が最も効果的なのだ。

空気中の酸素を一点に凝縮し続ける、その練度で炎魔術は段階が変わると言っても過言ではない。


酸素がある、ないの環境の変化でも炎魔術の段階は変わる。

酸素こそがキーであり、それをいかに集めるかが大事なのだ。


「風魔術との併用で段階を上げやすいという話は本で読んだことありますが……酸素が薄い環境や、この星の外側、酸素がない環境では炎魔術は極めて弱いと聞きます。

何故、炎魔術を極めるのでしょうか?」


私の疑問は至極当然だった。

質問の内容としては、少し規模が大きすぎるが、酸素の薄い環境なんてこの星の中でも幾らでもある。


それなら、水魔術の水圧による斬撃性や打撃性を持たせた攻撃魔術。

風魔術による物理的な攻撃の防御など、様々な有用魔術を極めた方が得なのだ。


「そうね、凄くいい質問よ。

じゃあひとつ聞くわ、あなたは敵が絶え間なく攻撃してくる中で防御から攻撃に転じる際、一体どうやってそれを成すの?」


「防御から攻撃に転じる……ことは出来ないので、相手の連撃が止むのを待つしかないです。」

「そうね。でもふたつの魔術を併用して扱えることができたら、防御と攻撃は転じることもなく、相手の一方性を無視したその上の一方性を与えることができるわ。

相手は、手も足も出ない連撃だと思って使っていても、あなたが魔術の併用を可能とした魔術師なら、そんな浅はかな攻撃は意味をなさない。


だったら、炎魔術の段階を上げる鍛錬の過程でその併用を学ぶのが得でしょ?」


「なるほど……あくまで目的は魔術併用、その過程で段階を上げて炎魔術も鍛えようってことですか………疑問が解けました、早速練習します!」


さすが魔術王というべきか。

考えこそ、普通に至る内容だが、だからこそ大事なのかもしれない。


私は片手で紅の炎魔術を展開し、メラメラと燃え踊る炎の揺らぎを見つめる。


「そうね、それがまず炎魔術の第一段階。

分かりやすく、紅炎こうえん魔術とでも呼びましょうか。」


その時の温度は低くても1000℃は超えている。

この炎魔術は第一段階で十分な威力を発揮するのだ、我々のような一般人の常識では。


「難しいわよ、魔力の流れを分割するの。

片方は今の炎魔術の維持に、片方は今から展開する風魔術に。

感覚としては自分の体が真っ二つになって、別々の体で魔術を使っていると思えばいいわ。」


別々、私の体は真ん中を区切りに半分に分かち、そしてその境界線からは全く別の用途に魔力を使うことを意識する必要がある。


いま、私の右手では紅炎魔術が維持されており、左手では薄緑色のオーラを放つ魔術陣が徐々に構築されている。

イマジン、すなわち想像による炎魔術の構築。

そして、その想像の重複。

だけど、決してそれはお互いがお互いを邪魔し合うことなく、自然と溶け合う形になるように想像する。


燃え盛る紅の炎は傍らで発する風の渦に呑み込まれる薪を喰らい、その勢いは増す。

徐々に揺らぎが激しくなり、その色も根底から塗り変わらんとする。


温度の上昇。それは1000℃からやがて3000℃の領域へとその片足を突っ込むことになる。


慎重に、何分かかってもいい。

何時間かかってもいい。

何日かかってもいい。


落ち着き、冷静になって今この瞬間の、魔術併用のコツを、形を掴むのだ。

気配を消し、波も音もたてずに、川中の真ん中で休む淡水魚に狙いを定め、慎重に迫る狩人の如く。


決して、一切の揺らぎも許さない。

決して、一切の些細な失敗も許さない。


少しでも波が揺れれば、それを感知した魚は慌てたように逃げ出し、その狩りは失敗に終わる。


その魚を掴め、さすれば魔術の併用の流れ、形を掴んだも同然。


最後まで気を緩まず、徐々に塗り変わる紅から黄色。

喜ぶこともなく、固唾を呑む余裕さえ与えず、ただその美しくも狂気なる炎を見つめ続け、ただひたすらに風魔術の併用を維持し続ける。


