第一章─物語、開幕。
元冒険者
ユーフェルを迎え入れてから、かれこれ数週間は経過し、もうすっかりと生活に馴染んでいた。
朝、ユーフェルは異常なまでに早く起床する。
奴隷時代の名残で、朝は誰かが起きるよりも早く起床し、夜は誰かが眠りにつくまで起きておくのが体に染み付いているらしい。
身分が保障された今はそんな心配する必要はないが、世の中は犯罪で溢れている。
そういった警戒心は持っていて損はないだろう。
とはいえ、睡眠不足は体に毒なので最近は早く寝て、しっかりと睡眠を摂るようにと俺から促してはいる。
朝食は俺が作る時とユーフェルが作るときで交代制にしており、彼女の手料理ときたら五つ星のシェフでさえも驚くんじゃないかと思うほどに美味だった。
流石は元公爵家の娘だろうか、家事能力も教育の一環として習わされていたのでは? と少し思っていたりする。
だが、貴族の頃の話や、奴隷の話などの彼女の過去を掘り返すような話題は彼女を怯えさせないためにも自ら間違えて口に出さないように細心の注意を払っている。
朝食を終えたら、お互いの一日がスタートする。
俺はいつも通り、店を開店し客を待つ。
ユーフェルはお店の従業員として、せめて雇用して稼いだ金の分を自身の夢の資金にしたいと言ってきたので、彼女が手の空いている時には手伝ってもらい、それ以外では彼女は俺が持っていた魔術の本を読んだりして熱心に勉強している。
魔術には、属性などという事細かなジャンルのようなものもあるが、術式さえあれば多種多様な事象を引き起こせるのであまり重要視されていない。
ユーフェルは魔術の素質が高いらしく、魔術にもその者の強さを示すための階級というのがあるのだが、彼女は上から四番目、中級魔術師と呼ばれる階
級に位置するらしい。
その腕は新任の魔術講師に一歩及ばすなあたりらしく、言い方を変えてしまえば学院にはもうその実力で入学できてしまえるのだ。
それこそ、入学シーズンは毎年の春だ。
試験の時期ももうじきだろう、彼女には一度受けさせてあげるべきかもしれないな。
「いつもありがとねぇ……新作のくっきー、孫が美味しい美味しいって言ってぱくぱく食べてくれるんだ。
私ゃ、その孫の幸せそうな顔を見るのが大好きでねぇ………」
こうして店をしていると、常連客の方だったりが嬉しそうな顔で楽しい話を語ってくれる。
こういう時間が好きだ。
このお婆さんはよくお店に来てくれる方で、最近は新作としてユーフェルお手製の洋菓子を売り出してみているのだが、それがどうやらこの方のお孫さんに人気らしい。
この話は今日の夕食にでも、ユーフェルに話してやろう。
「それは良かったです……いつか、お孫さんも連れていらっしゃってくださいね。」
「あぁ。それじゃ、また必ず来るよ」
お婆さんは包装紙に包まれたクッキーを持って微笑みを浮かべながら、満足そうに退店して行った。
「優しそうなお婆さんでしたね。」
「あぁ、ユーフェル! 休憩?」
階段を降りるユーフェルが柔らかな笑みで俺に語りかけてくる。
「えぇ、やりすぎも良くありませんからね。」
「今のお婆さんは、ユーフェルのクッキーが孫に大人気だって言って喜んでたよ。」
彼女は両手を合わせ、頬が持ち上がるような笑みで呟いた。
「誰かの幸せのために働くって楽しいですね。」
「でしょ? 魔術講師になればもっと多くの、子供たちを幸せに出来ると思うよ。」
「はい……!」
カランカランと扉の鈴がなり、三人の冒険者がにぱぁと笑みを浮かべながら来店してきた。
「よぉ! 久しぶりだな、ツカサ!!」
俺と同じ黒い髪のガッチリ筋肉で全身が鍛え上げられた体格が特徴的な大男が、俺の名前を呼ぶ。
「変わってないねぇ~……って、え? えぇ、えぇえぇええ?!!」
「か、かか、彼女が出来たんですか?! ツカサ君!!」
そして軽装すぎて痴女にしか見えない女と、眼鏡の掛けたいかにも博識そうな小柄な男。
この三人は、俺がこの店を営む前の冒険者をしていた時期に集めた仲間で、今でも度々この店に顔を出してくれる程に仲が深い。
「は、初めまして……ユーフェルと申します。」
彼女はまだ人と接するのが怖いのだろう、特にこういった武装した連中は特別に警戒したりする。
その証拠に、俺の隣でビタ付きになっており、守ってくださいと言わんばかりに足を震わせていた。
「安心して、彼らは俺が冒険者をしていた時期の同僚だ。
差別もしないし、イケメンと美女に飢えたアホ共だ。
きっと、ユーフェルならすぐに友達になれるさ。」
「だ、誰がアホよ! んん! 私の名前はルル!!」
「俺はアルクだ、よく筋肉ダルマとか言われてバカにされてるけど嫌いじゃないんで呼びづらかったらその呼び方でも構わねぇよ。」
「僕はシェリフです、このパーティーの魔術師として戦ってます。」
ピクっと体が跳ねた。
どうやら、魔術師というワードに反応したのだろう。
これはもしかしたら、シェリフと仲良くなれる共通点か?
