墓場まで

 高熱にうなされるユアンに後ろ髪を引かれながらルチカは部屋を出る。溶けた氷嚢とぬるくなった水を取り替えるためだ。


 駆け足にキッチンへ向かい、その帰りだった。


「――」


 廊下の真ん中に、月明りに照らされる人物が立っていた。


「夜更かしさんなのね」


 鈴を転がしたような声に、どくんと心臓が跳ねる。その手には隠すことなく、ナイフが握られていた。


「キーラさまがどうして、ここに」

「お別れを言いにきたのよ」

「お別れ……?」


 にこりと笑ったキーラが動き出したのと、危機察知が働いたルチカが氷嚢を投げつけたのはほぼ同時である。


「うっ!?」


 だが、ルチカはキーラに突き飛ばされ、馬乗りにされていた。


 キーラはルチカの首に片手をあてがい、もう片方の手でナイフをちらつかせる。


 ――お別れって、私を殺すってこと……!?


 首を絞められるのが先かナイフで刺されるのが先か、ルチカはその二つの未来しかなくなり、恐怖に全身を支配される。


「ねえ、どうしてあなたには記憶があるの? まさかここがゲームの世界だって自覚してるプログラムでも組まれてるの?」

「い、みが……わか、ら」

「そう。そこは白を切るシステムなの。こっちが意味わかんないわ」


 時間が巻き戻るとわかっていても、死を目の前にすると怖いものは怖い。


 じたばたともがくも、令嬢とは思えないほどの力で押さえつけられていて、ルチカにはどうすることもできなかった。


「あなたを殺せば、うっ憤も晴れるかしら?」

「や、やめ」

「ただのデータのくせに」


 息が苦しくなり、ナイフが振りかざされる。


「――」


 びしゃ、と頬になにか生温かいものがかかった。覚悟していた痛みがなかなか訪れず、ルチカはゆっくりと目を開けた。


「え?」


 本来、ルチカに刺さるはずだったナイフがキーラに刺さっていた。いや、だらりと下ろされた手にはまだナイフが握られている。


 ――なに、が、起き、たの。


 ぐらりと倒れるキーラの背後からまた一人、人影が現れる。


「よかった、無事で」


 腕を引かれ、抱きおこされる。


「ぼ、坊ちゃん……?」


 不安げなルチカの声にユアンはこくりと頷いた。


 ――体が熱い。


 熱が下がっていないどころか、ユアンの顔が赤いのは返り血だけのせいではない。汗もびっしょりで、ふらふらだ。とても動ける状態ではない。


「ど、どうして」

「いやな予感がしたんだ」


 ルチカをかばうように背中側に立たせ、ユアンはキーラに歩み寄る。


「もう少しの辛抱だから、少し待っていてくれ」

「なにをするんですか……坊ちゃん、坊ちゃん!?」


 ユアンはキーラの首からナイフを引き抜き、それを何度も心臓付近に突き刺した。そのためらいのなさに上げかけた悲鳴を飲み込む。


「残念だよ、令嬢」

「この、クソゲー」

「驚いた。まだ喋るのか」


 キーラは致命傷で生きていることも疑わしいのに平然と話している。異様で不気味で、ルチカは言葉を失った。


「こんなクソゲー、こっちから願い下げよ! どれだけ時間を費やしたか! 返してほしい!」


 そう叫んだキーラは、糸が切れた人形のようにぱたりと動かなくなった。


「も、もしかして……死んだん、ですか?」

「そうだな」


 ユアンはナイフを投げ捨て、ルチカの前に膝をついた。


「お立ちください!」

「ルチカ、無事でよかった」


 息を詰めて、改めて惨劇に目がいく。床も、この場にいる全員が血にぬれている。


 ――人が、死んだ。


 これが世間にばれたら、ユアンもルチカもただでは済まない。それこそ、ホロンワーズにはいられなくなるだろう。


「坊ちゃん」


 ――存外、あっけない。


 ルチカは今まで殺されてきたことを思い出し、だというのにキーラの最期がこうもあっけないものだとは夢にも思わなかった。


「どうした?」


 握られた手を握り返す。ぬるりとした感触が気持ち悪い。


「私にお任せください」

「なに?」

「私が殺しました」

「は?」


 ユアンは目を丸くした。


「彼女がユアンさまをどこかに連れていくという話を聞いて、私は働き口を失うと怖くなり」

「待て」

「それで、かっとなって殺しました。計画性はなく、ずさんなもので」

「待てって」

「悪事は屋敷の主人によって明るみに出ました。私が一人でやったことで、ユアンさまには関係ありません」


 キーラがルチカに抱いていた印象を、そのままにするのだ。自分はユアンを閉じ込める悪人で、悪事に手を染めた。そういうことにしてしまえば。


「ユアンさまをお守りします。ユアンさまは殺していません。私が――」

「待てと言っただろ」

「――」


 ふわりと唇にやわらかいものが触れた。


 すぐ目の前にユアンの顔があって、翡翠の目にじっと見据えられ、口づけされているのだと遅れて気づく。


「っ!?」

「ふう」


 口を離してくすりと微笑むユアンにルチカは口をぱくぱくとさせる。


「いっ、いき、いきなり……っ!」


 後ずさろうにも、いつの間にか背中に回されていた腕に阻止された。


「こうでもしないと黙らなかっただろ?」

「だ、だからって!」

「いやだったか?」


 ルチカは押し黙る。いやなんかではなかったし、むしろ高揚していた。いろいろな意味で。


 ――でも、今じゃなきゃだめだったの!?


 亡骸の横でなど、なんと冒涜的なのだろうか。


「俺が殺した」

「――」

「だが、正当防衛だ」


 ユアンは淡々と続ける。


「夜中、侵入してきた不届きものが無力な使用人を手にかけようとして、俺は主人として守っただけ。後始末も伯爵家に任せれば問題ない。うまいように処理してくれるだろう」

「それを事実とするために、お前にも口裏を合わせてもらう」

「本当に大丈夫ですか?」

「ああ、なにも心配いらない。俺に任せてくれ」

「わかり、ました」


 ルチカは小さく頷く。


「墓場まで持っていく、二人だけの秘密だ」


 すっと小指が差し出され、ルチカも小指を絡める。


「坊ちゃん」

「ル、ルチカ……?」


 ルチカはユアンの頬に両手を添えた。そっと顔を引き寄せれば、ユアンの目が行き場をなくしたように動く。


「さっきのだけでは――」

「やっぱり、こんなに熱いじゃないですか!」

「……は?」


 ユアンは目を瞬かせる。


「さっきよりも熱が上がったんじゃないですか!? 安静にしておかないといけないのに、あ、あんな……無理をしたから! すぐに湯浴みの準備をします!」

「ルチカ……」

「血なんていつまでも付着させてたら病気になってしまうかもしれません。早く落として、体を温めて眠らなければなりません! お支えできませんが、歩けますか?」

「……ああ、歩けるよ」


 気の抜けた声だった。


 けれど返事は返事。ルチカはばたばたと湯浴みの準備に取りかかった。


 ――あ、危なかった!


 ルチカは真っ赤になって熱を持った顔を、ぱたぱたと手で仰ぐ。


 ――うまくごまかせたよね!?


 思わず、唇を重ねそうになった。


 ――坊ちゃんに伝わってませんように。


 ルチカは静かに、窓の向こうで変わらず輝く月に祈った。

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