あと少し、その一歩さえ可能にすれば掴める。

魔術併用の形。


私は、川中に休む、目と鼻の先にいる淡水魚の上から両手を構え、決して揺らすことなく静かにその両手を迫らせる。


──刹那、風が吹いた。

私の風魔術とは異なる、大地の風、自然の悪戯。


それは、私の魔術併用を失敗に終わらすには十分すぎた悪戯だった。

頬を撫で、視界霞ませた通り風は、形こそなき故に謝りなどなく、ただ自然の流れに乗って私の前を過ぎ、私の展開していたふたつの魔術はその術陣ごと魔力と共に消えちった。


「──あっ?!」

「──あちゃあ……風が邪魔したのね、よくある事だわ。」


あと少しで掴めそうだった、魔術併用の形。

誰のせいでもなく、私の油断でさえない、仕方の無いこと。

だが、どうしても悔しかった。


「も、もう一度やります……!!」


ならば成せるまでひたすらに数を重ねるのみ。


「ダメよ、限界まで高まった集中力が一度切れたなら、しばらくは休んだ方がいい。

そしたらまた再開ね。」


何を言っているのか分からないが、アリス師匠の教えには従うと決めたのだ。

こんな所で、無知な私が反発してもどうしようもない。


なので、私は素直に頷いて、構築しようとした魔術陣を解いてその場に座り込んだ。


「お疲れ様。

フェル、いい腕してるわ。 少なくとも魔術に興味を持ち始めた頃の私よりは上手よ。


そうね、あなたなら私を超える魔術王……なれるかもしれないわね。」


とんでもない事を言うものだ。

彼女を超えた魔術王……それがどれだけ凄まじいものなのか、分かって言っているのだろうか?


私は齢19程のまだ未熟な魔術師だが、彼女と年の差はそこまで変わらないと思う。

歴代最高の魔術師でありながら、最年少で魔術王の名を継承した人なのだ。


若き美女が本気を出せば、世界を潰せると思うと恐ろしい世の中だ。

そうだ、彼女を超えるということは時空も次元も支配するだけの魔力量が必要なのだ。


「無理ですよ……私は魔術王よりも魔術講師になりたいです。」


夢を見ることは悪いことじゃない。

だけど、飛躍しすぎた夢は信じ続けると身を滅ぼす。


魔術王を超える、なんてのは生まれたその瞬間から志して生涯を注ぎ込んでようやくその挑戦権が手に入るかどうか、そのレベルなのだ。


「謙虚というか、ネガティブ? なのね。

魔術に限らず、その自信のなさは時として裏目に出ることもあるわよ。」


彼女は私の隣で座っていたのを立ち上がり、右手のひらを空に向けて目を閉じる。


「私は生まれて一度も自分の魔術をうたがったことはないわ、あなたの同棲相手のツカサも自分の抜刀術を疑ったことはない……強い人っていうのは、相手を疑うことはいくらあっても、自分の実力は把握してるから決して見誤りはしないの、疑うことなんて絶対にありえない事よ。」


晴天の空は徐々に曇りがかかり、暗転する景色に雷鳴が迫り出す。

その曇雲は雨雲へと変化し、豪雨で地を襲い、迫り来る雷鳴で雷雲へとさらに姿を変える。

その暗転の元凶たる雷雲は、彼女の差し向ける頭上、その遥か空の上に集い、晴天の空を返し、ただ一点で雷雲が凄まじいスパークを引き起こし、雷鳴を轟かせ、晴れの日に起こる神々の怒り、と表すのが相応しい、異様な光景だった。


「あなたも強くなりたいのなら、一流の魔術師になりたいなら、自分の力を疑っちゃダメよ。

自分を一番理解できるのは自分だけ、その自分が自分への理解を放棄したらなんの成長も生まないわ。」


彼女の右の手のひらには数十にも及ぶ魔術陣が重ねられており、それはお互いが反発することなく、そして不思議なことに重なり混ざり合うこともなく、溶け合ったイメージではなく、それぞれが独立した魔術で、されどその魔術はひとつの強力な魔術陣を作るために支え合ってるような。