「それで? 今日は顔出しに来ただけか?」
「ううん、実は……」
「実はな、この街の近くで魔物の巣が出来たらしくてな。その巣を潰すために立ち寄ったんだが、もし暇してたら助力願おうかと思ったんだ……なんだが、彼女と熱々なんじゃ悪いな! 俺たちが入り込む隙間もなさそうだ。」
アルクは俺とユーフェルのびたつき具合を見てニヤッと笑う。
「ったく……魔物は大体何匹なんだ? 種類は?」
「数は分かんねぇけど、大きさ的に十は超えるだろうな。
種類は……鬼だ。」
魔物。
それは体内を循環する魔力が暴走を引き起こし、精神と肉体が変異を遂げ、狂化された生物。
その中でも鬼はかなり厄介な部類だ。
単騎で成人男性数十人を相手にしても傷一つ残すことなく、軽々と肉ミンチにしてしまう。
正直、この難易度は命が危うい、本格的な一流冒険者が受ける内容だ。
小銭稼ぎ、ちょっとした生活費程度ではなく、一ヶ月の豪遊、下手をすれば半年は遊んで暮らせるレベルだ。
「分かった、俺も行こう。
──実行日は?」
「明日の夜だよ。」
「了解。」
引退したとはいえ、仲間のお誘いであり、これは"何でも屋"に対しての依頼でもある。
「悪いがこれは依頼だ、仲間とはいえ報酬は受け取るぞ。」
「もちろん! ツカサが来てくれるなら一騎当千、それに見合った報酬は払うよ!!」
隣で困惑し続けるユーフェルに、俺が説明する。
「"何でも屋"はこういう依頼も請け負うんだ、明日の夜に鬼狩りに行ってくる。
──朝には帰ってくるから、それまで店を頼んでもいいかな?」
「え、あ……構いませんけど………鬼って、決して油断できない、手強い相手だと思うんですが、四人で大丈夫なのでしょうか?」
「あれ? ユーフェルさんはツカサの実力知らないの?!」
「じ、実力?」
「ツカサは冒険者の中でもずば抜けて強いんだよ、冒険者の中にも階級があるんだけどね。
私たちは上から二番目なのに対して、ツカサはこの世界で十人程度しかいない一番上の階級なんだ。」
「い、一番上……?」
「おいおい、もういいだろ? 確かに俺は太刀の扱いには長けてるけど、別に本当の強者と出会った時に勝てるかと言われたら怪しいぞ。」
「全盛期は鬼なんて束になろうが一振でおしまいだったんだよ。」
「なっ……つ、ツカサってそんなに強かったんですね。」
「あぁもう、恥ずかしいからやめだ!やめやめ!!」
俺は頬を紅潮させ、三人を強制的に退店させて話を中断した。
「じゃ、明日の夜な!!」
ガシャンと勢いよく扉を閉め、背を引きずるように床にへたり込む。
「はぁ……ユーフェルと同じで俺の過去もあんま良いもんじゃない、探らないでくれよ。頼むから。」
俺のどこか悲しそうな顔にユーフェルは驚きながらもぼそっと呟き、頷いた。
「はい………」
~~~~~
日が沈み、既に外は夜闇に呑まれた時刻。
どこの家も明かりが消えており、就寝したのだろう。
俺は二階の倉庫から幾つかの太刀を取り出し、研いていた。
「ツカサさん……今、よろしいですか?」
小さな明かりを片手に入口から、寝巻きの超絶美女が俺に話しかけてくる。
「あぁ、どうぞ。」
だが、太刀の研ぎに集中しており、一瞬のチラ見以外は意識を向けることさえ許さなかった。
「鬼というのは、むかしまだ貴族だった頃に専属の魔術講師からその恐ろしさをよく聞かされてきました。
小鬼の卑劣さ、大鬼の破壊力、群れた時の絶望……様々な話を聞かされました。」
彼女は独りでに語り出したが、俺は止めはしない。
鬼は怖い、鬼は強い、鬼は厄介。
鬼は決して楽に倒せる魔物ではない、そう言いたいのだろう。
何も間違ってはいない、実際に鬼を相手にして生還できる冒険者は40%ほどだと思う。
残りの60%は四肢をもがれ苦しみながら調理されて食われたり、数多の鬼に犯され苗床にされたり、奴らのストレスの捌け口としてサンドバックにされることもある。
実際にそんな目にあった冒険者や農民たちを見てきた。
奴らは子供だろうと妊婦だろうと関係ない、腹が空いてたら食う、興奮していたら犯す、怒っていたら殴り続けるのだ。
欲のままに行動する非人道的な魔物。
尤も、魔物に人道を説くのはおかしな話ではある。
「本当に行かれるんですか?」
凄く心配そうな顔で俺を覗き込む。
俺はただひたすらに太刀を研ぎ、その輝きで鋭利さを確認していた。
「あぁ、すぐに帰ってくるよ。」
「本当ですか? 私、一人にされるのは嫌なんです………もし、もしも! ツカサさんがその戦いで死んで、この店は私一人になった時の孤独を考えると、漸く私が好きになれた人をこんなにも早く失うかもしれないと考えると。」
「あはは……心配しすぎだ、これでも俺は世界で十人しかいない
俺は明かりを持つ手がぷるぷると少しばかり震えている彼女の頭を撫で、微笑む。
初めてそこで研ぎの手を止めた。
「俺の夢はユーフェルを魔術講師にさせることだ。
──歳こそ、俺は一個下だけど俺よりも夢がある人なんだ、俺の心配なんてしなくていい。
自分の夢を叶えるために必死に頑張れ、ユーフェル。」
彼女は呆気に取られた様子でこくっと頷いた。
その頬は紅潮し、不安そうな表情を裏に隠しながら微笑んだ。
「さてと、研ぎは終わったな……こいつは抜くのがまずいしいいかな。」
目の前にあるのは俺が冒険者時代に使い分けていた太刀で、五本ほど並んでいる。
世間ではこいつらの事を、魔剣などと呼ぶらしい。
一本ずつ語ると夜が明けてしまうのでやめておこう。
「よし、もう寝よう──明日の夜に備えて体調は万全にしておかないとな。」
「はい……!」
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