奪われてなるものか

 いつもなら就寝している時間だが、ユアンはなかなか寝つけずにいた。


 もっぱら不安の種はルチカである。珍しく寝坊した日からどうにも様子がおかしい。


 平然を装っているつもりなのだろうが常に周囲を気にしているし、日に日に弱っていく姿は見ていられないほどだ。


「さすがに夢には介入できないからな……」


 ホロンワーズの街でトラブルが起きたのならいくらでも対処のしようはある。しかし、夢はその夢を見る当人だけで完結してしまう。


 本人ですら意のままに動かすことはできないのに、他人がどうこうできるものではない。


 どうしたものか、とユアンは腕を組む。


「ひとまず医者を呼ぶべきか」


 ルチカのために医者を呼ぶと言ってもおそらく断られるだろう。だからあくまで自分の容体を確認してもらうついでということにしたらいいのではないか。


 そうと決めればユアンはペンと便箋を用意し、早速手紙を書いた。


 ふあ、とあくびが出て、封蝋を終えたところでようやく眠気に襲われる。


「……なんだ?」


 僅かだが、物音がした。なにかがぶつかるような鈍い音が二度、ここまで響いた。


「――ルチカ」


 すぐさま侵入者に結びつき、ルチカの身を案じる。護身用にとキッチンから拝借していたナイフを持ち出し、ユアンは静かに部屋を出た。


 逸る心と連動して足早になる。侵入者は何者なのか、なにが目的なのか。考えることはそれらではなく、ルチカの無事だけである。


 階段を駆け下りると、二人分の足音がばたばたと近づいてきた。


「あっ」


 鼓膜を打ったのはルチカの声ではなかった。


「――は?」


 ルチカもいる。いたのだが、床に倒れていく姿が目に映り、その後ろで角材のようなものを振り下ろした女性が目についた。


「ルチカ!」


 呼吸はしているものの意識はなく、後頭部が痛々しく血に濡れていた。


「どうして? ユアンさまが出てくることなんて今までなかったのに……どこかで分岐したのかしら」

「何者だ」


 金色の髪にレモン色の目の女性。伯爵の手のものとは思えないお粗末な動作だが、所作からはどこぞの令嬢だと察しがついた。


「ああ、そうだ。まだ出会っていないのを忘れていたわ」


 問題は、意味のわからないことを言う彼女にまったく見覚えがないということ。


 ――先日の侵入者も、彼女か?


 ユアンは床に伏すルチカの傍に膝をつき、片腕で抱える。そうすると令嬢は眉をひそめた。


「ユアンさまはそのメイドに騙されているのよ」


 もはや言葉も出なかった。それでも令嬢は言葉を続ける。


「享受するはずだった暮らしを取り戻したいでしょう? こんなところに閉じ込められたあなたを、私は助けたいだけなの! 私ならユアンさまが本当に望む生活を送らせてあげられるわ!」