彼女一人で、数多の魔術師が成す独立した魔術の併用。

それは先程の私の魔術の併用とは格が違う代物だった。


それぞれの魔術陣が、色彩を放ち、それぞれの魔術陣が第二エネルギーを隅々まで行き渡せるように回転し、その回転はさらなるエネルギーを生んで、その全く別の代物であるエネルギーたちはやがてひとつの大きな塊へと収束する。


「魔術の併用はそれ自体がエネルギーを生むこともあるの。」


遥か空の上から舞い降りる神の怒り、されどその勢いは優しき天使のようにゆっくりと、一点に凝縮された雷霆は彼女の右手のひらの魔術陣の上で踊り出す。


それは万物を穿ち、焼き滅ぼす一矢となり、彼女は弓を構える要領でその手のひらの魔術陣を指先に移す。

雷霆は鋭利な一矢、それは以前の巨大な鬼の恐怖を打ち消し、矮小な存在であると教えこまされる程の脅威。

小さなソフトボールサイズの球体だった一矢は、元を辿れば巨大な雷霆。

弾け合う雲の衝突は神々の怒号を再現し、飛び交う稲妻は彼女の周囲を白く、蒼く、煌めかせる。


「覚えておきなさい。

人に魔術を教える身であるなら、自分の実力を疑っちゃいけない。

確固たる自信、それに見合った実力が絶対に必要なのよ。


──心配することはないわ、何故なら私があなたを世界最高の魔術師に仕立てあげるもの。」


雷霆の一矢、矢の尾は彼女の指先から離れ、それと同時に構えていた魔術陣の引き起こすもうひとつのエネルギーがその尾と触れ合い、凄まじい衝撃波を生み出し、辺り一帯の木々はへし折れ、発射される稲光のような一矢は、遥か遠くに構える黒く淀んだ山。


魔物の住処である巨大な山の麓で、数キロ先の私が目を覆うほどの煌めきと共に、大地が悲鳴を上げているような轟音が耳を痛めつけ、遅れてやってくる木々を躊躇いもなく吹き飛ばし、大地を割る衝撃波は、私を襲う刹那に透明な障壁によって妨げられた。


「よく見ておきなさい。

あなたが目指すべき領域の一端を。」


最後に襲うは、一点に凝縮された雷霆の解放。

膨れ上がる神々の怒りは天から地上へ、ではなく、地上から天に上り詰めるように、呆れた神々が空へと帰っていく。


その神々が通る天道の脇に構えた魔物の山と森林は、彼らの怒りの捌け口となり、さらなる怒号と輝きを放って天さえも貫く一筋の稲妻となって彼らを襲った。


怒りに焼かれ、焦げついた自然の臭い。

先程まで涼しかった風も、今は神々の怒りで跳ね上がり、その熱はもはや絶頂に達する。


土煙は衝撃波に押し流され、すぐに現れたのは山も森林もそこにはない、黒く淀んだ土だけが残る平原だった。


彼女が私に力を見せるためだけに放った、ほんの余興程度にすぎない魔術。

されど、その威力は魔物が根城にする山が消し飛ぶほどの大厄災。


魔王と呼ばれる、魔物を支配しその地を征服する王がいると御伽噺で聞いたことがある。

だが、もし実在するのならば彼は何を思うだろうか。


彼女という生きる伝説。

生物の限界を超えた神域の魔術師の余興、それを見てもなお、彼は御伽噺の中に記されていたとおりに人類を滅ぼし、その地を黒一色の淀んだ世界に塗り替えようと企むのだろうか?


私はあまりにも人間離れしたその魔術に、座っていながらも腰が抜け、足は震え、開いた口は塞がらなかった。


「これは風魔術と炎魔術、水魔術の併用によって生まれる特殊な雷魔術の一端よ。


もう一度言うわ、一流の魔術師になりたいなら自分を疑わないことよ。

自分を疑わない確固たる自信は、いかなる敵を前にしても挫けない精神力となる、それはいかなる精神攻撃さえも受け付けない鋼の防御となる、いかなる知識の融合を生み出す魔術の成長となる。

自分に自信を持ち、これからの修行に励みなさい。


──最後に、これが私があなたに教える最初で最高の魔術よ。」

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