「ならなぜ、ルチカを襲った」


 令嬢はきょとんとし、小首を傾げた。


「そのメイドが黒幕だからでしょう?」

「令嬢の言葉はなにもかも理解できない」

「ユアンさまがこんな場所で不自由な暮らしをしているのは、そのメイドが閉じ込めているからじゃない」


 令嬢がなにを言っているのか、ユアンには本気でわからない。


 けれど令嬢もまた、本気でルチカを悪者として認識しているようだった。


「なら聞くが、俺が本当に望む生活とは?」


 ユアンは「ごめん、ルチカ」と断りを入れて床に寝かせ、令嬢と正面から相対する。背中に回し、密かにナイフを握る手に力がこもった。


「それはもちろん、伯爵になって輝かしい人生を歩むの」

「はっ。そんなものを、俺が望んでいると」

「弟に奪われたものを取り返さないと! 私がユアンさまの力になるわ! だから、私の手を取って」


 頭が痛くなる。話が通じなくて苛立ちが募っていく。


 一刻も早くルチカを医者に診せないといけないのに、こんなやつの相手をしなくてはいけないなんて反吐が出る。


「俺は一度だって伯爵になりたいなどと思ったことはない。ここが不自由だと思ったこともない」

「そう……そう、なのね」


 諦めたのか、おずおずと引かれていく腕をユアンは掴む。


「えっ」


 ふわりと微笑んで引き寄せれば、令嬢は頬を赤く染めて目を丸くした。


「ユ、ユアンさま」


 この期に及んで、おめでたい思考だ。気持ち悪い。


「君さえいなければ、ルチカは安心できるだろうか」

「え」


 ユアンは背中に隠していたナイフを、躊躇なく令嬢の首筋に突き立てた。鼓膜を震わせるほどの絶叫が響くが、ホロンワーズの街にまでは届かない。


「な、で……なん、ぇ……ゆあ、さま」


 口の端から血と泡を溢れさせて崩れ落ちる令嬢を、ユアンは冷たく見下ろした。


「ルチカさえいてくれたらそれでいい。そこに他人が介入する余地など、万に一つもありはしない」


 令嬢の口がぱくぱくと動く。


「俺は死ぬまでここで、ルチカと二人で過ごすんだ。閉じ込められている? むしろ逆だよ、令嬢。俺がルチカを、ここに繋ぎとめているんだよ」

「せん、の……され、て、のね」


 刺さったままのナイフに手をかけると、令嬢は顔を歪めた。


「――」


 それを引き抜けば、勢いよく血が噴き出した。


「洗脳? そんなことができたら、どれほどよかっただろうな」


 真っ赤なナイフをぽいっと投げ捨てる。


「ああ、急がなきゃ。俺に運べるか……いや、運ばなくては」


 ユアンは令嬢をそのままにルチカを抱き上げた。ホロンワーズの街までならなんとか行けるだろう。


「ぅ……ん」

「起きたのか?」

「っ……うぅ」


 うなされているようだが、ひとまずは息をしていることに安堵する。


 ――こんな……あんな思い込みの激しい令嬢に邪魔されて、ルチカを手放してなるものか。


 何年、一緒に過ごしたと思っている。手なずけ、懐柔したと思っている。


 真面目ゆえ知識をつけたルチカが『使用人』を徹底するから、距離ができてしまったというのに。ようやくまた二人で食卓を囲めるようになったのに。


 ――絶対に、死なせない。


 体力のない体が悲鳴を上げている。ルチカに世話をしてもらえるから己の病弱さを悲観したことなどないが、ルチカを失うかもしれない今、この体が恨めしい。


 ――奪われてなるものか。


 ほかの誰かの手によって死に至らしめられるなら、いっそ自分の手で終わらせたいくらいだ。


 ゆらりと歪んだ思考がよぎったとき、ユアンの視界が暗転した。その事象を、本人は知る由もないが。



  ◇◇◇



 間もなく陽の落ちる夕暮れ、一人の令嬢が浮かない顔をしていた。


「やっぱり、好感度が足りないのかしら? どうすればユアンさまの目を覚ますことができるのか……」


 令嬢は顎に手を当て、首を傾げる。


「あのメイドが鍵であることには違いないのだろうけれど」


 これまでに何度も屋敷に忍び込んだが、どうしてもユアンの部屋に辿りつく前にメイドに邪魔されてしまった。


「倒しちゃだめなのかしら。気づかれないように隙をついて、ユアンさまのところまで行かないとだめなのかも!」


 眉間にしわが寄っていて令嬢は立てた仮説に頬を綻ばせた。


「うん、今まで敵だと思って倒してきたけど……前提が間違っていたんだわ!」


 進展の糸口が見えてきた令嬢は何度か頷く。


「まあ、でも」


 太陽が沈み、ふっとあたりが暗くなった。街灯があれど、光が届かない場所もある。


「こうもうまくいかないとストレスかも。若干、飽きてきたし?」


 令嬢はぼそりと呟き、屋敷の方向へ歩みを進める。


「ユアンさまも振り向いてくれないし、なんだかどうでもよくなっちゃいそう。最初に飛ばしすぎたかな……」


 今度こそ、と決意新たに、令嬢はすっかり覚えてしまった道に入っていった。

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